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海馬のワルツ
つまらなくカレンダーを踏み倒していたらあっという間に11月になりました、こんにちは。
先月も沢山映画を見ました。
日本のもの、海外のもの、好みが偏ってしまってはダメだとどこか言われている気がして年代も関係なく色々見てみました。
ですがどこか退屈で、目を引くものはこれといってありませんでした。
芸術の秋と言うくらいですからなにか良い展覧会があるのだろうと色々探しましたがこれも、無い。なんのための秋だよ、ハロウィンだよ、バカヤロウ。と思いましたがもう20歳にもなったので癇癪を起こすのはやめました。
(とは言いつつサーカスを見れたの良かったですが)
私は結局色々なアーティストのインタビューを読み腐るというところに落ち着きました。
仕事の合間にパンフレットをひらいたりして自分の考えと照らし合わせを行いました。
打ちひしがれるような衝撃と嫉妬で燃え上がるような熱い焦燥感は、それでも得られませんでした。
私ってドMなんだと思う。
年明け頃に《哀れなるものたち》を見た時、終わった時隣にいた男の人は(‐д`‐ll)ウゲーという顔をしていたけど、私はどうしたらこんなめちゃくちゃで美しくて気持ちの悪い作品が作れるんだよ!とめちゃくちゃ怒っていた。と同時にめちゃくちゃ感動した。正直悔しかった。ディズニーランドに行った時と同じ気持ちになった。
それはただ単純に面白いって事じゃなくて、想像力が a+常軌を逸した事実×無限 だからなんだよね。ティーカップをお茶を注いで飲むという行為に使わないんですよ。夢で見た頓珍漢なことって覚えてないけど、あいつらは全部覚えて持って帰ってきてるみたいなものを作るじゃん・・・。なんかそういうのも色々あって所謂 すごい人たち っている場所が違うなって痛いほど思い知らされる。自分はニセモノなんだって思う。
苦しい時に欲しい言葉をくれるものを 人がずっと信じてしまうように、私はずっと過去の出来事や貰った言葉を抱き潰してしまう。
変わっていかないといけないって分かってはいても生に期待はしてしまうし、絶望もする。
母親から貰った財布だってボロボロなのに捨てられない。悔しい。私を傷つけてきたものに対しても怒って突き放すことが出来ない。どこか情けをかけるとかそういう事じゃなくて、ココロの根本的なところが精神的に服従しているから。
布団に潜り込んでスーーっと下の方に落ちていく感覚で眠りにつく。私の世界はずっと孤独で、繊細で、醜い現実を拒絶する。自分とはまた別の誰かが確実に中に、いる。おやすみなさい。目の見えないお姫様。早くキラキラしたものを私にも持って帰ってきてね。