団体旅行添乗員の大失態②

ちょうど正午前だったと思う。自宅に母親はいたはずだけど、電話してあったとしても飛行機の出発は16:00。大阪から成田に届けるなんてどう考えても無理。派遣会社に電話すると、派遣会社が可能な限り何とかしてくれる、という業界。でも、エアチケットの搭乗者の変更などになると旅行会社にお願いしなければならない。

私の所属する派遣会社の上司は最善のフォローをしてくれた。

成田空港にも支店があって、そこの社員の方を携帯電話で捕まえて「今からエジプトに添乗行って」とお願いしてくれました。そして、その方も引き受けてくださったのです!!これってホント、奇跡だった。お休みのところ理髪店で髪を切っている途中だったらしい。いまだにありがとうを100回言っても言い足りない、と思う。←それなのにあれ以来、会えていないし、どんなお顔だったのかも覚えていない💦

代理の添乗員が見つかり、航空券の名前の変更ができれば、あとはツアー内容やお客様の名簿、客層などを引き継いであとはよろしくお願いします、となる。

大阪のお客様とも「それではのちほど~」とお別れしてそれ以降、会えなかった。私は急に家族に不幸があって空港を離れたことになっていた💦

もう、どうしようもないよねー。

全ての後処理が終わった後、私は燃え尽きて、猛省が止まらなかった。とまらなかった。落ち込んでどうしようもない気持ち。。。

住まいは大阪だったのだけど、母方の実家が関東だったのでその足でお墓参りをする私。。。これが精いっぱいの私の懺悔となりました。

派遣会社でのお咎めは1か月ほどの自宅待機と活動再開後はひとまず国内旅行添乗の格下げでした。あ、あと、私をアサインしてくれた旅行会社はそれ以降は出入り禁止となり💦

でも、しょうがない!受け入れて頑張ったと思う!もう、20年以上前の話だけど忘れることのできない失態。

いまだに夢でパスポート忘れてばたばた焦ってうなされて起きることあります。トラウマ、とまでは思っていないのだけど体が頭が覚えていて心改めるときがある。

いろいろな失敗があると思うけど、どんな失敗も受け入れることは大事。 それがあったからこうなった、という後のいい感じのストーリーもあったりする。

私の場合、代わりを見つけてくださった上司が独立して違う派遣会社を立ち上げたときに私も使ってくださいと申し出た。そこで得られた私の派遣先のポジションはずっと憧れていたポジションだった。これは私にとって「いいこと」だった。

どんなことがあっても一生懸命頑張れば、報われるときがきっとくる。

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