雨の日の羨望_桐原しぐれ_4
自然の中で心が浄化されるなんて迷信だ。頭の中はちっとも晴れないし、心臓のあたりの重い感覚は消えない。過ぎていった過去の事実も消えない。
それでも、何か救いを求めて、私は毎日その公園に通った。何をするでもなく、ただバイオリンの隣に座って水の音を聴いていただけだ。毎日こうしていたら、すべてを忘れられるかもしれない。
そうして一週間ほど過ぎたころだったか。一人の男性に声をかけられた。
「それ、弾いてよ」
男性はバイオリンを指さして言った。
若い声だった。こんなところでナンパか、と思って、私は警戒して男性を見上げた。
彼は柔らかい笑顔で私を見ていた。
「…弾けないんです」
「そう。残念だな。…そこに座ってもいい?」
「……」
受け入れた方がいいのか、拒否するべきなのか迷っていると、彼は私の答えを待たずにバイオリンを挟んで私の隣に座った。
しばらく無言だった。不思議と不快ではなかった。動揺はしたけれど、すぐにどうでもよくなった。
数分だったか、数十分だったかわからないが、しばらく何も言わずに二人並んで噴水を眺めていると、不意に彼が口を開いた。
「レスピーギ…ローマの噴水みたいだね」
私は一瞬驚いて彼の方を見て、少し考えてからこう言った。
「…黄昏のメディチ荘の噴水?」
すると彼が嬉しそうに微笑んだので、私も笑顔を返した。
「メディチ壮の噴水はもっと小さいのよ」
「そうなの?」
彼はきょとんとして言った。
レスピーギ作曲の交響詩「ローマの噴水」。日が落ちかけてきていたその時間帯の雰囲気に、第四楽章の「黄昏のメディチ壮の噴水」は確かにバックミュージックとして最適な感じがした。
「クラシックが好きなの?」
今度は私の方から問いかけてみた。
「好きだよ。詳しくはないけど」
「ふーん…」
それからまた無言になって、しばらくして彼は「じゃあね」とだけ言って去っていった。私はぼんやりと背中を見送った。
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