はじけるトマト
未知のウィルスに世界が侵されるというSF映画のようなことが現実となった。当初「そこまで深刻なことにはならないだろう」と思っていたが、今となってはその考えが間違っていたことがよくわかる。
日常とは、常に日々当たり前にあるものと思ってしまいがちだが、それは当たり前ではなくたくさんの人々のつながりの上に絶妙なバランスで成り立っている。このバランス、いとも簡単にくずれるほど本当に繊細。例えば、一枚のコットン100%のTシャツを作る工程を見ると、綿畑の土づくり、種子の確保、種苗、肥育、草刈、害虫駆除、収穫、紡ぎ、染色、織り、裁断、縫製と、大まかにいってもこれだけの手間がかかる。綿製品の工程でこれなので、代表的な工業製品-自動車のサプライチェーンなどは相当に広く長いものだということが想像できる。そしてこの工程のどれか一つでも欠けるとTシャツや自動車は作れない。それそれの工程に多くの人が関わり、バトンを繋いで形となる。2020年春、このバランスが崩れた。いや、バランスが崩れていることが露見した、というのが正しいか。
地球上には70億超のヒトが生息する。この個体数は生物学的にはあり得ないほど、他の動物に比して圧倒的に多い。この人口を維持するために膨大な量の食料を必要とし、近代的な生活のためのエネルギーを消費する。はたして地球は70億のヒトを養いつづけることができるのか。ヒトが地球に与える負荷は自然の循環サイクルを逸脱し、後戻りできないさまざまな環境問題を生み出している。食料、水、資源、森林、海洋、大気..... 自然由来の環境問題に加え、人種、ジェンダー、宗教、政治などヒト固有の問題も数多くあり、これらも繊細なバランスの上に成り立っている。
一方で今回の自粛に伴う経済活動の抑制により、空は晴れ渡り、星がきれいに見え、空気が美味しく、道路や電車が空いていて、家族と一緒の時間が増える、といった「常からこうあれば良いのに」と思える理想が現実となった。経済とのバランスをとらずして現代社会は成り立たないが、この理想が期せずして現出し、少なくともやればできるということが証明された。
目指すべきところが見えた。
産業革命から20世紀までは経済活動と環境はトレードオフが通念だったが、今、持続可能な経済活動を作り出す千載一遇のチャンスである。普段の生活、その中でもまずはわたしたちの携わるファッションにおいて、「そこまで深刻なことにはならないだろう」という考えを捨て、「少しづつできることから変えていく」ことが次へのバトンとなる。
トマトは熟すと濃赤色となり、その後裂果する。裂果する直前の熟したトマトが今の地球に見える。
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