完全燃焼なんてするもんじゃない
久々の投稿です。元気に減量ブログ再開と思いきや、矢先ぶっ倒れましたという話。
この試験からの卒業
先日まで某国家試験に挑んでいた(時期的にお察しの方もいるかもしれないが。更新が途絶えたのはそのためである)。
合否はというと完全に当落線上にいるので合格発表まで祈るしかないのだが、終わった後は「やり切った」という気持ちが強かった。
2年前にも試験ラッシュを作り何とかこなしてきたが、今回の試験はそれらよりも難関だったので、正直本当に大変だった。
何が大変だったって、仕事もさることながら家事育児との両立である。
久々にこの話題に戻るが、あれから妻は通年プロジェクト的なものに参加し、自分よりもずっと繁忙を極めていた。
僕はというと、試験前で多少家事を手抜きすることはできても、入浴や寝かしつけがなくなるわけではない。
結局、それらの生活はほぼ通常通りこなし、先述の「5時起きPJ」を騙し騙しやって何とか最低限の勉強だけこなした。
https://note.com/fyij/n/nd0c812ed94d8
過去の教訓もあり、最初から「ラストスパートで追い込んでいく」のが難しいというのは何となくわかっていたので、年始くらいからほんの少しずつだけ勉強を積み重ねていた。
だから、最低限やろうと決めたカリキュラムだけは消化できた。トータルで費やした勉強時間は大したものではなかったが、そこに至るまでの期間が長かった割に最後まで家庭にも穴をあけることなくできたと思う。
だからこそ「やり切った」のである。
職を賭け司法試験を受けたわけでもあるまいし、大袈裟なのだが、試験の帰り道に泣いたのは初めてだった。
時を同じくして自分の「プロジェクト」は次々と区切りの時期を迎えていた。
まず仕事に関しては、自身のキャリアハイ案件が固まった。社内トップ表彰みたいなそんな壮大な仕事ではないのだが、ここ半年間はこれメインで走り続けた。
そして減量に関して。計画開始から丸1年を迎えた。前回までで述べた通り早期に長期計画を達成し、(ほぼ結論になってしまうが)その後も大きくリバウンドすることなく、健康診断では過去最低の体重を叩き出した。
これら自分なりに掲げた目標に向かって走り、それぞれ達成の目途をつけることができた。
ふと尾崎豊の「卒業」が聴きたくなる。
戦いからの卒業-
試験後夜は記憶が溶けるほど飲んだ。
「卒業」していったい何変わるというのか
ぶっ倒れたのはそれから2日後のことだった。
喉に違和感を覚え、倦怠感が襲った。そして発熱。
妻子の体調不良で休むことは何度かあったが、入社以来初めて、自分の体調不良で会社を休んだ。
PCR陰性を確認し、病院にかかり、早々に熱はピークアウトした。
ところが今度は猛烈な喪失感が襲ってきた。
動けないほどダルいということもなかったが、気持ちがついていかない。
翌日からは在宅勤務に切り替えたが、正直PCを触るだけで精一杯。
しばらく微熱状態が続き、仕事をする以外はずっと寝込んでいた。
あなたは資格を取って何がしたいの?
突如、悪意なく発せられる周囲からの言葉が病床に突き刺さる。
そういえば、曲中で尾崎豊はこうも言っていた。
あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどり着けるだろう―
今度は10年以上も前の大学受験のことを思い出す。
センターで大失敗し絶望のE判定から二次試験の数学ベクトルで学問の神が降臨し奇跡の逆転合格を果たしたことは今でも語り草だが、当時の僕は「大学に合格することだけ」を考え突っ走っていた。
「大学に合格しさえすれば何もしなくてもすべてが変わる」と思い込んでいた僕はその後の地味で味気ないキャンパスライフに絶望し、全てのやる気を失い、引きこもることを好んだ。親からは「燃え尽き症候群」と揶揄された。
いや、当時は本当に「揶揄された」と思っていた。ところが確かに「燃え尽き症候群(バーンアウトシンドローム)」という病気は存在した。
他者に対して苛立ちを募らせ、攻撃的になる。そんな兆候もあるらしい。元々いらちだが、確かに最近は些細なことに無性に腹を立てていた。
身の丈に合わない職場改善に向けたリーダー業務を拝命していた。決して小さくない事務負担の割には地味な仕事なのでしばしば周囲の反応は薄く、その度ごとに苛立ちを募らせていた。
「コッチが必死に考えているだけで、結局ひとり相撲かよ」と。
そうするうちに周囲の些細な言動にも腹が立ってきて、組織に嫌気がさし、対人関係はどんどん塩になっていった。職場改善を志したはずが気づけば衝突寸前の状態だった。
結局、自分自身にはコアとなるイデオロギーなど存在しないということを、これでもかというほど思い知らされた。いや、実際はこうなるずっと前から知っていた。その厳しい現実から目を背けていただけだったのである。
ウンザリしながらそれでも過ごした~一つだけわかってたこと
結局、プロセスをゴールにしてしまうのだ。
志望校に合格すること、会社でノルマを達成すること、資格を取ること、減量すること…それらは所詮通過点でしかないはずなのに、いつだってそれをゴールと錯覚してしまう。だから「燃え尽き」た。実に必然であった。
「似非ゴール」には辿り着いたが、まだ走れと言われる。ゴールではないのだから当然だ。でもどこに走っていいのかわからない。そのうちに走り方さえもわからなくなってくる。
こうして、仕事をするのも、保育園の送り迎えも、食事を作るのも、皿を洗うのも、洗濯するのも、風呂に入るのも、人と話すのも、もう何もかもが全て嫌になって寝込んだ。
無理に動いて攻撃的になるのも嫌だったので、結果もう全てを放棄して寝込むしかなかった。なまじ体はそこそこ元気なので、ひたすら寝込むというのも辛いものがあった。
こうなったのも(自分を知る人はわかるかもしれないが)独善的で他力本願、道化でその場しのぎの人生を送ってきたからであり、必然の結果、身から出た錆である。
でも、こんな人の役に立てないクソ野郎、見捨てることなどいくらでもできたはずなのに、諦めないで付いてきてくれた人は確かにいた。そしてそのおかげで今日の自分が成り立っている(これは詳しく話すととても長くなるので割愛)。そして今でも、僅かでも、自分を気にかけてくれる人もいる。
そういう人たちに自分は何もしてこなかったのに、今ここで潰れたらいよいよクソの役にも立てないまま終わると。
そんなことを考えているうちに、どん底に落ちたマインドが少し上向いてくるのを感じた。
とりあえずゴールに向き合おうと。そのためのプロセスを再構築しようと。走る道筋をつけようと。そうして少しずつやる気を戻していくということで折り合いをつけ、起き上がった。
一方、最近の自分はあえてピークを作り奮起させて走ってきたが、そういうのは身の丈に合わないのでもう辞めようと思う。元々季節性で精神的な波はあるし、さすがに会社を休むほどの所業を繰り返すわけにはいかない。
手前味噌だが、この1年間の自炊画像を見返して、全くスキルがない割によくもまあこんなに作ったなと思った。これからは気が進まないところはクソ野郎になり、調子のいい時に本気出す。そんな感じで家庭に折り合いをつけるのはどうだろうか。
とりあえずは向き合うこと、やりたいことを少しずつ具体化してきたことで、まだ完全ではないがコンディションを戻しつつある。
このブログもそのプロセスの一つなので、今後もライフワークとして続けていきたい。
今まで散々迷惑をかけた人たちにもいずれ恩返ししたいと思っているが、なにぶんクソ野郎なので気長に待っていてほしい。ただ、今もし力になれそうなことがあれば「是非とも」。
次回からは減量ブログに戻ります。
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