シアワセノミツケカタ
五輪が開催できなかった2020年。五輪を開催した2021年。きっと1995年や2011年と同様に、私たちの記憶に長く留まる年となることだろう。「なかった2020年」と「あった2021年」の違いが私たちに残した分断。事は単純な二軸の対立ではないだろうが、なぜなくて、なぜあったのか。理由が不明確が故に賛成と反対の意見がぶつかる。感染症への対応では、世代、職業、健康状態、思想などにより一人ひとり捉え方が異なり、ここでは二軸どころではない思惑が錯綜する。既に欧州やアメリカで先鋭化していた分断の波が、今回日本でも顕在化した。政治や経済をめぐる健全な議論は民主主義の基本であり対立軸が無くなることはないが、市井の民の日常に暗い影を落とし、閉塞感が募り、互いに疑心暗鬼の今の状態が健康とは到底思えない。
一度立ち止まってみてはどうだろう。自分にとって、幸せとは何か、自分自身に問いかけてみる。手段ではなく最終的な目的を考えてみる。極めて個人的な自分だけの目的。その上で、目的に到達するための心地よい道のりを思い浮かべる。誰とどうして進もうか。のんびり歩むもよし、早足、全速力、時には少し退がってみたり、寄り道してみたり。そんなことを考えながら彼方に向かって歩みだす。昨日より一歩前に進む。
走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく
誰にも言えないことは どうすりゃいいの? おしえて
急ぐ人にあやつられ 右も左も同じ顔
寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ すぐに
嘘でごまかして 過ごしてしまえば
たのみもしないのに 同じ様な朝が来る
走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく
だから歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう
嘘でごまかして 過ごしてしまえば
たのみもしないのに 同じ様な風が吹く
急ぐ人にあやつられ 言いたい事は胸の中
寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ いつも
走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく
僕は歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう
(斉藤和義「歩いて帰ろう」)
ああ、心地よい。嬉しい。楽しい。幸せ。
そう思える日々を過ごすことは、実は難しいことではない。目的に向かっているという実感があればシアワセ。そのカタチは十人十色。大事なのは自分が思うシアワセノカタチ。
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