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崖っぷちのはにわり 最終章 東尋坊の夕焼け

 理科準備室から私と隆一くんが教室へ帰ると白石さんの席が空いたままになっていた。

あたりを見回して白石さんの姿を探したがどこにもいない。
「あれ? 白石さんがいない」
少し不安がよぎった。

「あいつ、忘れてどっか行ってるんじゃない」と隆一くんが言う。
不安な思いで席につくと間もなく白石さんが席に戻ってきた。
どうしたんだろう? 
結局こなかったのか、本人に聞いて見ようか迷った。
しかし、隆一との事で心が動揺していた私は、何か後ろめたい気持ちで聞くに聞けなかった。

 放課後、帰り支度をしていると白石さんが私の席までやってきた。
「川谷さん隆一のこと好きなの?」
「えっ、私達そんな関係じゃないから」
「うそでしょ! 嘘つかないでよ。あんた達見てたのよ理科準備室で」
「いたんですか? 準備室」
「いたよ、ずっと。見てたわよ、全部、あなた達の事。ほら、これ見てみな」
白石さんがスマホを私に見せる。
そこには、私が隆一くんの胸で泣いている動画が写っていた。
「これって……」
驚いて言葉に詰まる。

明らかに私と隆一くんがだきあってるように見える。
「何か言い訳できるの? ねえ川谷さん」
どうしよう。
一難去ってまた一難どころか更に上塗り状態だった。
この状況は、エンドレスで続くのだろうか。
「どうしろって言うの?」
「あんた、付き合ってないって言ったわよね。ねえ!」
明らかに怒ってる。
私は、動揺してしまった。
「付き合ってなんかいません」何だか悲しくなってくる。
「じゃあ二度と隆一くんと話をしないで。できるわよね付き合ってないなら」
「そんな、話をするななんて……どうして貴方からそこまで言われなきゃならないの?」
「どうなってもいいの? ゆいも巻き込んじゃって。一応言っておくけどカラオケルームで貴方の事を聞いていたのは、私だけじゃないからね。私を恨まないでね」

この瞬間、私は、もう諦めた。
もう、どうなってもいい。
カミングアウトして受け入れられなければこの学校を去ろう。
その時、ゆいの事が頭をよぎる。
私は、どうなっても構わない。
しかし、ゆいの事は、何としても守らなければならない。

「わかったわ。もう隆一くんと話さないわ」
「わかればいいのよ。でも裏切ったらただじゃおかない。忘れないでね」
そう言って立ち去る。

 ああ、最悪。どうしたら良いんだ。
色々なことが頭を駆け巡る。
ゆいの事、隆一への思い、私の体の事。
何をどうしたら解決できるのか。
今のこの状態からどうやったら抜け出せるのか。
私がこの世から消え去れば解決するのか。

 悩みながら駅に向かって歩いている私に隆一が声を掛けてくる。
「よお、夏音ちゃん。一緒に帰ろう」
よりによってこんな時に、白石さんに見られたら大変だ。
「……」
返事もしないで早足になる。
「どうしたの? 何かあったの?」
早歩きをする私に必死に付いてくる隆一。
「ごめん、一人にしておいて」
そう言うのがやっとだった。
隆一は、諦めたように速度を落とす。
「どうしちゃったんだよ夏音」

その時の私は、前の高校でのいやな思いが蘇っていた。
SNSでの誹謗中傷の拡散は、私の心を蝕んでいた。
スマホの電源を切ることしか考えられなかった。
 
 疲れていたのだろうか頭痛がする。
帰宅した私は、鎮痛剤を飲むと力なくベットに倒れ込むように寝てしまった。

 何時間寝たのだろうか、目が覚めると、まだ回りは薄暗い。
時計を見ると5時だった。

机の上には、ラップされたおにぎりが置いてあった。
スマホの電源を入れてみる。

画面が開くと着信のメッセージとメールがいっぱい来ている。
見ると、ほとんどが隆一とすばるからだった。

隆一「夏音、心配している。すばるちゃんも心配してるよ。何があっても僕は、夏音の味方だよ。困ったことがあったら何でも相談して」
すばる「先輩! 心配です。何度電話しても出てくれないし。メール返信ください」

 私を心配してくれる隆一とすばるの思いが身にしみる。
こんな私でも心配してくれる人がいる。

幼い頃は、友達も居なく一人で部屋の隅で泣いていた。
孤独だった。道端の隅で石ころのように風景に溶け込み誰もその存在自体を気に留めない、それが自分だと思いこんでいた。

でも、今は、違う。こんなに心配してくれる人がいる。
そう思うと自分が人なんだと認識できる。
誰かが、気にしてくれる人間なんだと。
 少し勇気が湧いてきた。
どうなるか解らないけど一つずつ解決していこう。
そう決意した。

 その日いつもの通り学校へ登校した。
教室に入り席に就くと隆一が声を掛けてきた。
「おはよう、夏音」
「おはよう、隆一くん。昨日は、ごめんね。心配掛けて」
「あー良かった。心配しちゃったよ。どうしたのかと思って」
「うん、ちょっとね。問題発生で……」

白石さんの方をみると私を睨みつけている。
まずい、ちょっとこの場は、静かにしないと何が起こるかわからない。
「ごめん、今話せないんで。また後で」
隆一は、白石さんが睨んでいることに気がつく。
「何? 白石になにか言われたの」
「あとでね」
そう言って教科書を取り出し授業の準備をする。

 2時間目の授業が終わり休み時間になると白石さんの回りがざわめいている。
数人が集まり何かを見ている。ざわめく人たちが一斉に私を見る。
瞬間的に解った。
あの動画を見せていることが。
血の気が引いていく自分が解った。
隣に座る隆一に声を掛けた。
「ねえ、隆一」
「何? 夏音ちゃん」
「昨日の理科準備室、白石さん居たのよ。準備室のカーテンの影に」
「えー、居たの? って事は。聞かれちゃったって事」
「スマホに動画撮ってたのよ」
驚いた隆一が立ち上がり白石さんの方を見る。
「なんてやつだ」
「今、皆にそれ見せてるのよ」
白石さんの回りに居る人達が増えていく。
何か一生懸命白石さんが皆に話している。
もう、何を言っているのか想像できる。
クラスのざわめきが大きくなる次第に悲鳴を上げる人も出てきた。
「なんてことだ! やめさせなくっちゃ」
隆一が白石さんの方へ走っていく。

 騒いでいる人の中から金井くんが近づいてくる。
金井くんは、普段話しをしたことがない。
「よお、お前、両性具有なんだってな。どんな風になってんだよ。お前のそこ。俺に見せろよ」
驚くと言うより呆れた。
なんて奴だ最低。

立ち上がる私のスカートの端を掴み捲くりあげようとしている。
「やめてー!」悲鳴をあげてスカートを抑える。
隆一が止めに入りもみ合いになった。

 騒ぎを聞きつけた先生が教室に入ってくる。
「お前達何やってるんだ」
一瞬騒ぎが収まり静けさが戻る。

休憩の終わりを告げるチャイムが鳴る。
生徒たちの喧騒が収まり席につく。

「どうした? 何があったんだ」
先生が教壇に立って皆に聞く。
皆黙っている。

金井くんが手を上げて立ち上がる。
「先生、吉川の奴が俺を殴ったんです」
隆一が血相を変えて立ち上がる。
「ふざけんなよ。お前が川谷さんに乱暴していたからだろう!」
「だってよ、ふざけただけじゃん。本気じゃねーし。誰だって興味あるだろ、ああ言うのって」金井が言い訳する。
先生の顔が険しくなる。
「何だって? ああ言うのって何だ?」

白石さんが手を上げる。
「川谷さんは、両性具有なんです。それを隠してたんです。そんな人がいれば騒ぎになっても仕方ないですよね。先生!」

私は、その場に居た堪れない位、嫌な気持ちになっていた。

「ちょっと待った」ゆいが立ち上がった。
「どうして、両性具有がいけないんですか? 川谷さんだって好きで生まれてきた訳じゃないんだし」
「あれ? ゆい、そんな事言って良いの? あんたも知られたくないことあるわよね」と白石さんが言う。

まずい、白石さんの持つ切り札を出されゆいを巻き込んでは、ならない。そう思った。
「待ってください。もうこれ以上私の事で揉めないでください。私がいなくなります」

 私は、立ち上がり教室をそのまま飛び出した。
「待て、川谷!」先生が呼び止める。
隆一くんも後を追おうとするが先生が制止する。

 誰も居ない廊下をひた走る私。
涙が出てくる。
『もう、いい。こんな学校、未練は無い』

そんな思いで北千住駅に着いた。

 駅まで必死に走ってきた。
汗でまみれた自分が惨めに思えた。

 私の気持ちは、悲壮感に襲われていた。
世間は、私の存在を許さないのだ。
「もう、終わりにしよう」

 家に着くと母は、不在だった。
着替えをして便箋に手紙を書いた。
「少し疲れました。旅に出ます。探さないでください」
手紙を書いてリビングのテーブルに置く。

 リュックに着替えを詰め込んで家を出た。
行き先は、東尋坊だった。
母の思い出が詰まった東尋坊の、あの景色をもう一度見たかった。
何かそこに答えが待っているような気がした。
ただそれだけだった。

 電車を乗り継ぎ三国港駅に着いたのはもう夕暮れ迫る午後5時だった。
閑散とする駅前は、人通りも少なく静かだった。
駅前のタクシーに乗り東尋坊へと向かう。

 運転手さんが私に尋ねてくる。
「あのーお客さん高校生みたいやけど、どっからきたん?」
「千葉県です」
バックミラー越しに私を見ている。
「一人旅かね?」
「……」
「ほやって、何か心配事でもあるんかね。ちょっこし寂しそうな顔やけん」
「はあ、ちょっと悩みがありまして。気分転換に東尋坊の景色見ようかと思って」
「なんね? 心配事って」
「……」
「いやね、東尋坊は、身投げしちゃう人もおるんで、一応ね、一人旅の女の子には、声かけとるのよ」
「身投げですか。あんな高い所から落ちたら死んじゃいますよね」
「そやそや、死んじまうで。死なんかて大怪我じゃすまんで。痛いで、落ちたら。ほやけん早まった事せん方がええでぇ」
「大丈夫です。飛び降りません。私、本当に東尋坊の夕焼け見たいだけなんです」
「そぉかー、そりゃすまんかったね。ほや、もうすぐ夕暮れや、今日は、天気いいで夕焼けも綺麗やで」
「ありがとうございます。心配してくれて」
「なんのなんの、気にせんといてな」

 東尋坊に着いたのは、午後5時半位だった。
夕暮れ時とあってあまり観光客もいない。
しずかな夕暮れの東尋坊の景色は、圧巻だった。

 静かに沈む夕日。
雄大な岸壁に打ち付ける白波がオレンジ色に染まっていく。
なんて美しいのだろう。見ているだけで心が洗われていく。

 何もかも忘れられるそんな気分に酔いしれていた時、聞き覚えのある声が私を呼ぶ。

「かのん先輩! 駄目です! 早まっちゃだめです」
振り返るとそこには、隆一とすばるの姿がある。

駆け寄ってくる2人。
「夏音、大丈夫か?」隆一くんが聞いてくる。
2人がここに来た事に驚いてしまった。
「あれ? どうしたの貴方たち」
「落ち着け夏音。早まった事をしないで!」

すばるが泣いている。
「だめです。死んじゃだめです!」
「何言ってんの?」
「だって、飛び降りる気なんでしょ?」隆一が言う。

 やっと意味がわかった。
私が飛び降り自殺するんじゃないかと心配して駆けつけてくれたんだと。

「あー、ごめんね。心配かけて。でも大丈夫よ。飛び降りないから」
「よかったー。もう心配しちゃったよ。自殺しちゃうんじゃないかって」
「夏音先輩!」
私の腕に絡みつくすばる。
「私、東尋坊の夕日、見に来ただけよ。でも良く解ったわね。ここに来る事が」
「バイトの時に東尋坊に行った話を聞いていたから、ここかなって思って。夏音が飛び出してすぐにすばるちゃんに連絡して来たんだ。ここにいなかったらどうしようと思ってたけど、良かった、ここで会えて」
「ごめんね。私、限界を感じちゃって、もう学校やめようかって思ったの。何もかもリセットしたいなって。でもね、ここに来て夕日を見ていたら気持ちが変わったわ。もう一度チャレンジしてみようって」
「もう一度チャレンジするって学校に来るってこと?」
「そう、逃げてばかりいても同じことの繰り返しでしょ。だから、思い切ってカミングアウトしてみようかと思うの」
「そうか、それならば僕も協力するよ。きっと皆わかってくれるよ」
「すごいです。先輩! 私も協力します」
すばるが私を見上げ微笑んでいる。
 夕日が沈み掛けている。
「見て、ほら、すばる。夕日が綺麗よ」
3人で並んで海を眺める。
「綺麗だね、海」隆一が言う。
「確かに綺麗な景色だわ」すばるも遠くを見つめながら言う。
「綺麗よね。私、この景色見て勇気がわいてくるの。もう少し頑張って見ようって」

 夕日が海に沈みかけ水平線が茜色に染まっている。
「ほんと、綺麗だわ。夏音先輩の横顔も素敵です」
すばるが私の横顔を見つめてる。
「やだー、見ないでよ。海見て、ほら、あっち」海を指差す。
隆一が二人を見て微笑んでいる。

「バイトの時に叔母さんから聞いた話なんだけど、私の名前、お母さんが付けてくたらしいの。生まれた私を見て観音様みたいだって。観音様って性別が無いのよ。それで夏音て……」
「へー、観音様から夏音なの、全然わからなかった」

 隆一が沈みかけた夕日を指さし、
「ほら、夕日がもうすぐ沈んじゃう。写真撮ってあげるから、そこ並んで」
隆一がスマホを取り出しカメラを構える。

「うれしー、先輩と、こんな綺麗な場所でツーショットなんて」
すばるが私の顔を潤んだ目で見上げている。
少し、嫌な予感がした。

すばるが私を抱きしめてきた。
思わず仰け反る私にすばるが口を突き出してくる。
嫌な予感は、当たった。
「先輩! キスして」
「えっ、ここでかい? だめ、私そう言うのだめ……」
すばるの尖った口がぐいぐい私の唇に近寄る。
「あぁっ、だめ、だめだつうのに。……ちょっとだけにして」
スマホを構える隆一が呆れる。
「マジかよ?」
スマホシャッター音。
スマホ画面に沈みゆく夕日をバックに重なり合う私とすばるのショット写真が写る。

  おわり