崖っぷちのはにわり 第12章 母の愛した東尋坊
この旅館にバイトに来てもう2週間が過ぎていた。
目的の1つである墓参りに行こうと思っていた。
8月中旬の暑い日だった。仕事も一段落して休憩していた時に旅館の女将である叔母がやってきた。
「夏音ちゃん、墓参り行くんやろ? 明日、朝忙しくなる前にちょっこし行ってくるかね。車で送ったげるで」
「良いですか? 朝食の準備とか忙しいですけど」
「だいじょうぶやよ、皆にいってあるで」
「ありがとうございます、早起きしますのでお願いします」
「そうね、朝6時くらいに出よか。こっから20分くらいの所やで」
翌日の朝は、少し早めに起きた。
着替えを済ませ玄関に出ると叔母が待っていた。
「お花、用意しといたから。はよ行こか」
墓参りは、人生初の出来事だった。
母の墓が福井県にある事を知ったのは、川谷家に養子になる時に養父が調べてくれた時だった。
あれから4年。やっとの思いで念願がかなった。
車に乗り車中で母の話になった。
「私、子供の頃、母に捨てられたと思っていたんです。父からは、お母さんが勝手に出ていったって聞かされていて。幼い頃の母の思い出は、ほとんど無いんです」
「ほやったんかい。それは、かわいそうに」
「養子になるまで母が亡くなっていた事も知らなくて」
「そうやな、あれは、確か12年位前やった。あんたを連れて一度だけここに泊まりに来たことがあったんや。そん時は、うちも忙しゅうてな。あんまり話ができんかったんや。ほやって、ちょっこししか知らんのよ。こんなことになるなら親身に悩みを聞いておけばよかったって後悔してるんよ」
叔母が生前の母の事を話してくれた。
叔母の名前は、田中幸子。
母の従兄弟にあたる。
母の旧姓は、中本だった。
中本千鶴。これが母の名前だった。
幸子と千鶴は、幼い頃、近くの神社で良く一緒に遊んだ仲だったと言う。
母が若い頃、中本の実家は、祖父が病弱で入退院を繰り返していた。
一人っ子だった母は、父との結婚を反対され駆け落ち同然で家を出ていった。
それから、5年ほど経ったある日、私をここへ連れて帰ってきたらしい。
もう、その時には、母の癌がそうとう進行していたようである。
「ほんでな、実家が大変で、幼いあんたを連れて帰ることは、無理だと思ったんやろ。あんたをお父ちゃんの所に置いて実家に戻ったんや。ほんで間もなくのことや。千鶴ちゃんが亡くなったて知らせが来てな。内々で葬儀を済ませた後やった。その後、相次いで実家のお父さんとお母さんが亡くなったんや」
不幸は、連鎖するのだろうか。何だか話を聞いているうちに悲しくなってきた。
「夏音ちゃんがこんなに苦労してるなんて思わなんだで。・・・すまなんだな」
間もなくお寺についた。
静かな森に立つお寺だった。
叔母に連れられて墓前に立つ。
お墓は、誰かが奇麗にしてくれているようで新しい花が供えられていた。
お花と線香を供え、手を合わせ祈りを捧げた。
「お母さん。やっと会えたね。私は、今、川谷さんの養子になって頑張って生きてるわ。とても優しい人で幸せに暮らしているよ。時々私の夢の中にも出てきてね」そんな事を心のなかで母に語りかけた。
帰りの車中、母への思いが募っていた。
あの朧気な記憶の中に残る海の景色。
夢の中に見る海岸の景色が単なる想像なのか現実だったのか確かめたかった。
道すがら聞いてみた。
「ここから東尋坊って遠いんですか?」
「ああ、東尋坊は、すぐそこやで、ちょっこし見ていくかね」
東尋坊の駐車場は、早朝ともあり人影もまばらだった。
駐車場に車を止めて商店街を歩いていく。
早朝の静かな商店街を抜けると広場があり柵の向こうに青い海が広がっていた。
荒々しい柱状の岩が切り立つように立っている。
大地の断崖は勇壮というより壮絶で、日本海の波が打ち寄せる岩肌は、大迫力だった。
「きれい! 夢の中に出てくる海岸よりぜんぜん美しいわ」
潮風が心地よい。
なんて素敵なんだろう。
きっと、母もこの荒々さと美しさを併せ持つ海を愛したんだろうなっと思った。
「あー夢じゃなかったのね。良く夢に出てくる風景は、これだわ」
「千鶴ちゃんもここが大好きでよく見に来てたから。きっと貴方を連れて来ていたはずよ」
「ここは、私の原点だ」
改めて私のふるさととしてこの海の感動を心に刻む。
少し母の、波乱に満ちた人生の片鱗を見られたような気がする。
欠けていたピースの一つが埋まった。
こうして、再びバイト生活に戻り慌ただしさの中、少しずつ自分を取り戻して行った。
あっという間に約一月が過ぎ、バイトも最終日を迎え別れの時がやってきた。
人生で、これほど充実した時間を過ごしたのは、初めてだった。
来たときと同じリュックを背負い旅館の玄関前に立つ。
駅までの送りの車が待っていてくれていた。
叔母と椎名さんが見送りに来ていた。
二人の顔を見ると込み上げてくるものがある。
「叔母さん、椎名さん。大変お世話になりました」
「夏音ちゃん、またバイトに来てね。おばさんいつでも待ってるから」
「川谷さん、勇気を持ってがんばって生きるのよ。困ったことがあったらいつでも相談のるからね」と椎名さんが励ましてくれる。
「ありがとう……ぜったい、また来ます」
車に乗り込むが涙が溢れ出す。
母の、愛したこの町、そして美しい東尋坊。
私は、忘れない。
誰も信じられなくなっていた自分を変えてくれた優しい人たちがいる町を。
つづく