欲望を肯定する
新年早々、このマガジン(「潔癖さについて」)を更新することになるとは、自分でもちょっと予想外でした。
一年前の自分に比べると、心持ちが随分楽になったなあ、生きやすくなったなあ、と感じることが増えたので、そのきっかけについて、つらつら書いてみようかと。そして、これが一応の最終回のつもりです。
●「ゆるせなさ」を解除する
自分を悩ませていた「潔癖さ」については、ひとまず納得のいくところまで脱却できたのではないかと思う。それは「出口のない自家中毒的な生活」に「出口ができた」からなのだろう。
以前よりは、自分の欲望や気持ちの浮き沈みに素直になり、手放す先を見つけ、またそれを客観的に見る余裕が生まれた。
自分の中にある「潔癖さ」というのは、「ゆるせなさ」に近かったようだ。
私はずっと、誰かを好きになったり、好かれようと媚びたり、繋がりを求めようとする自分を「ゆるせていなかった」。
相手と接触を求める自分が、気持ち悪く、受け入れられない状態だった。
自分の欲望が誰かを傷つけるのではないか・怒らせるのではないか、とひどく怖かったようだ(たぶん、この「誰か」というのは、私の心の中の「両親」だったのだろう)。
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