アルバイトクビ、新卒時代内定ゼロ・・・そこからパラレルワーカーになるまで
逃げるようにして中国留学に行った。
学生時代のアルバイト
大学1年生、美容院で生まれて初めて髪を染めた。新生活にワクワクした。
母が駅前のアルバイト募集チラシを見つけてくれ、私は某古本屋でオープニングスタッフとしてアルバイトをすることにした。
実は高校生の時にも近所の中華料理店でアルバイトをしていたことがあったが、お客さんの足にスープをひっかけてしまいクビ、その他の面接も受からなかった。
初めてのまともなアルバイトだった。
バイト先の人たちともすぐに打ち解け、毎日アルバイトに行くのが楽しみになっていた。
しかし、売り上げが思わしくなく半年後には人員削減を迫られてしまった。
そこで、6人ほどいるアルバイトから私ともう一人の男の子が辞めさせられてしまった。
どうやらレジなどでテンパるのがいけなかったらしい。当時はテンパった自覚もなし。
しかし当時からパラレルワーカーだった私。古本屋で働く傍ら、コンビニと塾講師のアルバイトも並行していた。
しかしコンビニもシフトが週1しか入らず、いわゆる”干された”状態に。
オーナーに理由を聞いてみると”接客がイマイチ”とのこと。
自分なりに一生懸命やってたつもりだったのだが・・・
アメリカ留学~芽生えた海外就職への希望
人生行き当たりばったりだった私は大学2年時にアメリカ留学することにした。中国留学とアメリカ留学どちらに行くかで迷っていたが高校の恩師の「両方行きなさい」という言葉が後押しになった。
帰国後、私は海外での居心地の良さの恍惚とした感覚からなかなか抜け出せないでいた。日本食はおいしいし、家族のそばはやっぱり落ち着く。でも、あの第2言語が通じた時の喜び、行ったことない地に行くワクワク感、何よりも日本人のコミュニティの中では浮いていた”ワタシ”を受け入れてくれた環境が忘れられなかった。
アメリカは自由だ。髪が赤かろうと青かろうと、冷めた目で見る人はいない。
ずっと中国人とのミックスだって言えなかったけれど、アメリカにはアジア系アメリカンもいる。私なんてなんのイレギュラーでもない。
そんな環境が心地よかった。
狂ったように海外へ行く日々~日本語教師養成講座への通学
海外へのワクワクに味を占めた私は、帰国後も海外旅行へ。
今までは家族でしか行ったことない海外に一人で行けるようになっていた。
当時大好きだったArctic Monkeysのギグを現地で見たいがために、シェフィールドへ。
そのあとも現地の友達に会いに台湾や韓国にも行った。ベトナムはお母さんと、卒業旅行でタイにも行った。
観光も好きだったが、何よりも現地の人と関わるのが好きだった。
どうしても海外で就職したかった私。
いろいろ調べてみると日本語教師という職業があることを知る。
すぐに日本語教師養成講座に申込み。
海外で日本語教師として働く自分がありありと浮かんでいた。
平日は大学・土曜日は日本語教師養成講座というダブルスクール兼100円ショップ・コールセンターでのダブルワークという今思うとこのころから掛け持ち精神があったんだなということをやっていた。
ともかく楽しかった。
就活もやっていた。
その頃は大学3年生、みんなが就活やってるもんだから一応就活もやっていた。
せっかく留学したんだから、絶対英語を話せるところ!海外駐在できるところがいい!と思っていた。
でもことごとくエントリーシートの段階で落とされる日々。
笑顔の写真を送って不採用だったときは全否定された気持ちだった。
エントリーシートを書いている途中でめんどくさくなって応募自体を辞めた所も多い。
今思うとそれだけ本気度を確かめられていたのだろう。
なんだか自分が選ぶのではなく、いかに選ばれるように努力するかという新卒就活に違和感を持ち始めた。