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【イベントレポ】「抵抗」と「連帯」に参加して
このイベントは2025年1月11日に「沖縄基地を引き取る会首都圏ネットワーク」と「ソムードの集い」の2団体によって共同企画されたものである。パレスチナ、朝鮮、在日朝鮮、沖縄という、日本の植民地主義によって「問題」に仕立て上げられてしまったイシューをそれぞれダイジェストで扱い、その後参加者をグループ分けしたワークショップをおこなうことで、各々に関心をもって活動する人たちを結びつける意図がある。
関心の高さからか、当初60名ほどの参加の予定が、蓋を開けると100名となり、用意された椅子は不足していた。
私は少し遅れて入ったため、立ち見スペースも入れず、ぽつんと1つだけ空いていた最前列の奥の椅子に通されてしまった。
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一昨年の10月7日以降パレスチナ問題を知った私は以後デモやイベント開催などの手段によってパレスチナ支援には積極的に関わってきた。学んでいくうちに根本的問題の一つに植民地主義があることを理解した。しかしそうなると日本の帝国主義時代の加害と今も続く植民地主義による朝鮮半島、在日コリアン、沖縄、アイヌなどについても考える必然性があるのだが、その各々について学んだりコミットすることを後回しにしてしまっていた。
学ぶことが多すぎるという認識がそれらにとりかかる意欲を削いでいたとも思うし、また加害側として過去を知る不快感を避けていたようにも思う。
一方で、それらの問題に長年向き合っている方々からの「なぜパレスチナだけに関心をむけるのか」という意見がちらほら存在するということもなんとなく見聞きしていた。
確かにパレスチナ支援は脱植民地化の一環であるが、関心を持つ人が限られているためその小さなパイを奪い合うことは本来的ではないとも考えていた。
今回の会はその諸問題を包括的かつ植民地主義の問題点そのものを知り、ワークショップを通じて参加者同士を結びつけ、具体的な行動を促すものだったため、それぞれに活動を行う人々を緩やかな一体感が包むこととなった。100名の熱気は湿度からも、積極的に知識や考えを共有しあう姿からも感じることができた。
1部では、各トピックの登壇者が基礎知識、共通認識を資料とともに簡潔に話してくれた。
とりわけ印象的だったのは、沖縄についてのトピックで登壇した現役のICU学生である木戸さんの話だ。過去、現地での抗議運動に参加し、その振り返りとして「抗議運動の痛みだけを持ち帰れることは特権的である」と語っていた。
被差別にインターセクショナリティがあるように、特権にも交差性がある。それぞれが自分の特権性への気づきを共有することは非常に重要だと思った。
また、米兵による婦女暴行事件(1件につき2行)をA4両面16ページにわたってまとめられたものが1人一冊配られ、大変な重みを感じた。
他にも、植民地主義とは文化的優劣を固定化させることである、という話や、「反基地」「反米」という民主的スローガンを消費することで自ら(本土の日本人)の植民地主義の加害性を透明化すること、加害者側、被害者側という自分のスタンス(立場)をはっきりさせ、何を言うかを決めること、などの話が興味深く、身につまされた。
また、沖縄については、400年以上日本が搾取を続けている歴史があるなど、ぼんやりと知っていることを知識(地理、数字、年号)としてはっきり意識化することも重要だと感じた。
それぞれのトピックの登壇者は4人のうち3人が20代(のように見えた)、4人のうち1人が女性であった。
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2部のワークショップでは、100人が4分割されて移動し、それぞれのスペースでさらに3等分された。模造紙やポストイットを使って意見交換が行われた。
私のいたグループでは、誰もが、知人、友人、職場の同僚、街行く人々の「無関心」に心を痛めた経験があり、なぜ彼らが無関心なのか、構造的に「そうさせられていること」について考えた。無関心は報道、メディア、消費(資本主義)、新自由主義、自国の民族主義(人種主義)、歴史、教育によって生み出される。多くの人々がパレスチナ、朝鮮侵略、在日コリアン、沖縄、それぞれのイシューに無関心なのは、今の日本において「自然」であるのかもしれない。しかしそれは、市民が無関心になるように国や権力側の人間によって社会が作られており、無関心な人間に間接的に加害をさせるようにしているのだ。そしてそれこそがまさに植民地主義である。
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グループワークの最後の方に、参加者のお一人が、「このような活動のことをなんとなく自宅周りの近所には知られたくない気持ちがある。このような安全な場所を問題を共有することは大切である」とおっしゃっていた。
確かにステップとしてそれは重要であるし、今回のセーフスペースに感心したポジティブな感想にもおもえた。
しかし私はこの発言が先述した沖縄について発話した木戸さんの発言と繋がりまさに、「抵抗運動に関わるタイミングが選べるという特権性」について気づかされた。
日本国籍を持ち、日本人として見られるような外見をもち、ルーツを探られることのない私たちは、声をあげる場でない限り、安全を脅かされないという特権を享受していると言えるだろう。
グループでは他にも、日本国憲法が「日本国民」以外にも適用されるべきだという考えや、14条の問題点、虎に翼のキャストの裏話などを聞けた。
その後総括がありワークショップを含んだこの日の講座は3時間で終了した。
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3後には別会場で食事を伴った交流会が開かれた。
別会場に向かう道中、初老のご婦人と、50代くらいのアメリカ人白人男性のお話に混ぜてもらった。聞けばご婦人も生まれが私と同じ福岡市だという。
ご婦人のお祖父様が朝鮮総督府にいたというお話を聞いたのだが、実は私の曽祖父も満州鉄道にいて、祖母は韓国出身なので、偶然共通点が多いですねと話していた。いや、違うのだ。朝鮮や満州から引き上げてきた日本人の多くが福岡、九州に住んだのだ。偶然ではない。今、子孫としてここにいる、我々の多くは直接的な加害者の末裔なのだ。ゾッとするけどそれは本当だ。そして現在、一方的に日本国に取り込んだ朝鮮は南北の分断をされて解放され、同じ手口で取り込み、沖縄として名づけ直した琉球には日本の0.6%にあたるその領土に70%の在日米軍基地を私たち本土の人間は無言で押し付けている。沖縄を「自然豊かな南国の楽園」として、観光やイメージだけを消費している。日米地位協定を見直し、沖縄を日本として米軍の撤退を求めるのであれば日本はやはり過去の侵略の歴史にちゃんと向かい合い、謝罪をすべきであり、それを戦略としても、人権国家としてもやるべきであると私は考える。
もちろん私たちは、合理的かつ人道的、人権を優先した外交や政策を国に求め、具体的にはパレスチナへの国家承認も年金の運用によるイスラエル企業への投資もやめるように訴えるべきだ。
同時に、一個人としてどうありたいのかを選べる。この社会の中で「自然(ぼんやりと)」に生きていると自ずとジェノサイドや人権の蹂躙に間接的かつ無自覚に加担する。そんなシステムになっていることを、くれぐれも陰謀論のような根拠不明の言説に惑わされず、正しさや正義を恐れず積み重ねたり修正しながら考えていきたい。そう思えた1日だった。