忘れること、手放すこと -ゆきまるピロトレ日記-
気が付いたら、もう明日から師走でした。おおー!
一年がぐーっと早く流れるようになりました。
ピロトレを主、ヴァイオリンを趣味として位置づけてから、すっきりと心の整理がつきました。
心が軽くなれば、当然体も軽くと言いたいところですが、まあ自動的に軽くなる部分もあるのですが、そこはそれ、人ですから、日々の動きや疲れというものもあるわけで、
そこで、ピロトレです。やっててよかった、ピロトレ。自分で自分の体と心のありようがわかる。修正ができる。
今年は、ありがたいことに、「身体円滑操作法 正指導員」の認定までいただきました。
トレーナーになってから、これじゃいかん、と、懸命についていった結果です。本当に信じられないくらい、ついています!
なので、日常すべてが、「修行」なのじゃ~。身を粉にして、やりこむのじゃ~(時々忘れます、ははは)。
たとえ、心が、少しくらい「くさくさ」していたとしても、体が自然と動いて、憂鬱など吹き飛ばしてこそ、真のトレーナーです。
先日読んでいた本に、「愛す、許す、放す」という言葉がありました。
愛す、これは多分できています。
許す、これは長らくできなかった。許すべきは自分なのです。自分を許してこそ自由な明日があるのですから。でも、やっとできるようになりました。
そして、最後の「放す」。
これはいまだもって難しいです。
許すことはできる、でもその許したことを本当に手放せているだろうか?
実は、心の中にしっかり放さずにしまい込んでいるものが、少なからずあります。
とっくに許してる、でも手放せない。
来年の課題はこれかな?
大好きな村上春樹氏の『神の子どもたちはみな踊る』の中に、過去を忘れられずに引きずって生きている女性に、タクシードライバーが話しかける場面があります。以下引用。
『あなたは美しい方です、ドクター。聡明で、お強い。でもいつも心をひきずっておられるように見える。これからあなたはゆるやかに死に向かう準備をなさらなくてはなりません。これから先、生きることだけに多くの力を割いてしまうと、うまく死ぬることができなくなります。少しずつシフトを変えていかなくてはなりません。生きることと死ぬることとは、ある意味では等価なのです、ドクター』
手放して、また新しいことを手にする、それを繰り返して、いつも新鮮な自分でいたい。そう生きようと願う、今日この頃です。