アルバイトクビ、新卒時代内定ゼロ・・・そこからパラレルワーカーになるまで~Part.2~
この記事はアルバイトクビ、新卒時代内定ゼロ・・・そこからパラレルワーカーになるまでのつづきです。
シンガポール内定と内定辞退~派遣スタッフに
最終面接に進んだのはたった1社だった。しかも有名なブラック企業。
私は最終面接を無断で欠席した。ベッドの上で企業からの「また日程調整しますね~」という電話を受けたのを覚えている。
やっぱり海外に行きたかったので海外にしぼって就活していた。縁があってシンガポールの日本語学校と面接をした。
しかしその面接の担当者にすら、新卒で日本語教師は勧めないと言われた。
しかもビザが取れるかどうかの保証がないとまで言われた。
ゼミの先生からも心配の電話が来た。「ちゃんと考えているの?いきなり海外で大丈夫なの?」と。
新卒ってそんなに大事なの?
もうそのころには周りは内定をもらい、企業のエントリーもすでに終了しているころだった。
急に不安になった。このまま貯金もゼロで、海外に行っていいのか?
結果、内定を辞退することにした。
駆け込みで派遣としてモバイルショップでバイリンガルスタッフとして勤務することにした。
1ヶ月で退職~中国留学
そこでの勤務は1ヶ月で終わった。
後の自己啓発から分かったのは、私にとって何より大切なのは”仲間”。
仲間がいないと頑張れない本質なのである。
職場の人間関係になじめず、上司が陰で悪口を言っていたという理由が決め手となり退職。派遣元にもさんざん文句を言われた。
もう後がなかった。大学時代からのアルバイトを細々と続け路頭に迷う。
そんなときに浮かんだのが中国留学だった。
学生時代に行きたかったが、休学でも学校にお金を納めたいといけないと聞いて諦めていたのだった。
行くなら今じゃないのか?
そこからいろいろ調べて、日本人に特化した強化班+インターンをやっているエージェントを見つけ速連絡。申し込みをしてからはとんとん拍子だった。つなぎで短期の派遣をやり、8月末に生まれて初めて北京の地へと降り立った。
中国で働きたい
北京での生活は私にとって人生史上最高の思い出となった。
アメリカ留学より楽しかった。私の肌に合っていたのだろう。
ずっと北京にいたかった。でも就労ビザを得るには2年間の日本での就業経験が必要だという。
そこで一度日本に戻って働き、その後中国就職を果たした。
北京での求人は少なく上海に行ったが、いずれはまた北京で生活したいと思う。
パラレルワーカーとして生きる現在
中国にいる時に、紹介で日本語を学びたいという学生を知り合った。
私の個人事業はそこからスタートした。
駐在員に中国語を教える機会にも恵まれた。
そのあとライターのお仕事もいただき、昼間のお仕事+ライター+日本語教師+中国語教師というパラレルワークをスタート。
私の本格的なパラレルワーカーとしてのキャリアは中国がスタートだった。
日本に帰国後もライターのお仕事や上海で知り合った日本語の学生とのオンラインレッスンを継続。
現在は幅を広げてWEB制作や翻訳、恋愛カウンセリングなんかもやっている。
ともかく飽きっぽい私にはこういった働き方が合っているなとつくづく思う。
これからも自分の好き!と得意なことを掛け算にしたものを仕事にして生きていきたい。