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雨の日の羨望_桐原しぐれ_2

 母は、私が幼いころから、私の師匠だった。バイオリンのことはすべて母から教わった。母はものすごく厳しかったし、それでいて少女のように可愛かった。
 学校以外はほとんどがレッスンで、私は幼稚園の時も、小学校の時も、中学校の時も、友達と遊んだことはなかったと思う。それでも不満に思ったことはなかったし、母のことは幼いながらにとても尊敬していた。

 高校三年生の時に、ミュンヘンのコンクールで三位に入賞した。母はものすごく喜んでくれた。母が笑うと私も嬉しくて、母の喜ぶ顔が見たくて、私は日々練習に励んだ。
 レッスンの時は鬼のように厳しいのに、私が発表会で良い演奏をしたとき、はじめてコンクールに出たとき、コンクールで初めて入賞したとき、母は自分のことのように無邪気に喜んだ。私はそれがうれしかった。バイオリニストだった母を、今度は私がもう一度大きな舞台に連れて行ってあげたいと思った。
 いつだって母のために練習していたし、母に喜んでもらうために、コンクールでいい成績が欲しかった。するといつの間にか周囲の評価も高まっていったみたいだ。国内コンクールの受賞を重ねるうち、音楽誌の取材が増えていった。三年生の、そのミュンヘンの国際コンクールのすぐあと、ある事務所から契約の話がきた。私は別にそのこと自体には興味がなかったが、母が受けろと言うので契約を決めた。敏腕と言われている、女性のマネージャーがついた。
 
 コンクールから帰国して凱旋リサイタルをやって、卒業直前にCDを出して、卒業後すぐに演奏旅行でヨーロッパをまわった。とんでもない過密スケジュールで、日本へ帰ると気が抜けて一週間寝込んだ。コンクールからヨーロッパ一周まで、一瞬で時間が過ぎていった。だけどいろんな人が自分を評価してくれるのはうれしかったし、いろんなところで一流のオーケストラと演奏させてもらえるのは楽しかった。演奏旅行へは母も同行していて、私のバイオリンで母を世界の舞台へ連れていけたこともうれしかった。
 充実した音楽生活だった。母が死ぬその日までは。

#小説 #バイオリン #雨の日の羨望

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