大きくなったね #福井旅3日目
福井旅も3日目。満点の星空を見ながら振り返る。
むすんでうみだす
ぼくをよく知る方はご承知の通り、ぼくは朝に弱い。ということで今日はゆっくり目にしてもらい、スロースタート。
今日は竹田でイベントがあるというのでメインを竹田においてくれた。その前に行ったのがEIGHT RIBBON。
公式サイトによると丸岡にかつて8社あったチロルリボン(ジャガードリボン)の工場は、2015年に閉鎖されたようだが、それを復活しようとされている。
今回、工場見学は叶わなかったものの、その前にあるribbon's cafeへ。
ここはチロルリボンやセレクトリボンなどを取り扱うリボンと手芸のお店。
それだけではなく、店内のリボンを様々なものに加工できるという場所。
ほだかはここでぼくのスクエアチェキにつけるカメラストラップをくれたが、それだけではもったいないのでスマホストラップを作ることにした。
やはり福井といえば恐竜。
恐竜博物館や福井大学にできると言われている恐竜学部など、恐竜の話題に絶えない。
ということで、恐竜が刺繍されているリボンと裏地には少しくすんだオレンジを選択。
待っている間、いろんな店員さんが様々な話をしてくれ、聞いてくれたりした。
行く先々で奈良を売ろうと奈良の話をしたりするのだが、ここの店員さんはそれを聞き流すことなくキャッチボールしてくれたのである。
「奈良はね日本酒が美味しいよね、買いに行ったりするのよ」とか。
お盆でこの忙しい時に、コミュニケーションの素晴らしさたるや、言うに及ばず。
表面上のコミュニケーションではなく、ああいう質の高いキャッチボールができることに感謝。
質の高いキャッチボールができれば、その場所やそこで起こったことの記憶は色濃く残り、リピートしたり、ロイヤルカスタマーになったりするのだろう。
これこそまさに「むすんでうみだす」ではないか。
ぼくの出身は京都産業大学、創始者の荒木俊馬は産業を「むすびわざ」と読んだ。
産業はその産業一つで成り立つものではなく有機体的に広がりとつながりを持つからむすびわざなんだろう、と拝察しているところだ。
今回のリボンも何かと何かとを結ぶものであり、リボンの存在は結んだものを単なるものから少しいいものへとうみださせる。
どこかそういったものとの関連を感じずにはいられない、貴重な体験だった。
制作中の様子はいずれもribbon's cafeさんのInstagramより
一筆啓上
順番は前後するものの、スマホストラップを作るまでの間に時間があったので丸岡城へと連れて行ってくれた。
ぼくは歴史にからきし疎いので詳細は割愛するが、現存する天守台が少ない中で丸岡城は天守台が残存しているらしい。
天守台からの眺めは後で楽しむとして、訪れたのは「日本一短い手紙の館」。
これは徳川家康の功臣が後の丸岡城主に関連する手紙を妻に送った際の「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という文面が極めて簡潔明瞭で、手紙の手本にすべきという教えやそのエピソードを紹介する建物。
そしてこのエピソードをモチーフにした一筆啓上賞、というものがある。テーマを元に40字以内で誰かに宛てた手紙を表彰するというもので、過去30回の受賞作が展示されている。
それをじっくり読み込みながら、思いを馳せる。言葉の節々に込められた思いやその背景を拝察しながら、自身をかさねる。
自分まで嬉しくなったり、涙がこぼれたり。30回分、鑑賞した時には涙が本当にこぼれてしまった。
昨今、活字やネット上のテキストで思いを伝えることはあっても、手書きで伝える場面は多くない。ぼくはこだわって手紙を書いている方だが、言葉数が多い時も少なくない。
だが、言葉数が少ないからといって「エモい」「ヤバい」では、その言葉が指し示す意味が広すぎて、自身の感情を果たして表現できているのか、怪しい。
もっと適切かつ的確な語句を先人たちはうみだし、定着させてきたろうからその言葉を自身の感情に着せてあげたい、と常々思っている。
あえて少ない文字数で伝えることの難しさ、難しいからこそかけるであろう時間の存在に気づかされた時間だった。
今年の一筆啓上賞のテーマは「時」で、誰でも応募できるとのことなので、ぼくも応募しようと思う。
その足で隣接する丸岡城へ。坂井のまちなみが一望できる素晴らしいひと時。時間がなくてちょっとしかいられなかったが、またゆっくり来てみたい。
温度
今日のお昼ご飯はハンバーガー。丸岡にあるking's 8 dinerの肉厚でジューシーなハンバーガーをテイクアウトし、竹田にあるたけくらべ広場というキャンプ場で食べる。
川辺の木陰で食べるハンバーガーは当然のようにおいしく、非日常だった。目の前の竹田川で遊ぶ子どもたちをみて、食べた後に仲間に入れてもらうようにして、川へ浸かってみた。
ひんやりとしていて気持ちがいい。五感をフルに使い川を少し楽しめたが、川につながる石段付近だけ極端に水が冷たいことに気づく。
そう、石段の隙間から山の湧き水が染み出していた。
温度が違うことで感じる、自然の雄大さ。福井の素晴らしさをまた一つ、痛感した。
大きくなったね
次は、ほど近い水車メロディーパークで行われていた串フェスに移動。
コロナ禍で断絶された地域のつながりを戻そうと、地域の方が中心になり行なっているイベントらしい。
ほだかはもちろん住民なのでいろんな人と話していたが、ぼくは外様なので大概ぼーっと人間観察をしながらゆっくりとした時を過ごす。
あちこちで「〇〇、いくつになった?」とか「××、おおきくなったな」という会話が聞こえる。お盆という時期柄もあるのだろうけど、地域で子どもを育ててきたんだろうか。
また佇むぼくをみかねて「飲み物飲む?」とか「ポテト食べなよ」といろいろ差し入れてくださった地域の方。外様のぼくをみかねてかはわからないが、そのやさしさ・気遣いに痛み入った。
そういえば、ぼくも実の両親や祖父母のみならず、地域で育ててきてもらった。ボーイスカウトではいろんな年代の大人がぼくの成長を見守って下さり、奈良のあちこちでぼくが顔を出した時には「やべっち!」と声をかけ、様々な学びをくださった、方々がたくさん思い浮かぶ。
ぼくの言い回しが少し古めかしかったり、おばちゃんみたいな話し方だったりするのはこういうところからきているのだと感じている。
ぼくはそんな地域に、なにをしているだろうか。どこか目先のことに追われ、あぐらをかいてはいないか。
次代の子どもたちに、なにをしているだろうか。
教育を研究し、仕事としても携わる中でもそう、一住民としてもそう、両親の子ども・祖父母の孫としてもそう、自分の立ち居振る舞いを改めてうんうんと考える時間だった。
こうした時間は何かに追われていると過ごせないし、よし取るぞ、と意を決して取ってもあんまり思考できないタイプのぼくからすれば、見てくれは楽しくなさそうでもとても楽しい時間を過ごすことができた。
人を想うから孤独になる、そうした一つ一つを確かめながら生きている。
奈良に帰ったらやりたいことがいくつかできた。まずはお盆に、祖母へ福井土産を届けるところからだな。
物思いに耽っていたら、また夜が遅くなり、朝が弱くなる。
ほだかへ、申し訳ないけど叩き起こしてください。
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