Track 01.『落雷』/オオヤケアキヒロ
しとしとと霧のような雨が降る、寒い寒い冬の日だった。どうしようもなく煮詰まって、逃げ込む様に部屋へと戻ってきた。
謂われのない罵声と叱責ばかりを突き付けられ、それをポーズだけの仕事しか出来ない馬鹿が陰で笑っているよ、とまた別の馬鹿からありがた迷惑なチクりを押しつけられ、やりたい事とやるべき事のギャップが埋まらない日々を
「もっと真面目にやれよ」
なんて言うふうに頭ごなしに罵倒された、夜勤明けの景色が霞んで霞んで仕方ない昼前。
銀行の手続きが印鑑の朱肉が滲むだとかで一週間ぶり3度目のやり直しを求められ、睡眠不足と日光と苛立ちで既に沸きまくっている頭をどうにか宥(なだ)めながら最近エンジンスタートの音がおかしい車を運転し家路に帰る細い小道で、携帯電話を片手にだらだらと往来のど真ん中を歩く青二才の二人連れにクラクションを鳴らすのを躊躇っていると、件の二人が面倒くさそうに振り返ってへらへらとゆっくり脇道へ逸れていくのを見た時に、既にうまく宥められているか怪しかった我慢の限界が訪れそうになった。
TOKONA-X宜しく、てめーら気を付けして並べ、と吠えたい衝動に駆られた。しかし、落ち着くんだ、せっかくの休み、まだまだタスクは山積みなんだ。
馬鹿の横っ面を往復ビンタして軽快なビートを打つのも結構だが、もっと耳と時間を貸すべき音はごまんとある。そもそもちゃんと確認したら生じずに済む様なミスで手間を増やしたのは誰だよ?決して筋も道義も知らない様な馬鹿に対して謙虚になるべきではないが、付け込む隙を与えた自分にもっとムカついた。自分がちゃんとしていれば銀行員に
「何回同じ事してんだ」
と言うニュアンスを含んだ視線を向けられることもなく、今頃は酒でも飲んで眠っていた筈だ。
怒りを怒りで押さえるのは、自己解決というあまり今後の為にならぬやり方でしかない事にさえ目を瞑って仕舞えば、案外使えない方法ではないのかもしれない。が、他に落としどころがなかったからそうせざるを得なかった、とも言える。Suicidal Tendenciesの“War inside my head”でもカーオーディオから流れていたらちょっとは笑えたかもしれないが、車に乗る前にiPhoneをケーブルに繋ぐことを忘れるほど気が利かないのだからこの顛末もしょうがない。代わりに決壊しかかった堪忍袋からぶつくさと呪詛じみた独り言が流れ出ていた。ロクでもない事を言っていたのは間違いないが、いちいち覚えていない。
いかんせん、冬の雨に冷たい世間の風とやらで、気分は底から冷え切ってしまっていた。その一方で脳味噌は沸き続けていて、その温度差で俺の精神は一気に蒸発してしまいそうだった。くしゃみが出そうで出ないとか、煙草を吸おうとしたのに落としてしまったとか些細な事でも道を引き返してさっきのガキどもを轢き潰し、小便でも引っ掛けているかも知れない。そうなれば残されたタスクどころの話ではなくなるので、ただ運転に集中した。不思議とハンドルを握る手は平素と変わりなかったが、バックで駐車してから車を降りて溜息をつくと、両の奥歯に痛みを感じた。
嗚呼、どうせ雨が降るんなら景気良く雷でも落ちれば良いのに!それも俺に向かって!
煮えきった頭は捨て鉢になっていたが、自棄が吐き捨てた台詞は俺の脳裏ににあるイメージを思い出させた。その雷は俺が知る限り最もパワフルで喧しく、それでいて最も心地よい、鮮烈なエネルギーの塊だった。
それを思い出した途端に、足が勝手に動き出した。
部屋に入った瞬間に羽織っていたグレーのパーカーを身体から剥ぎ取る様に脱ぎ、投げ捨てた。もし人間が脱皮する生き物だったら、しょっちゅうこうしているだろう。玄関を開けてから服を脱ぐまでの間、煙草を咥えるかヘッドホンを装着するか、どっちが先かぼんやりと逡巡していた。
結果として、先ずワイヤレスヘッドホンの電源をオンにして頭を挟んで、それから煙草を咥えると、ソファに腰掛け、右手でスマートフォンに表示されたプレイリストをスワイプしながら、左手でジッポを操作して火を点けた。実際逡巡したのは初動をどっちにするか程度で、後はわざわざ文字に起こす程の思考が在ったわけではなかった。
肉体というのは起用で、極論や二元論だけでは成り立たない世の中でも案外起用にやっていける。そして同時に、ちょっとした事で狼狽え、憤り、躊躇する、繊細で喋りたがりの意識君に
「アンタ、そんなんじゃ喰っていけないよ」
と厳しく言い放ち、置き去りにしていくこともままある。肉体も意識のどちらも悪い奴ではないが、コミュニケーションが取れているとは言いがたい時も多く、両方可愛げがない時もままある。そんな時はエサを与えて仲を取り持ってやるのが手っ取り早い。
こういう時、案外飯や運動ではバランスが取れない時がある。肉体は腹一杯喰いたいのに意識はかけうどんで良いや、などとしみったれた事を言う時もあるし、久しぶりに格闘技のジムへガツガツとスパーリングがしたい意識に肉体の方が全然ついて行けないなんてこともしょっちゅうだ。そして、不完全燃焼のフラストレーションに噛み合わない歯車から引火して、人に向かって爆発したりする。上昇の螺旋は丁寧に根気よく積み上げなくてはいけないが、下落となると拍子抜けするほどシンプルでスムーズ。まるで良く手入れされたジッポのように一仕事を終えてしまう。
そんな時、双方の意見に相違がないのは、案外音楽だったりする。激しいパンクロック、特にBad Brainsはいつ聴いてもそれなりに元気になる。
そりゃそうだ、俺が大好きでしょうがないんだから。取り敢えず今日は絶対に聴かなければいけない、そういう日だ。
液晶の上でホワイトハウスに雷が落ちるアルバムジャケットを探しながら、頭に渦巻く熱は一つの方向へ向かっていた。
あった、これこれ、このジャケット!再生ボタンをタップした。ブラックミュージックで良く鍛え混まれた、激しく疾走するカッコいいパンクロックに、力の限り叫び散らしているボーカル。アメリカのパンクロック、それもハードコアなんて冠詞がつくどぎつい奴ではメンバー紹介で‘Vocal(歌)’ではなく‘Throat(喉)’と紹介する事が多いのだが、ロックバンドにはそれだけ在ればいい物がパンパンに詰め込まれた最高の音楽だ。
音楽でも飯でも、まあ意思を持って作られた物は何事もそうなのだろうが、技術や理論だの話はある程度大事だ。しかし、聴くだけの俺にとって大事なのはその鳴らされている音、厳密に言えばそれが俺の鼓膜に震えて魂だとか心だとか胡散臭い物に届いた時、それらの要素で驚く様な化学反応が起きているかどうか、だ。様々な理論と不確定要素が複雑に入り組んだ結果出来上がった生まれる感動と言う動体エネルギーは、人間がしばし未だ把握、解明出来ていない現象に対して嘗てそう名付けた様に、魔法と呼んでも差し支えないだろう。
そう言う意味でアートはある意味で未だに解明しきれない部分がある魔術だ。そして、ネガティブからとんでもないエネルギーを生み出すパンクってやつはとても美しい魔法の一つだと思う。取り分けBad Brainsは御託抜きでぶっ飛べる。何時でも。ぶっちぎりで、ね。
音楽を聴く時、俺はしばしば詩をスマホを撫でたりブックレットを捲りながら追いかける。魔法を発現させるのに必要なのは呪文だから、詩はまさにそれに他ならない。呪文の意味に思考を巡らせ、心に刻み込むと、魔法の輪郭がより鮮明になり、そしてそれは効き目を更に強固にする、と何処かで信じているからこそ、俺にはまるで教典を読むかのように言葉をなぞる癖が付いた。
言葉を並べるのは一つの行動であり、道具だ。何かに記したり、舌と声帯で空気にしたためたり、色んなやり方があるのだが、俺が生きている世界では、構成物としてそれは大きな要素である。そして、他人に投げかけ、何かしらの外的影響を与えるという意味では、武器であり暴力になり得る。
残念ながら今の時代は、直接殺しに来る方がマシな、銃弾の様に無駄がなく、地雷の様に容赦なく、拷問器具の様に悍ましく、そして猿が喧嘩で振るう棒切れと大して変わりなくどこかに結実するほどの硬さや深みのない、単なる道具としての言葉が溢れている。恐らく生物のコミュニケーションとして最も洗練されていて、そして深遠な奥行きのあるツールをそんな風にしか使えないのであれば、そりゃ世界が一向に良くなる訳なんてない。
世の中は世知辛い事ばかりの様に思えるが、実はそうではない。クソみたいな事の方が強力なだけで、愛するに足りる宝玉も沢山ある。だが、取り扱いや見極めを謝ると、クソに埋もれた宝石に気付かなかったり、輝きに目が眩んで汚泥に溺れる事もある。その中でも一番最悪なのは、何時の間にか美しく澄んだ何かが醜いゴミに成り下がってしまう事、そして、自分が知ってか知らずかその負の連鎖に荷担している事だ。言葉は人の美醜双方に密接に関わっていると俺は思っている。そりゃ、人を癒やしたり励ます事も、ムカつく奴をぶっ殺す事も、口先一つで出来るんなら言う事無ぇわな。道具とは使い続ければ汚れるし、消耗して行く。使い方を誤ればなおさらだ。であれば、可能な限り良いものを選び、労り、修繕し、アップデートしなければならない。だからこそ、俺は魔法を構成する呪文に目を通す。
綴られた言葉の列を手探りに、音に収められた言葉の世界をを覗くと、それこそ詩の数だけ、と言っても良い程の膨大な世界がある。一言でパンクと纏めても、明確に社会的主張を表明するもの、悪辣たる言葉で憎悪を露出させたもの、ただ力強くストレートに葛藤や欺瞞と言った内面を打ち明ける物、諧謔に満ちた物、ただ純粋に詩的表現を目指す物、もちろんラブソングだって沢山ある。似通ったテーマでも、銘々の思いの丈を綴った言葉が音の輪郭をなぞる様に声を通して広がり、始まりと終わりの中に象(かたど)られて一つの作品、物語、世界が出来上がる。そこにはどんなふざけた歌詞でも、ただ感情の起伏で零れただけの徒な言葉は存在しない。愛も憎悪もナンセンスも只の思わせぶりな言葉遊びも、音に乗って人の心に届いて作用する事を意図された創造物だ。
ハードコア・パンクの露骨、強烈な歌詞は、世にはびこる数多の言葉の老廃物をその速度で刮げ落とし、その熱量で焼き上げて、良きにつけ悪きにつけ不純な物を置き去りにする。破壊と再生を両一挙に担う、単純明快にして強力な魔法だ。その魔法を知っているだけで、少なくとも美醜を見極める最低限の力はきっとあるはずだ。誰かの茶々とか噂話だとか、くだらない。俺はそんな雑音じゃ何にも左右されないよ。
何時の間にか煙草は灰皿の上で白く燃え尽き、Bad Brainsは‘How low can a punk get?’でとんでもなく加速し切っていた。もうさっきまで俺に火を付けて燻らせていた、下らない日々がちょっと波打って撥ねた汚れは気にならなくなっていた。
そうすると、今度は闘争心に満ちたBlack Flagが聴きたかった。ポジティブな反骨を歌うGorilla Biscuitsが、愛を歌うBlankey Jet Cityが、力強く一人で歩くFUGAZIの足音が、絶望から希望へのグラデーションが美しいKamomekamomeが。
SAND、Fight It Out、S.O.B、The Clash、DEVO、古い歌も新しい歌も、もっと色んな魔法の世界を覗きたくなった。パンチラインたっぷりのヒップホップもいいな、いいんだよ、俺がパンクだって思ってたら、好きなもん聴いたって。
今日はヘッドホンをつけたままで過ごそう。飯でも食ったら、俺は俺の成すべき事をしよう。この世界で生きて、そして新しい魔法を探すために。そして、俺自身の言葉がそんな力を持つように。
窓の外を見ると、空はまだ乳濁していた。しかし、もう俺の中で嵐は過ぎ去っていた。
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