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みちのく一人旅 DAY4-2 やっぺす石巻
日和山
奥松島を昼過ぎに抜け石巻を散策。
北海道を出発する前にTVでたまたま見たくるりの「石巻復興節」がなかなかよかったので車中で流しながら市街地を運転。
解体が進むサンファンミュージアムを経て日和山へ向かいました。
仙台に次ぐ宮城県第2の都市、石巻。
日和山は旧市街地にある小高い丘で、津波の際は文字通り「命の山」として多くの市民が避難した場所です。
海に望む門脇地区と南浜地区はかつては多くの工場が建ち並ぶ場所でしたが、震災後人の住めない「非居住区域」となり復興祈念公園として整備されています。
北に目を移すと、旧北上川の風景。防潮堤整備や市街地開発など復興が進む様子が見えます。あれだけの津波が押し寄せると海岸付近は住むことすらままなくなるという現実。目下のコロナ禍もそうですが、現実を受け入れて新しい日常に適応していかなくてはならない…「復興」の言葉の意味を考えさせられます。
日和山は奥の細道でも詠まれた風光明媚な場所。数多くの歌碑とともに…
新田次郎「アラスカ物語」に登場するフランク安田の顕彰碑もあります。
石巻出身で、明治時代に単身アラスカへ渡りエスキモーとして一生を送った人物。冒険好きなので、見ることができてよかった。
大川小学校
日和山を降り震災遺構大川小学校へ。
石巻の中心部からは離れていて、牡鹿半島の付け根の部分まで移動します。
川沿いの比較的内陸に位置していますが、川を遡上してきた津波に児童の多くが犠牲になった場所。
津波の際は「より遠く」ではなく「より高く」がいかに大切かを痛感します。
伝承館も併設されていて、展示を見学していると自然と目頭が熱くなってきます。
自分にそういう感性がちゃんとあってよかったなと安堵するのと同時に、
校庭の木立が風に揺れる様子すらも当時の児童たちからのメッセージのような気がしてきて「命の大切さ」をとてつもなく切実に感じます。
雄勝
大川小を出た後は15分ほど走って石巻市雄勝地区。
震災の報道で以前から知っていた道の駅を訪ねました。
着いたのは15時半でお目当ての「伝ハ寿司」さんはラストオーダーが終了。
周辺を散策しながら防潮堤の先にある綺麗なリアス海岸を眺めてきました。
高台移転、浸水危険地域、防潮堤…
地域によって住民や行政それぞれの最適解がぶつかり合う復興。
情報量が多くてこれを書いている今現在も自分の中では整理し切れていないのですが…現地でしか感じ取れないものがたくさんあります。
次回は「DAY4-3 南三陸リアス海岸」です!今回もありがとうございました!