ザ・アリーナを終えて
終わっちゃったね、ザ・アリーナ。
本当にあっという間で刹那的だった。まさに"夢のような時間"。オーラスが始まる前まではドリボもドームもあるし、あまりラストの感じがしないね〜なんて友人と話していたけど、今はかなりの喪失感に苛まれています。寂しいね。
『ザ・アリーナ』は、改めてSexy Zoneの持つエンターテインメント性がどういうものであるかを、まじまじと魅せつけられたコンサートだったと思います。
彼らがジャニーズ事務所に所属するアーティストとして、誇りを持ってコンサートというエンタメと向き合った結果が、この『ザ・アリーナ』なのではないかな。
「良いものをつくれば自ずと人は楽しんでくれる」という自信が随所に表れていたと思うし、ただただ「良いものをつくりたい」という真っ直ぐな気持ちが痛いほど伝わってきました。
この数年の間、エンタメが人を楽しませることの重要性というのが再認識されているような気がします。エンタメに限った話ではないけど、「当たり前にあるものが当たり前に存在することへのありがたみ」を実感する瞬間が増えて、前に比べて価値がより上がるのは当然の流れかと。
風磨くんはツアー中繰り返して「普通の日々があるからこそ、今日のような日が特別になる」ということを主張していました。でも普通の日々があるのも実は当たり前ではなくて、その上で特別な日があるのもやっぱり当たり前ではなくて。特別な日を特別な日として過ごすには、まず普通の日々を大事に大切に過ごすことから始まるんだろうなと胸に刻んだのです。
よりエンタメの輪郭が色濃くなり、惜しみない輝きと力を持つことが改めて証明されたこのタイミングで、「当たり前が当たり前じゃない」ことをコンサートというエンタメを通じて提示することは、とても意味のあることだったんじゃないかな。
"アイドルがいなくなった世界"もそう。
生まれた時からジャニーズ事務所があって、SMAPも嵐も聖子ちゃんもモー娘。もいて、アイドルのいない世界を私は知りません。アイドルがいる世界が当たり前で、当然の如く私の世界はアイドルなしでは存在しない。
"アイドルがいなくなった世界"は極めて非現実的。
でも、非現実的な世界をこうして見た時に「こんなのあり得ないじゃん」って笑い飛ばして否定できない部分があるのは、あまりにも非現実が身近になりすぎてしまったから。
でも、その非現実を彼らはぶち破った。彼らは自分たちがヒーローになり得ることを知っていて、そして私たちは、彼らが私たちを救ってくれるヒーローだと本気で思っている。
今私たちの目の前にあるのは非現実ではなく、"現実"と"特別"だけ。コンサートの時間は非現実でもなく非日常でもなく、ちゃんと私たちの毎日の中に確実に存在するということを、非現実をぶち破った先に示したのではないかななんて、ぼんやりと考えたりするんです。
コンサート自体虚構でもなく空想でもなく、現実にあるもの。でも彼らはそれを"夢"に準えて、特別なものとして扱った。そしてそれを、私たちとの共通認識にするために共有した。
現実と特別は決して裏表の関係ではなくて、ちゃんと現実の中にある、普通の日々の延長線上に"夢"があるんだよって、教えてもらったような気がします。
普通の日々があるから、夢のような時間であるコンサートがより特別なものになる。
だからコンサートが人生における"ハイライト"であるのを前提として、そこに付け加えるように「普通の日々に寄り添える活動」をしていく中で、私たちの毎日までもを人生の"ハイライト"にしてみせたいんだろうな。
私たちが普通の日々を、大事に大切に過ごせるように。そうしたら、また"特別な日"が必ず訪れる。当たり前が当たり前であれば、必ずきっと。
もう充分、Sexy Zoneのおかげで私の人生は光り輝いていて、最も明るい部分というのは数え切れないほどある。陰があった方が光の部分はより強くなるけれど、折角なら私は陰がなくて光だけがある人生の方がいい。普通の日々も陰にならず、ハイライトであってほしい。そんな我儘を、Sexy Zoneが叶えてくれています。
そしてSexy Zoneにおける最大のハイライトは、きっとドーム公演になることでしょう。だって、ツアーのタイトルは『セクシーゾーン ドームツアー2022 ザ・ハイライト』。もう既に"最も光り輝く"時間になることが示唆されているんだから、最高の予感しかしないわけです。とにかく楽しみ。
Sexy Zoneの皆さん、『ザ・アリーナ』お疲れ様でした。素敵なツアーをありがとう。素敵な夢を見させてくれてありがとう。
次は、ドームで会いましょう!