オリジナル小説 フランス旅行で会った女子 #0
これは僕が人生で初めてのフランス旅行に行った時の話。
その日、僕はシャルル・ドゴール空港からパリ市内に降り立って、駅へと向かうバスに揺られていたのだが…………そこでちょっとした事件に巻き込まれてしまったのだ。
「あれ? ひょっとしてあなた日本人?」
と、その時である。隣に座っていた女性に声をかけられたのは。
「はい、そうですけど」
突然の出来事に驚きつつ答える僕。すると彼女はニッコリ笑ってこう言った。
「Comme c'est gentil!(いいね!)」
これが彼女の第一声だった。発音も完璧だし、なにより驚いたことにこのフランス語には聞き覚えがあった。そう、それはつい最近まで見ていたアニメの主人公が喋っていた言葉と同じものだったからだ。
「えっと、あの…………」
僕の困惑をよそに、女性は楽しそうな笑みを浮かべたままペラペラとまくしたてる。嬉しそうに語る彼女だったが、僕はいまいち状況についていけなかった。とりあえず少し落ち着かせようと、僕は彼女を宥めることにする。
「あ、あのすいません。おっしゃっている意味がよく分からないのですけれど…………」
「ああごめんなさい、いきなりこんなこと言われても信じられないわよね」
すると彼女は申し訳なさそうに手を合わせて謝ってきた。
「自己紹介がまだでした。私はアケミと言います。年齢は二十七歳。趣味は読書で特技はピアノかな」
「あ、どうも。僕は――」
「知ってる。日本人でしょ?」
そう言って笑う彼女。確かに今更名乗るまでもないかもしれない。というかむしろ彼女が誰なのか、どうしてここまで親しげに話しかけてきたのかの方が気になっていた。
「実は私、日本語検定一級持っててね。だからあなたの言っていることもちゃんと分かるってわけ」
「なるほど。そういうことだったんですね」
それなら話は早い。しかし一体なんでまた彼女はそんなことに興味を持ったんだろう。不思議に思っていると、アケミさんの方から答えを教えてくれた。
「ほら、前に日本の漫画がフランスでアニメ化されたじゃない。それで興味を持って勉強してみたんだけど、なかなか面白いものね」
「ああ、そういうことでしたか」
言われてみれば納得だ。そういえば日本でも少し前に同じようなことがあった気がする。確かタイトルは『魔法少女マジカル☆リリカ』とかいったはずだ。
「でもまさかあなたみたいな若い人が来てくれるとは思ってなかったわ。これってもしかしたら運命かも!」
「はぁ、そうかもしれませんね」
大げさな物言いをする彼女に若干引きつつも相槌を打つ僕。すると何を思ったのか、彼女は更にテンションを上げながら身を乗り出してきた。
「ねえ、良かったらこれからお茶しない? 美味しいケーキ屋があるんだけれど」
「ええ!? いやそれはちょっと……」
「大丈夫だって! 何も取って食おうっていうんじゃないし」
そう言うと、彼女は僕の腕を引っ張ってくる。
「ちょっとだけ付き合ってくれたらいいから! お願い! 本当にすぐそこなんだってば~!!」
必死になって懇願してくる彼女。何が何だかさっぱり分からなかったが、あまり無下に断るのも悪いような気がしたので、結局僕は言われるまま一緒に行くことになったのだった。
そして数分後。バスを降りた僕らはその目的地へと到着していた。そこは通りに面したオープンカフェであり、店内からは甘い匂いが流れてくる。
「ここのチーズタルトすっごく美味しくて有名なのよ。きっとあなたも気に入ると思うわ」
席に着くなりアケミさんは上機嫌でそう告げた。ちなみにここはフランス語オンリーのお店らしく、周りを見渡しても外国人ばかりである。そんな中に一人ぽつんと座っているのは正直かなり恥ずかしかった。しかも相手はフランス人の女性だし……まあでもせっかく誘ってくれたんだし、今は素直に従うしかないだろう。
そんな風に考えつつ注文を済ませる僕。するとすぐに紅茶と一緒に運ばれてきたのは、予想通りの代物であった。
「これが噂のチーズタルト……」
目の前に置かれた皿の上を見て僕は思わず息を呑む。そこには綺麗な三角形を象ったチーズケーキらしきものが鎮座しており、見るだけでよだれが出てきそうなほど食欲をそそられた。
「どう? 凄いでしょ?」
「はい。見た目にもすごく華やかですね」
確かに素晴らしい出来栄えだ。まるで宝石のように輝いているように見えるし、色鮮やかでもある。これはもう芸術作品と呼んで差し支えないのではないかと思われた。しかしここで僕の中にふとした疑問が生まれる。それは、こんな美しい食べ物を果たして口にすることが出来るのだろうかということだ。もし万が一何か不備があってお店の商品に傷をつけたら大変なことになるんじゃないか。
そんな不安を抱えつつフォークを手に取った時、突然アケミさんがこう切り出した。
「実はね……私まだ日本に来たばかりで全然日本語喋れないんだ」
「え、そうだったんですか?」
意外な告白に僕は驚きを隠せなかった。しかしよく考えてみれば当然かもしれない。こんな美人なのに外国語の勉強をしているなんて普通では考えられないし、そもそもいきなり初対面の男に声をかけたりなんかしないもんな。
だがそれでも彼女は笑顔を絶やすことなく話を続ける。
それからしばらく、僕らは他愛のない雑談を続けた。するとアケミさんの表情から緊張が抜けていくと共に、次第に彼女の口調から遠慮がなくなっていく。その変化は僕にとって新鮮でもあり、また嬉しくもあった。
しかしやがて、会話は僕の方から話題を振る形に変わっていく。
「ところでアケミさん、この辺りには観光で来たんですよね?」
「ええそうよ。フランスには仕事で来ていてね。本当は一人でブラブラするつもりで出かけてきたんだけど、道に迷っちゃって。だから今朝はバス停の前であなたに会えてラッキーだったわ」
「それは光栄です。じゃあやっぱり僕たちってどこかで会ったことありますよね?」
先程からずっと感じていた疑問をぶつけてみる。するとアケミさんは再び口元に手を当てて笑みを浮かべる。どうやら癖らしい。しかしそれも一瞬のことだった。彼女は少し真面目な顔に戻ると、ゆっくりとした口調で言う。
「さっきから不思議に思っていたんだけど、どうしてそう思うのかな」
「いえ、だって初めて会った気がしなかったから」
僕と彼女が出会っていたとすれば恐らく二年以上前になるだろう。その時はまだ高校生だったわけだから。でもそれだと計算が合わないんだよな。あの頃の彼女とは年恰好が違いすぎる。一体どういうことなんだろうと首を傾げていると、彼女はおもむろに立ち上がった。
「分かった。あなたもしかして『リリカ』のファンなんじゃなくて?」
「え、リリカって……」
そういえば『マジカル☆リリカ』の作者はフランス人の女性作家だという話を聞いたことがある。確か名前はアンヌ・ソフィーとかいったはずだ。つまりそういうことなのか? でもどうして急にそんなことを? 困惑していると彼女はそのまま店の奥の方へと歩いて行く。そしてそこにあったカーテンをサッと開いた。するとそこには大きなガラス窓があり、店内の様子を見ることが出来るようになっている。更に驚くべきことに、そこに映っていたのはこの店の外観ではなく、アニメの中に出てくる少女達の姿だったのだ。
そう、僕らの目に映し出されたのは魔法少女のコスプレをした金髪の美少女だった。彼女は右手を高く掲げると可愛らしくポーズを取る。その姿はとても様になっており、素人目にもかなりの腕前であることが分かった。僕はしばしの間、目の前の出来事を信じられずに固まってしまう。
しかしそんな風に放心状態になっている間も映像の中の彼女達は動いていて、いつの間にか戦闘シーンへと移り変わっている。そして遂に、敵である魔物とのラストバトルが始まろうとしていた。
「え……嘘だろ」
僕は自分の目を疑う。画面には二人のヒロイン達が戦っている様子が克明に描かれていたのだが、その内の一人は明らかに僕の知っている人だったからだ。いや、正確にはよく見知った人の若い頃の姿を見ているという方が正解だろうか。その人は今の僕より若い外見をしていて、服装こそ違うものの、やはりアニメの中に出てくるキャラクターと瓜二つであった。
(これは一体……)
あまりにも不思議な出来事に遭遇してしまい僕は軽い混乱に陥る。
しかしそんな僕の動揺をよそに戦いの方は進んでいき、最終的に勝利を収めたのは金髪の少女――アケミさんだった。画面には彼女の勝利を祝うテロップが表示されており、画面外ではスタッフらしき人達が歓声を上げている。
そこでふと我に返った僕は、恐る恐る隣に座っているアケミさんの方を見る。
「えっと、これはどうなって……」
「ああ、ごめんなさい。驚かせちゃって」
僕の視線に気付いた彼女は申し訳なさそうな顔をする。それからゆっくりと話し出した。
それによると、このお店の経営者であるアンヌさんが、自分が作ったアニメ作品を世界中に広めるために、お店の内装をアニメの世界そっくりに作り替えたのだという。もちろんお客さんには事前にそのことを伝えてある。しかしそれでも最初は半信半疑だったそうだ。
まあ確かにこんなこと言われたら普通は驚くよな……僕だって未だに頭がクラクラしてるもん。
それにしても、まさかこんな所で偶然にも昔の知り合いに出会うなんて……しかもそれがあのアケミさんだなんて。本当に人生何が起こるか分からないものだ
「でも凄いですね。アケミさんが作ってたんですか。この作品」
「ええ。昔から絵を描くのが好きだったから。日本に来たのは最近だけど、それまではずっとフランスにいたわ。アンヌとは彼女のお母さんを通して知り合ったんだけど、今では私の大切な親友よ。だから今回この企画が実現した時は、とても嬉しかったし楽しみでもあった。もっとも私は声優さんの演技を吹き替えただけなんだけどね。だからあまり偉そうには言えないわ」
「いやいや、それでも十分ですよ。やっぱり絵が上手なんですね」
「ありがとう。嬉しいわ」
僕の言葉にアケミさんは少し頬を赤く染めながら微笑む。どうやら恥ずかしかったようだ。でもそれも仕方ないかもしれない。だって彼女は今まさに大人気作品を作っている人なのだから。こんな機会でもなければ滅多に会えない相手であることは間違いないだろう。
その後も僕達は色々な話をした。主にお互いの趣味についての話だった。彼女は読書家であり小説を書いてもいた。特に好きなのは日本を舞台にした恋愛小説だという。そういえば彼女って日本人とのハーフだったよな。どうりで日本語が堪能なわけだ。
ちなみに彼女は翻訳家でもあるらしい。なんでもフランスの作家が出版した本の翻訳を手がけているのだそうだ。僕は翻訳というと英語の本しか読んだことがないけれど、確か外国語の小説を読むためには、その国の言葉を理解していないといけないんだよな。それを仕事にしているというのは相当なことだと思った。
ただその話を聞いた時に少し気になったことがあったんだけど、なんでわざわざフランス語に直す必要があるんだろう。やっぱり日本の小説だと、外国の方が受け入れやすいんだろうか。僕も昔はフランス文学に興味を持っていた時期もあったけど、正直そこまで詳しくはなかったりする。なので、彼女の言うことがどこまで正しいのかは分からずじまいだった。
また彼女によると、この店は定期的にコスプレイベントが開催されているらしい。何でも今回はアケミさんの希望で開催が決まったのだとか。なんでもアニメの登場人物になりきって楽しむことが出来るのが魅力なんだとか。確かにそういう趣旨なら盛り上がるかもな。実際今も店内にいる人達の中にはコスプレをしている人も結構いたし。まあ中にはさっきの映像の中で見たのと同じ姿の人もいるんだけど……あれ、そういえばアケミさんはどうしてここに来たんだろう? というか彼女はまだ高校生だったはずだ。確か今年で十八歳じゃなかったっけ。いくらこのお店が年齢制限がないからといっても流石にまずくないか。もしかしてコスプレをするつもりだったとか……そんな馬鹿な。だってそれじゃまるで本物の魔法少女みたいじゃないか。でも、この人の容姿を見ればありえない話じゃない気がしてくるな……まあいいか。別に迷惑をかけているわけでもないし。
その後しばらく経って僕達は店を後にすることにした。ただ帰り際に彼女に呼び止められたので立ち止まる。すると彼女は僕の名前を呼び、こう告げた。
「あなた、これからもあのお店で色々とお話ししましょ。私達、きっと仲良くなれると思わない?」
彼女の誘いを断る理由は僕にはなかった。
こうして僕はアケミさんと出会った。しかもそれは僕の憧れだった女性――アケミさんとの出会いだったのである。僕はこの時のことを生涯忘れることはないと思う。だってこの出会いをきっかけにして今の自分があると言っても過言ではないからだ。そして同時に僕は心に誓ったことがある。
いつかアケミさんに恩返しをしてみせると。
だから、その時が来るまで僕は彼女と会うことを我慢するつもりだ。僕はアケミさんとの再会を胸に誓いながら帰路についた。
◆
『ご報告があります』
自宅に帰るなりそんなメールが届いた。送り主はこの家のメイドにして僕の幼馴染みである少女、咲さんである。普段は必要最低限のことしか口にしないクールな彼女がこんな風に切り出すのは、大抵重要なことが起きた時だけだ。一体何があったのだろうと疑問に思いつつ本文を確認する。するとそこには信じられないような内容が記されていた。
「これは……」
僕は思わず息を飲む。まさかこんな事態になるとは予想だにしていなかった。だが、これが事実だとすれば由々しき問題である。
「まさかアケミさんの正体がアカリさんだったなんて……でも、だったらあの人は何故あんな嘘を吐いていたんだろう」
僕はアケミさんが最後に口走った言葉を思い出した。彼女は「いずれ分かる」と言っていた。その意味はこういうことだったのだろうか。分からない。情報が少なすぎるせいで判断がつかなかった。
ただ、これだけははっきりと言える。
アケミさんと再び出会うことが出来た以上、僕は彼女を全力をもって守るつもりでいる。かつて彼女に助けられた時からそう決めていた。
だからどんな相手が現れようと、それだけは決して譲れない。例え相手が何者であろうと必ず倒して見せる。たとえそれが神だとしても……絶対に。
僕は拳を強く握りしめながら、そんな決意を固めたのであった。
※本作はフィクションです。実在の人物・団体などにはいっさい関係ありません。
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