リベラルのススメ(個のあり方編)

なぜ自分はリベラルなのか、その思想的な背景には何があるのかをまとめてみた。個のあり方、社会のあり方、ふたつの側面からリベラルが導かれるが、今回は個のあり方からリベラルを考察していく。

リベラルは自由主義と訳される。何に対する自由なのか。それは、あらゆる人が可能な限りありのままでいる自由だ。(ここですでに違うと言う人が想定されるが、表面的には様々な捉え方があろうとも、根本を探れば私の定義したものになると思う。)思想・宗教・人種・LGBT、障害等を理由に、権利を侵害することを許容しない。それは様々な行為が可能な限り制約されないというだけでなく、その存在のあり方が他者によって差別されないことも含む。その思想は、3つの根本認識から成り立っている。①人は多様であるという当たり前の事実、②その多様な個のあり方は必ずしも自ら選び取ったわけではなく自己という存在を世界によって課されているという事、③人は皆平等である、以上の3つだ。

この「存在を課された」という認識は、リベラルと、さらに自由を重んじるリバタリアンを隔てる大きな溝になる。「課す」という言葉は、『負担すべきものとして引き受けさせる。一方的に負わせる。』などと説明される。「存在を課された」というのは、単に遺伝情報のみを意味するわけではない。生後様々な環境によって形成される個人の人格・信念・思考パターンすらも、一人の人間の力によってコントロール出来るものではない。つまりそれら後天的性質も、課されたものであるという認識だ。

それとは対称的に、人は自ら思考・努力して、意思の力によって変わると考える人がいるだろう。しかし私はそれに反対する。なぜなら、端的に言えば、自由意志とは幻想であり、一人の人間は物理的な瞬間瞬間においてひとつの関数であるからだ。関数というのは、「f(x)=x+1 」などの数式によって記述される。関数は、入力に対して出力は決まっている。もちろん、自己という関数は単に出力を出すだけでなく、入出力によって刻々と自らを変えていく関数である。つまりこの世界(五感)だけでなく、直前の自分自身の関数と出力(脳の状態)も入力として扱われる。このような認識は何を意味するのか。ある人がある人であるのは、その人の「おかげ」でもなく「せい」でもない。その人はなすべくしてその人になる。あらゆる成功者も失敗者も、自己という関数の出力に過ぎない。そこに自由意志の介在はなく、言わば自己という関数を背負って生きている。人は関数によってその人になるように課されている。課したのはその人自身ではない、世界だ。だから人は本質的に平等なのである。

ふざけたことを言うなと怒る人もいるだろう。しかし人間の脳(関数の一部)は脳内化学物質と電気信号で動いている。目は光子を、耳は空気の振動を電気信号に変換しているに過ぎない。これらのうち物理法則に従わないものはあるだろうか?あなたが「自由」に動かしているのだろうか。あなたの意識は物理法則に従って出力されているに過ぎない。(※詳述しないがこれは必ずしも決定論の信仰を意味しない。)

自由意思がないのであれば、罪とはなんだろうか?

少し脱線したが話を戻そう。全ての人は自らの存在を課されている。その多様な在り方が少数であることを理由に権利を侵害されることは許されない。そしてその多様な在り方によって苦や不公平が生まれるのであれば、それを可能な限り緩和する。もし経済的な格差による苦しみがあるのであれば、課税によって再分配する。だからビル・ゲイツに多額の課税を行い、貧困層に配分したり、国家権力の介入に寄って少数者の権利を保護するということに賛成するのである。だが同時に、その多様な在り方を認めるために、自由の制約を嫌う。人が個人として認められるということは、その個人として振る舞うことが大前提にあるからだ。

拙速ではあるが、以上のことから私にとってリベラルとは何かをまとめてみよう。それは、「個として課された存在が、その課されたという性質故に平等に在る権利を最大限に保障する思想」のことだ。そのためには、場合により国家権力の介入を許すことはすでに述べた。

ここで唐突に三浦瑠麗氏の名前を出すのだが、この文章を書こうと思ったのは実は彼女がきっかけだ。彼女曰く、コロナ禍において『リベラルな勢力がこれまで繰り返し私権の制限に反対してきたにもかかわらず、リベラルなメディアが「政府はもっと果断な対応をしろ」と政府に要求しているのはシュールである』とのこと。

何度も繰り返して恐縮だが、リベラルは、平等に「在る」権利を保障するためなら国家の介入を許す。その「在る」ために最も根本的な「生存権」を保障するために、リベラルがどのような結論を出すかは一目瞭然である。リベラルが自由を大切にしているように見えるのは、権利を大切にしているからであるが、「自由」はリベラルの根本原則ではない。









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