友達の子
今回も架空の話をしようと思う。
先日、友人夫婦のお宅に遊びに行った。彼らが出会った飲み会を開いたのが私、ということで彼らの中では私が仲人的な立場らしい。
昨年にはお子様が誕生され、お子様に会うのはこれが二度目であった。道中、私には一つの心配事があった。
話は前回遊びに行った時にさかのぼる。初めてお子様にお目にかかった時、私は驚愕した。
・・・かわいくなかったのである。
いや、可愛いのは事実だったと思う。しかし、お子様の顔はあまりにも父親である友人と瓜二つだったのである。父である友人はアラフォーである。ご機嫌斜めであったこともあろうが、表情も目鼻立ちも、完全に一致していた。
友人(父)の遺伝子の強さに戦慄するしかなかった。我々は長い間友人であったし、気の置けない間柄であったと認識している。
私は、「かわいい」ということができなかった。代わりに「す、すごい似てるね。お母さんの遺伝子どこにいったん?」といった。
私の思っていることはすぐさま伝わった。もう一度言うが、我々三人とも長い付き合いなのである。「赤ちゃんは顔が変わるから、もう少ししたらお母さん似になるかもね」とその時は言っていた。
で、二回目である。私は考えていた。赤ちゃんの顔は変わるというものの、礼二君(仮名)とそっくりのままだったらどうしよう。しかも、礼二君の子供のころではなく、現在のそれなのだ。申し上げるのが遅くなったがお子様は女児である。もう一つ言い忘れたが、母親であるほうの友人は美人である。
ルッキズムの誹りを受けるやもしれないが、現在の礼二君(アラフォー)と完全に一致した女児を「かわいい」なんで口が裂けても言えないし、言ったところで噓がばれるのは火を見るよりも明らかである。
もちろん、大事な友人たちの子なので、私も情はある。この子になら、血液1Lくらいなら献血できる。しかし、嘘はつけないのである(涙目)。
彼らの家に向かいながら、私はドキドキした。そのためか、何度も行った道にも関わらず迷い、到着が30分も遅れてしまった。
最寄りの駅まで礼二君が迎えに来てくれた。歩きながら近況についてぺちゃくちゃ喋った。お宅に到着した。母親である友人とお子様が待ってくれていた。
天使のように可愛かった。いい感じに二人のパーツがミックスされていた。私は狂喜乱舞し「かわいくなったねーいいとこどりやねー」と絶叫した。目元がすっかりお母さん似になっていた。性別を感じさせない「赤ちゃん」から「女の子」になっていた。なお、お子様の性的自認については現段階では議論しないものとする。
家庭料理をふるまってもらったのであるが、どれもすごくおいしくて幸せなひと時であった。テンションMAXの私はスケッチブックを取り出しお子様のスケッチをしまくった。
素晴らしいひと時であった。友人夫婦には感謝の言葉もない。またお邪魔したい。
はるか昔、私がまだ子供だった頃、「大きくなったねえ!ついこの前まで赤ちゃんだったのに」と狂喜する大人に戸惑ったことがあった。ああ、あの時の大人になっているのだな私は、と思った。
あやしながら友人が、「この子が平均寿命を全うしたら、22世紀までいきることになるやんなあ」と言った。私は感動した。彼女の目に映る22世紀が素敵なものであることを心から願っている。
再度申し上げるがこれは架空の話である。