Track 03.『雲から一歩』/オオヤケアキヒロ

Yeah,yeah.初めに言葉ありき。メロディ、ラップ、スクリーム、すべては等しく音に合わせて話すのが始まり。初めて歌うかい?なら、上手い下手や小手先のメロディを追いかけない。始めて惚れた子の肢体を求めるが如く激しい愛は隠さない、しかし同時にダンスを踊る様に優雅にマナーを持って揺れるが良い、さすれば喉は開かれん、違うかい?


 …急速に、だが意図した通りにGigi Masinの『Clouds』が解像度を落としながら遠ざかる。
ヘッドホンを外し、何度も書き直しを経て漸く並んだ詩を読んでみると、あまり素直に喜べる出来ではなかった。深淵にも境地にも触れること敵わず、とりあえずケツの音を踏んでみようと《ai》で音を合わせただけの、リズムもクソも無い、何だか愛という言葉のキザったらしい側面だけが前面に出てしまった詩だ。
怖気を振るう程サムいが、俺が肥えているのはあくまで耳だけ、つまりまだ新米、ルーキー、白帯、いくらでも言いようがあるがビギナーどころかまだワナビーに過ぎないのだから、分かった様な振る舞いは止めよう。好きなトラックに合わせて認(したた)めた言葉なのだから、戒めとして消したり破り捨てたりしないでおこう。そうすりゃ絶望的なセンスの無さを認めざるを得ない、それこそが、先ずはそこを認めなければ歩き出せない第一歩だと言い聞かせて、繰り返し捻り出す。
足跡を振り返ってみると、探していた言葉は幾つかは見つかったし、思っているより良い物もあったし、期待程では無いものもあった。まだそれははっきりと全体の輪郭を復元できていないので、納得が行くまで探しては拾い上げ、並べて眺めては頷くか、首を傾げるか、鼻からため息を吐きながら捨てるかして、時間が許す限りまで再度息を整えて、再びヘッドホンを命綱に頭の先まで意識に浸かる。
探す時は頭を夏の石みたいに熱くなるまで滾らせ、必要ならば冬の川底に胡座を決め込むように沈み切る。並んだフォルムを追いかける時は、目の前の実存と思い描くベストの間を埋め、その間にある最適解と意図しなかった発見を味方に付ける。指先を感情に委ねる時間と、感情を眉間の間で押し殺す時間のループ。一つの塊を作るのに自分は愚鈍なのかと疑わざるを得ないような時間が過ぎた。大量の破片と取り零しに埋もれる日々の果てに、やや鑑賞に耐え得る破片がやっと出来た。
そう、これでもまだ、マシな方なのだ。

 さあ、もう一度ヘッドホンを耳に当てて、次のステップ、自分の書いた文に声を乗せる。ボソボソと読むのでも良い。次第に、何を伝えるか、誰に伝えるか、その為にリズムをキープする、息継ぎのタイミングを意識する、何度も何度も、綴られた言葉の意味を確か、そしてその言葉が本当に自分の胸の内から出たものかを確かめる。Yo,だとか言っちゃうのは虚飾(フェイク)のような気がしないでもないが、それ自体は誰かに呼びかけるための至極生活に根付いた言葉、借りてみるのは悪手ではない。生活に馴染みの無い英語を使うことが憚られるなら、なあ、でも、おい、でも、使いやすい言葉で構わないから使ってみれば良い。その気恥ずかしさは別にその辺の老人ですらがよォ、って言うんだから良いじゃないか、家の爺さんなんかやァ、って俺たち家族を呼ばわっていたんだし。
それは兎も角、口に出してみて漸く言葉の持つ意味を体験として実感した時、全てが漸く体験として身に染みる。知識がどれだけ紙と舌の上で作用するか、あれこれ思弁し、試してみる。そしてまた言葉を探すたびに戻る。もっと良い方法を探し、何度も何度も並んだ言葉を入れ替え、気に入らなければ消し、繋ぎ目を新しくして、核心への肉薄を期待できる、若しくは表現としての強度を持った新しい断片を見つけたらそれに入れ替え、且つ取って付けた言葉に見えないかもう一度見直し、新しい自分の内から湧き出た感情を拾い上げ、それが今使えるかどうか見定め、今ではないと思えば忘れないように何処かへ仕舞って、その何時かを探す為にもまた声に出してみて・・・納得が行くまで、これの繰り返しだ。
ヘッドホンで同じ曲を繰り返し聞きながらこの作業をやっていると時々、賽の河原で石積みをしている様な気分になる。

 そうそう、言葉を探す作業を始めてから気付いた俺の癖だが、いつもヘッドホンを外す度に虚空を仰ぎ、大きく息を吐く。まるでギリギリまで水底に潜っているかのような、ささやかな大仰さがあるこの動きだ。
気分が荒れていると、水底にある言葉が大量に巻き上がって、その時は驚く程に大量の言葉と感情が玉石混合の煌めきを見せる。しかし、だいたいそう言う時はもう濁流になっている意識の中で俺自身も溺れないように必死だし、溺れるほど耽溺しているのはたいていがタイムカードを押している時間だから、音楽も紙切れもノートも持ち合わせていない。それでも、せめて忘れないように一つでも舞い上がる言葉を掴んで、作業用のメモ用紙に言葉のありかを残しておく。これを怠ると、中々再び見つける事は難しい。そして残念なことに、仕事中に気分が荒れている時なんてそもそもメモを取るほどの余裕なんてありゃしない事も多いし、せっかく手にした言葉がどこかへ紙ごとするりと抜け落ちることだってある。だが、それは縁があればもう一度見つかるし、二度と出てこないならそれまでのものだったと思うしかない。少なくともそうやって嘯くだけの余裕はできた。
少なくとも、汗臭い運チャンが運んで来た荷物を見た時に雑な積み方してやがるだの、荷物の実数が伝票に書かれた数と異なるだのと言った些細や不誠実さや、勢いで飛んできた無礼な軽口に殺意が湧いて、身震いするほどの感情を押し殺してでも湧き上がった言葉を決して離さないようにただ黙して対応するようになった。大きな目標の為には些細な火の粉や小虫の羽音なんて真っ正面から向き合ってられないから、適切な対応をしてお互いの仕事に戻るように送り出す…時々、一言二言やり返したり、存在を黙殺したりもするが。公明正大だとか正義だとかには程遠いが、無意味な争いを産まない程度には、最低限の秩序が漸く俺に戻ってきた。

 いつからこの作業をするようになっただろう。読むのが好きだった、書くのが好きだった、聴くのが好きだった、誰かに憧れた、何かにムカついた、言いたい事があった、言いたい事がわからなかった、切っ掛けや理由は幾らでもある。しかし、なぜ今だに続けているだろうか?
俺の思った事を明確さ、辛辣さ、叙情性、どんな要素でも俺より遥かに上回って描き出した物語は沢山ある。しかし、共感が強ければ強いほど、俺の物ではないと言う事だけがくっきりと強調されるのだ。それに俺の思うことを明確以上に炙り出すそれらを、そういうこと抜きに素晴らしいモノだからと人に手渡そうとしても、ああ、ごめん、俺ヘビメタ無理だわ、とか、ヨーヨー系って奴?とか、パンクとヘヴィメタルの分別がない程度には流れる音の形を捉えられても姿そのものを見ようとする人間は少ない。映画や音楽に至っては合うか合わないかわからないものに長々と時間を奪われるのが嫌だと取り合ってさえくれないことだってある。俺が救われた言の葉や音や光の像(かたち)が、そこで俺が理解を諦めて黙ってしまった途端、俺の中でただの骨董以上の価値がない形骸になってしまう。

手遅れになる前に、俺は俺の言葉を伝える必要がある。そしてそれは、自分でもよく分かっていない俺自身の感情を探し、どんな形かを確かめる作業だ。たとえ、それが実は虚無だったとしても。


 再び息継ぎの為に虚空を仰ぐと、ふと見上げた空は菫と墨の輪郭を無くして混じり合う程の暗色になっていた。多くの人々は自分の家に帰るんだろうし、明日に向けて飯を喰うんだろう。
夜中に金を稼ぐ働く俺の生活リズムで言えば、今が朝だ。早朝とも真夜中ともつかない時間に目を覚まして仕事に向かう時期もあった。太陽と月が慌ただしく入れ替わる時間に目を覚ます生活になってから、もう何年経つだろうか。クタクタに疲れて家に帰る友達や、時々慎ましやかな老後の1日を過ごした両親と電話して、俺からはお休み、相手からは今から頑張れよ、反対のベクトルから放たれる『お疲れさん』を、時々はそれぞれの立場へ贈る言霊を明確にして渡してから再び別れ、働きだしてから出会った同じく夜を生きる友達とも今からを励まし合い、時々、今はとんと声を交わしていない人のことを思い、タイムカードを押してからは気の合う同僚や上司と軽口や愚痴を叩いて、無秩序な職場で精神的秩序を必死に保ち、時折失い、また塒に帰ってきて自分の言葉を探す。こんなご時世だから誰かと会うのも中々難しいし、言葉を探す旅の為に自分から距離を置いたりもした。
 そういえば、夕方の醤油やカレー、日中の住宅街から流れてくる洗濯物や生ゴミの匂いだとか、そんな匂いが俺の生活にはとんと縁がない。何もする気力が無い時に、コンビニ弁当の残骸やキャパオーバーのゴミ箱、汚れた水回り、干していない布団だとか、無意味に出した体液とか、そう言う物が悪意を持って匂い立つくらいだ。ワンルームなので洗濯物は外に干してしまえばそれっきりだし、部屋には大体何かしら薄荷やフレグランスの匂いがしている。良い匂いのする料理も、ここ最近はずっと一人なのでロクに作っていない。
少なくとも詩を書き始めた今、俺の生活には秩序が生まれた。起きる時間も規則ができてきたし、ゴミも溜まらない。だらだらと使用済みティッシュと質の悪い缶チューハイの空き缶に埋もれたまま悪癖で潰す時間も前よりうんと減った。いわゆる意識高い飯も案外悪くない。サイクルはあるが気持ちも落ち着いている。それはある程度俺にとっては良い傾向であり、善くなりたいと強く願って改めた行動だから、至極当然のことだ。けど、何だかそう言うことに後ろめたさも感じている。何だか免罪符を手にして暗い過去がチャラになったと喜んでいる様な、それどころか素知らぬ顔をして黒から白へ成り代わろうとしている様な。暮らしが匂い立たないのは、もしかすると俺が人間らしさを失いつつあるからだろうか?
疲れた頭はぼんやりとそんなうだつの上らない事ばかり考えている。そう言えば今夜は休みだ。たまには腹に溜まる飯を買いに行こう。
 コンビニでミートソースのスパゲティを買って、外にある灰皿へ向かった。煙草に火をつけて一息吐くと、まだ少し早い春の空気を鼻から胸一杯吸った。田園を走る国道沿いの住宅街へ入る街角にあるコンビニだからか、排気ガスの匂いと、乾いた土の匂いと、泥の匂いと、お馴染みの醤油の匂いが冷たい空気に混じっていた。自転車に乗る学生、ネオンカラーのパーカーを着た若者、仕事帰りにしてはジーンズでカジュアルな格好のどう言う生業か胡散臭い中年、ペンキでカラフルに汚れた作業着の若者、俯きながら商品を見る地味な服装の女性、いろんな人間が生活の香り漂う景色の中を往来している。この辺は南米系の顔立ちが通り過ぎたり、中国語が聞こえてくることもあるが、もはやそれも当たり前の光景だ。
 付き纏うメランコリーと感覚から来るノスタルジーが混ざり合った、有り勝ちな甘苦い気持ちに満たされた途端、先ほど思い出していた人々がより明確なディテールをもって思い出された。そう言う時は走馬灯と同じ視覚を伴う記憶の追憶だからだろうか、イメージは視覚とほぼ同じ位置に感じられるのだ。だいたい眉間から胸の間、ちょうど意識を司る脳と魂が有るとされる胸の間だ。
忘却というシステムは、人物に対しては声から忘れて最後に容姿を忘れるのだという。不思議なことに、俺は声ばかり、俺の思い出す事象と感覚的な受容を形容するなら音を伴った言葉ばかり覚えているのだ。姿形だって勿論忘れないが、鮮明度は声の方が遥かに上だ。良くも悪くも誰かに送られた言葉、誰かに向けた言葉、忘れたいことも忘れたくないことも覚えている。使う言葉、声色、語り口、そんな事を注意深く聞いたり反芻する。そんな習性もあってか、色んな人の言葉を聞いた。喋る時は引っ切り無しに、デリカシーが無い程に突っ込んだことを口走り、黙るときはずっと黙っているせいか、人々は色んな事を俺に話して、幾人かはそれを残したまま去って行った。それは液晶に映る文字でも一緒だ、真っ直ぐ飛んできたり、どこへ向ければ良いかわからず震えていたり、平静と同じ様なトーンなのに何となく虚だったり、その感情を乗せた振動はどれも'忘れられない程’としか形容のしようがないのだ。そんな声が聞こえてきた時になってようやく、彼らの顔をはっと見る。真っ直ぐこちらを見据えていたり、俯いていたり、蔑んだ笑みを浮かべていたり、何だか俺はそういうものに真っ直ぐ自分の気持ちを伝えられない。ぶん殴ったり、抱き締めたり出来たら、いや、そんな事をしなくても、素直な言葉を伝えられたらどれだけ良いだろう。だが、純度100%の感情っていうのは案外不純物が多い、このクセの強さに手を焼いているのはきっと俺だけじゃないだろう。胸のどこかにある隙間から零れ落ち、喉を押し広げて出てきたそいつらの不細工さと笑えないほどの凶暴さを、そして、街角で出会ったあの先輩やあの子のように人懐っこくて寂しがりなのも知っている。
誰もが憧れる幸せな家庭の理想と、それだけじゃ成り行かない現実の間を流れるあの生きる事の臭いが、テレビや家族の口から流れる綺麗な歌謡曲と時たま怒鳴り声が何かが壊れる音との間を無常にゴトゴト鳴る洗濯機のリズムが、皆んなずっと笑って居られりゃ良いのに時たま激しく張り詰めたり重くなる空気が俺はいつからか嫌いだった。中途半端な光量の薄暗いリビングで、誰かが何かを我慢している顔を見たり、絆を蔑ろにするような陰口を聴くのが堪らなく苦痛だった。まるで川から海へ流れるように外へ流れる人の生の臭いから逃れるように飛び出した街角で、あの生活の臭いにどんどん刺激的な香りが混じってくる。人工的な光で街は眩しくて、その分影は濃くなる。俺は光の下で友達と酒を酌み交わし、影の中であの人やあの子と出会った。熱い言葉、笑い声、有り金を握ってありついた飯の臭い、週末になると溶けかかった雪みたく商店街に並ぶゲロ溜まり、鉄の味と金属の臭い、俺は間違っても男らしさを売りにできるような人生を歩んでいるわけじゃないんだけど、光と影の間で俺らは自由だった。こうやっておセンチな気持ちになるには下卑た野放しのそいつらが押収するのに疲れて、俺はますます誰かに言葉を向けるのが躊躇われるようになった。それはつまり交流の放棄、どこまでも独善的な感情に支配されていた。これは正直思い出したくもないし、口にするのも嫌なんだけれど、その時、俺の生んだ感情は欲求や生存本能に支配されたケダモノのそれだった。生きるためと偽って仁義に悖る真似をして、与えられたモノを壊して突き返すような真似ばかりをしてきた。人が俺から遠ざかり、俺が人を突き放す、そんなことばかり繰り返すとどうなるか、知っているだろうか?下を向いて歩き、震えながら素面の自分に耐えることも出来ず、ぽっかりと空いた穴が苦しいと顔にも出せず、後ろめたさから助けてくれと声も出せず、身嗜みにも気を配れない惨めな姿で、確かにそこにいるのに隔絶されたような気分で、業のツケとしてダサさを自分で自分に突きつけられて生きなければならなくなる。それはもうダサくても自分は自分だ、なんて開き直ることすら出来ないんだよ、自分で認めてしまっているんだから!大阪の住宅街で、ソウルの市場で、サンフランシスコの街角で見たジャンキーとまるで同じのヨレた姿を周りの人間に見せてしまったことまで、受け取った暖かさでダサく腐敗することしか出来なかった俺自信を嫌悪しているし、何者でもないままどう考えても色濃く順調に悪でしかなくなる俺が罰せられることも無く生きていることに今でも罪悪感を感じている。
 だが、ダサい俺の感情はどうしようもない畜生かもしれないが、決して間違ったことばかり言うわけじゃない。誰かが去るとき、俺は自分に感じているような度し難さをそいつらに感じていたのを思い出した。自分の都合の良いことばかり言ったり、不義理をして開き直ったり、誰の目も見据えずオナニーでしかない自己満足をひけらかしたり、誰かの優しさや財布にぶら下がったり、ステージでは格好いいことばかり言っているがだらしない生活で誰かに甘ったれていたり、尊いはずの物が曇って見えた。過ぎた生活の輝きに真っ黒になるほど胸を焦がし、一方でどうしても自己愛に任せてそうやって誰かを貶めてしまう夜を繰り返したある日、俺はあの時彼らに自分がどう見えていたのだろうかふと疑問に思った。きっと同じように見えていたはずだ、くだらない生活に耐える反動でみっともない振る舞いをしている俺を見るのは耐えられなかっただろう。その時俺は自分の言葉がまだ客観性を持っていたことを驚いた。そうだ、辛かったのだ。ある者は生きている自分と在りたい姿の隙間が、ある者は見失った自我の脱殻が、生活と摩擦を起こしている、そうだ、みんなが苦しみ、開き直り、無視してでもそれをひけらかさず生きていて、その中で俺を信じて打ち明けてくれたのだ。俺の中に今生きている友や家族が居るように、彼らの中にも俺が居る。だから彼らは俺に信じた何かを音に託して残して行くのだ。皆が俺なのだ、離れていても、もう会えなくても、そして、もう彼らの中にいなくても、俺が皆なのだ!
 あの子に初めてあったときのような、力強くも優しい風が俺に向かって吹いた、ような気がした。まるでクラブの中にいるように、懐かしい声や音がいくつも耳の中で鳴り響いた。ああ、懐かしい、いや、それよりも、生きるということは、ダサい筈の俺のストーリーはこんなに素敵な音に溢れていたのか。そして虹彩が漲り、景色の色彩がより精緻に捉えられた。そうか、そうだった、世界は白と黒とグレーだけじゃないのだ。美しいものと醜いものが絶えず極彩色の曼斗羅を描いているのだ。
受け取った物を返さない、カッコよく生きるにはそれだけは許されない事だから、俺は感情にせめてもの礼節と身嗜みを仕立てて、誰かに届ける事にした。
勘違いして欲しくないんだ、そんな偉そうな動機じゃないんだ。ただ、辛気臭いのも嫌だし、それっぽいだけのことも嫌なだけさ。みんなが心から楽しくなきゃ楽しくないから、俺は安くても良いからお気に入りの服を着て、美味い飯と、美味い酒と、カッコいい音でパーティーがしたいんだ。

で、いつ音楽は出来上がるんだよって?ちょうど出来たぜ。いつ歌うんだよって?そうだな、リハに2時間くれるなら、今からでも良いぜ。やっちゃう?初ライブ。今、何時?午後六時だから、八時スタートか。OK、余裕。

 部屋に戻り風呂のボタンを押してから、パスタに業務用の粉チーズをドバドバとかけた。泥砂のように重みを増したミートソースを一気に啜った。煙草を吸っていると、風呂が涌いたと給湯システムが教えてくれたので、汗ばんだ肌着を脱ぎ捨ててシャワーで身を清めた。この間ずっと、スマホのメモ帳に入っているメモ帳をブツブツと繰り返し読んでいた。
風呂から上がると七時だったので、ヘッドホンを耳に当てて、音を探すようにリリックを唱えた。もうとっくに詩は音から独り歩きしていたから、アカペラで行こうと決めていた。が、もう一度来たところを確かめるために、音を意識して話す事を忘れないように、三回だけ音を確かめるように追った。そうこうしているうちに七時四十五分だ。畳んであったジーンズに足を突っ込んで、新品の白いTシャツを着た、初ライブは何となく絶対これしか考えられなかったから。
お守りに、左耳にターコイズ、右耳にオニキスのピアスをそれぞれ。首には小さなターコイズの十字架を。普段巻いている落葉樹林の柄のバンダナを帯にして、目元が少し隠れるくらいに。この柄はオークツリーって言うんだぜ。
よし、これで大丈夫。車に乗って海に向かった。バックミラーとガラスの間に俺が重なって写っていた。海岸沿いに車を止めて、目を閉じて、深呼吸。ぱっと目を開くと、八時三分。まあいいだろう、タイムテーブル通り進むショーなんて早々ない。再びバックミラーを見ると、懐かしい顔がちらほら、視線を前に戻すと、フロアに見た顔がずらりと並んでいた。

◆◆◆

 Yo,キャッシャーを越えたら冴えねえ顔は無しだ。先ずは1Dチケットで喉と気持ちを潤しな。DJsが先付、バーカウンターで会うツレ、一本恵んでくれよそのマルメン。
今日は初ライブに来てくれてありがとう。イベントの名前もこのハコもさっぱりわかんねーけど、今日は俺のほやほやのファースト・シット一本だけのショーケース。インスピレーションにリスペクトして『Bar Cloud』とでも呼ぼうか。今日はA Capellaでやらせてもらうぜ、Yo,俺のアカペラは片仮名でポエムって呼ぶような自分語りじゃねえ。ただ頭の中で捏ねたテツガクごっこを耳障りよく小綺麗な言葉にしただけじゃ飯も食えねえし、誰も頷かねえ。リアルな哲学に音という鼓動を与えるすべての音楽にリスペクトと、今夜は俺からの詩を。それじゃ始めようか。

 ある男が昔海に死にに行ったんだ、冬の海に身を投げようとしていた。死に損なったそいつは、上を見たり下を見たりしながら、業を積み重ねて生きていく。その情けねえ死に損ない、それが俺だ。
Yo,俺は腹の底にある黒い感情を引き摺りながら俺の言葉を手繰る。旅の果てにV8エンジンのマッスルカーか4ドアのジープを手に入れる。これは予言なんてもんじゃ無い、分かりきった結末なんだ。
その時俺はご自慢の車に誰を乗せているだろうか?親が死ぬまでに間に合うだろうか、何時迄も朋輩と笑って居られるだろうか、それとも全てと引き換えにして1人だろうか?
何処を走っているだろうか、まだ雲の中を走るような気持ちで居るのだろうか?何を失って、何を得る?下手すりゃヒトで居られないだろうな、だが、ドス黒く汚れることを恐れてはならない。もちろん、歩みも止めない。そんな事では今更どこにも行けない、そうだろ?なんで誰も答えねえんだよ、なんで誰も、教えてくれなかったんだよ、Damn!
分かりきった事を言わせるなよ、分かったような口聞くなって、お前ら本当に分かってんのか?お前らがやり損なった分を俺がこうして、聴こえないビートに合わせて、見えない何かの形を探して、今声に出してんだよ。興味ねえんなら立ち去りゃ良いだろ、ムカつくんなら中指を立てろよ、ダセえと思うなら笑えよ、悔しいけど間違ってないと思うんなら頷いてみろよ!
俺の言葉の前でカッコつけんな、昔やってたみたいにマジなリアクションを寄越しな。Yo,誤魔化しきれない反応がビートを打って、それが大きく大きく波打つのが見たいのさ。本気で笑って、本気で泣いて、本気で喜んで、その為なら、あと何回出来るか分からないが、本気で病むほど怒るのも悩むのも、別に悪かねえ。とりあえず生で、で誤魔化さねえ、美味い安酒を飲む為の苦労はするが安酒を上手に飲む為の悪足掻きはしねえんだ。

 なあ、もうとっくにビートもクソも無ェけど、生きるってダセえよな、間に合わせの関係、金のための忍辱、魂の洗濯とやらでしか生き返らない感情、そんな間に合わせばかりで身動きが取れなくなって、おまけにフツーなんてよく分からねえ尺度のおかげで本当のことなんて分からなくなる。擦れっ枯らしでただ生きることに追われることに感じる卑しさが、自分でも正しいかどうか、本当に欲しいかどうかすらよく分からないものばかりで埋まっていく。良いか、コレだけは言っておく、俺はそういうもので身動きが取れなくなって、そしてそれが当然のように良いものだと思い込んでいるお前らを軽蔑して、そして同時に完敗に近い敬意を持っている。分かってるんだよ、フツーに生きるって事がどうしようもなく苦しくて脆いことも、欺瞞と苦痛に耐えて生きてるお前らの底なしの強さも、そして俺がビビって背を向けてる事も!だから俺はお前らと同じ癒やしを求めることに後ろめたさを感じ、同時に擦り減るプロセスの一部にしか過ぎないそいつらを良いものと言い聞かせているお前らに腹も立ってるよ。
だが、俺はそんなことをどうこう言いたいわけじゃない、身に襲い来るリアルなんて普通と同じくらいあやふやで対して良いもんでもないに真正面から立ち向かってるのは俺じゃない、紛れもないお前らなんだから!なあ、頼むよ、何も恥じないで前を向き続けてくれ、胸を張っていてくれ、だが、あの時交わした誇りってやつを忘れないでくれ!
もう一つ、もしこのショーを聴いているやつの中に、存在の虚しさや過去への後ろめたさを覚えながら生きている奴らが居るなら、顔を上げてくれよ。生きるための選択を取れるお前の強さも、テーマ無き日々を生きるお前の誠実さも、いつかは報われる。お前らは、いや、俺らは絶対いけるから!これから合うことも少なくだろうが、合うたびに今幸せか?って聞いてやるよ。胸張っていつでも言ってくれよ、心から幸せだってよ。
 そう、俺は逃げ続けた男、分かったフリしてやるせ無さに酔っていただけのMother Fuckerさ。だからこそやり返しに来たんだよ。長い間俺の中で燻っていた心は、今やっとお前らに向かう時が来たんだ。下手糞でも、軽薄でも、これが借り物じゃない俺の言葉。洗い浚い、だが確実な言葉を選ぶぜ、やっと手に入れた自分の秩序(やり方)で俺等の幸せを祈らせてくれよ、今日はその為に歌いに来たんだ。
Yeah,俺はお前らが戦っている間、ぼんやりと理想や綺麗事に現を抜かしていた。その結果あるのが今の無様な姿と、やっぱり理想や綺麗事は必要ってハナシ!これからが俺の戦いだ、俺が示してやる、もっとマシなやり方をな。

 Aye,俺が口開きゃそこはダンスフロア、誰かをマジで踊らせるモッシュピットを開くんだ。ルサンチマンを化粧直ししたような胡散臭いポジティブもネガティブも、ここに居る時だけでいいから手を切りな。混沌を飲み込み、音と言霊で秩序を生み出し、吐き出して昇華する。どこまでデカく出来るか、デカい口はまだまだ続くぜ、明けない夜が来るまでな。なぁ、朋輩、お前も何かカマしたくなったら、何かを生み出したくなったら、このステージに上ってくれよな。こんなクソッタレの人生にも、この時があるから生きてられるって日があるよな、だから俺ら歌ってるんだろ?精一杯でかい声でさ!


Yo,生き残った俺に黒い感情と悲しい歌を渡して行きな。チャレンジャーのV8エンジンでそいつらをお前らからブッちぎってやらぁ。俺はこれからも重ねていくであろう業を超えていく。俺は受けた恩と仇は必ず返す、全てをチャラにして、後何度登るか分からない朝日を使い果たして、今いる誰かに明けない夜が来るまでに必ず間に合わせてやる。
生きてる奴らとヘニーコークで乾杯、死んだ奴らにアポシックで献杯、居なくなった奴らはスコッチソーダでGood Night!
Yo、繰り返しになるが、気に入ったら今夜くらいはめいめい揺れて行ってくれ、刺さったら持ち帰って日々のどこかに忍ばせてくれ。生きて感じる事全てがエンターテイメント、またどこかでパーティをしよう。総ての感情の起源は愛、スタートもやり直しも遅くはない。今は素直に受け止められねぇけど、今日は言っとくぜ。

I luv Y'all.また会おう。

◇◇◇


 気が付くと運転席に戻っていた。もう俺以外誰も居なかった。拍手があったのかどうかすら、今はもう分からない。
俺の声はみっともなく震えていなかっただろうか。歌詞が飛んだりしていなかっただろうか。非ぬ方向を見て、独りで悦に浸っていなかっただろうか?そんなことばかりが頭を過る。
ああ、やっと一つの区切りがついた、そう思うと疲労感と虚しさが胸に去来した。煙草を吸おうとしたが、どうやら忘れてきたらしい。まだ休めない、という事だ。帰ったらもう一度自分の書いた詩を読み直そう、今日だけは好きな歌を流して、ちゃんと作った酒をゆっくり舐めながら、新しい詩を探しに行こう。
漸く自分の足で歩き出した俺の言葉は、誰かに歩み寄ることが出来るだろうか。そして何処に向かうのだろうか。それを見届けたくなった。

届いた時、また会おう。


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