18祭で人生が救われた話
2022年7月16・17日の日産スタジアム、そして7月23日にヤンマースタジアム長居で開催された関ジャニ∞の周年ライブ《18祭》に参加した。日産スタジアムは72,000人/日、ヤンマースタジアムは約55,000人/日、4公演で25万人以上の動員数が見込まれたうちの3公演だった。
結論から言うとオープニングからエンディングまで文字通り最高で最強の関ジャニ∞をこれでもかと見せつけられた3時間のライブだった。正直オープニング映像のところからつぶさに語りたいのだが、それをやってしまうとレポを書き上げるのに恐らく毎日4時間くらい書いても3ヶ月くらいかかると思うので、今回はとある曲に絞って想い出を書いていこうと思う。
※ここからは一部ですがめちゃくちゃライブのネタバレをしますので、円盤待ちとかで内容知りたくない方は引き返して頂ければと思います。あと、自分のことばっか語ると思いますのでそういうのが苦手な方にもお薦めはしないです。まぁ、タイトルの時点で大体自分語りなのはバレてると思うので続きを書きます。
2022年6月に入ったばかりの頃、ファンクラブからお知らせがあった。
『18祭で観たいダンス曲【踊!ソング】と今までライブで一度もor滅多に披露されてない曲【レアソング】のリクエストよろしくね! 3曲ずつ選んでね! ちなみに締切は5日後だよ!』
おいおい公式さんよ、そんなの何曲あると思ってんだ。数多の曲の亡霊と化しているeighterへの挑発か? しかも締切は5日後? そんなのすぐに絞れるか!! とギャーギャー騒ぎながらフォロワーさんたちと緊急会議を開き、それぞれ何とか各3曲ずつを選びリクエストを送った。
すぐに絞れるか! と言いつつ、私はレアソングでこれだけは絶対に入れると決めていた曲があった。シングル《キング オブ 男!》のカップリングに収録されている《アネモネ》という曲である。
関ジャニ∞のシングルカップリング曲は、『明るく陽気なオモロい関西のにいちゃんたち』という世に広く知られている関ジャニ∞のイメージの方向をキュッと変えてくれるような幅広いジャンルの楽曲が多いように見受けられる。例えば《フローズンマルガリータ》《ルラリラ》のように大人の恋愛の駆引きを描く妖艶な曲があるかと思えば《Merry Go Round》《ロイヤルミルクストーリー》《Winter Love Song》のようなしっとりと聴かせるラブソングもあり《朝焼けの太陽》《Train in the rain》など尖ったギター音が印象深い曲もある。もちろん今挙げた曲はほんの一部なので語り出したらキリがない。しかし、そんな中で(あくまでもEighterでない方たちの)関ジャニ∞のパブリックイメージからさほど遠くなく、けれども彼らの代表曲と認識される《ズッコケ男道》や《無責任ヒーロー》、《前向きスクリーム!》などとは曲調がかけ離れているのが《アネモネ》という曲だと思う。いや、他にもあるよ! たくさんあるよ! 分かってる! でも冷静にそこ考え始めると続き書けなくなっちゃうからごめん!
はい、話を戻します。
関ジャニ∞の《アネモネ》という曲が好きだ。理由を細かく述べていたらそれだけで結構な文章量になってしまいそうだが、一言で表すとするならきっと『寄り添ってくれている』と感じられる曲だからだ。恐らく、人生の中で一度でもベッコベコに叩き潰されたり落ち込んだりしたことがある人には確実に刺さる歌詞なのではないかと思う。A・Bメロに自暴自棄と諦観と不信感と羨望と渇望を、よくもまあこんなにも詰め込んだものだなと聴きながら毎度感心してしまう程である。
ここで少し、自分の話をしようと思う。
時折、過去を振り返ってみてつくづく感じることだが、我ながら生きるのが下手な子供であり若者であった。まぁ、そこそこいい年齢の大人になった今でも上手く生きられてるとは言い難いんだけど。
小さい頃からポンコツだった。何せ自宅と学校間の道順を覚えられず帰れない、先生の話が右から左へ抜けるので連絡事項をきちんと親に伝えられず忘れ物ばかりする、授業の受け方がそもそもよく分からないという、こんなぼんやりした人間がよく学校なんぞに通えたなと今でも思うほどのポンコツだった。家庭環境はお世辞にも良いとは言えず、自己肯定感とか自尊心とかそういった類のものからあっという間におさらばした私は、常に親の顔色を伺い先生の顔色を伺いクラスメイトの顔色を伺いながら生きるようになった。人生の初期中の初期みたいな段階で躓いた子供が当然まともな人間関係を築けるはずもなく、突出した能力も根性もスキルも何も持てないまま私はその内に就職氷河期の分厚い氷の狭間に呆気なく落ち、以来、せめて溺れてしまわないように氷の下を必死に泳いだり時々漂ったりして生きてきた。たまに氷の上に這い出せたと思えばすぐに突き落とされたりして、まさに《アネモネ》の〝僕〟が感じたように『成功への道はもう満員』と言われている気がずっとしていた。若かった頃の私にとっては、例えば大学に行くだとか結婚や出産をして新たな家庭を築くだとか、もっと言えば正社員として働くだとか、そういう世間一般で認識されている《普通》は既に《成功》であり非現実に近いものだった。尤も、今ではその《普通》もまやかしみたいなものだと解るのだけど。
大人になってもポンコツなのは変わらなかったが、それでも周囲の優しい人たちから色々学び年齢と経験をそれなりに重ねていけば少しずつ何とかなるもので、どうせ《普通》のレールに乗れないなら行きたいとこに行って見たいものを見ようと全く達観もしていないくせにスナフキンのように旅を何度か繰り返した。様々な人と出逢っては別れ、ちょっとだけ外国の言葉も覚えて、そうしているうちに心の中で吹き荒れていた嵐はいつの間にか去っていた。ただ、何をやったって何者にもなれていない、そしてきっとこの先もなれないであろう自分は変わらず虚しく佇んでいた。
友人から『チケット当たったから一緒に行こう!』と関ジャニ∞の周年ライブ《十五祭》に誘われたのは3年前の初夏だった。関ジャニ∞どころかジャニーズのライブそのものが初めて行く場所だった。当時ジャニーズにさほど興味のなかった私だが、関ジャニ∞は昔から時々テレビでお見かけしていたのと、それこそ『明るく陽気なオモロい関西のにいちゃんたち』なメンバーを好ましく思っていたこともあり、ワクワクとソワソワする気持ちを抱えながら会場へ向かった。
グッズ売場でペンライトを買い点灯確認をしていたら友人が『うちわ買ってあげるよ。誰がいい?』と訊いてくれたのでお言葉に甘えて安田くんのうちわを買ってもらった。彼が大きな病気と怪我をしたという話をネットニュースなどで見ていたので『お大事に』というのと『頑張れ』という思いがあった。キリッとかっこいい安田くんの裏がめちゃくちゃかわいいセーラー服の男の娘だったのには驚いたが。驚いたし何ならちょっと笑ってしまった。ごめんよ安子ちゃん。安子ちゃんはいつだってかわいいよ。
席に着き開演を待っているとモニターにカウントダウン画面が映し出され、時間が刻まれると共にエイトコールも大きくなっていく。そして0になる一瞬手前で照明が落ち、暗闇となった会場の客席全部が色とりどりのペンライトの光で満たされるのを見た。
このライブの前の年に渋谷くんが脱退したことは知っていた。歌でグループを引っ張っていたという彼がいなくなって6人の音楽はどうなっているのだろうかというぼんやりとした私の杞憂は一曲目からあっさりと吹き飛ばされた。ファンサたっぷりのキラキラアイドルタイムから緩やかな時間の流れるアコースティックタイム、バチバチにクールなダンスを決めたかと思えばライブハウスのように観客を煽り楽器を鳴らして叫ぶように歌うーー知ってる曲も知らない曲もパワフルだったりコミカルだったりメロディアスだったり、でもMCで喋り出すとやっぱり面白い関西のおにいちゃんたちだった。
彼らのパフォーマンスを観ながら自分の中にどんどん元気がチャージされていく気がした。そして同時に今までになかった感情が芽生えた。『この人たちに負けたくない』と。ライブを観ていてそんなことを思うのは初めてで、『負けたくない』なんて同じフィールドに立っている訳でもないのに何故思うのかも解らなかった。魔法みたいな時間はあっという間に過ぎライブが終盤へと差し掛かった頃、メンバーが代わるがわる挨拶の言葉を述べる映像が流れた。少し会場がざわついていたような気がしたが、何よりも私が違和感を覚えたのは大倉くんが挨拶の中で言った『僕たちが、最低なときも、最弱なときも、ずっと愛し続けてください』という一言だった。彼は私がテレビでよく観ていた頃(仕分けで辛島美登里さんのサイレント・イヴを聴いて静かに涙を流したり太鼓の達人を寸分の狂いもなく叩き続けていた頃)に比べると風貌はすっかり頼もしい大人の男性になっていたが、その表情はどことなく泣き出す寸前の迷子の子供のように見えた。十五年という決して短くはない時間を歩んできた記念のライブで随分と寂しいことを言うものだと思った。その言葉は喉に引っかかった魚の小骨のように残り続け、それから約一ヶ月半後、突然舞い込んだニュースによって答え合わせすることになった。錦戸くんのグループ脱退と事務所退所の報道だった。ああ、これか。と何かがストンと腑に落ちた。
程なくして関ジャニ∞は5人で歩み続けることと47都道府県ツアーの催行を発表した。その頃、彼らの仕事量は傍目から見ても尋常ではなかった。『無理はしていない』『体調を最優先でやっていく』とは言っていたが、きっと立ち止まっていられなかったのだろうと思った。一歩でも歩むことを止めてしまったらそこから動けなくなることを知っている人たちなのだと思った。譬え傷だらけでも苦しくても進み続けなければならないときはどうしたってある。誰にでもある。彼らが今そのときだというなら純粋に彼らの行く道を応援したいと思い、私はファンクラブに入会した。一歩踏み込んだ場所で見る彼らは想像以上に背負ってるものが多いような気がした。実際多いのだろう。関わる全ての人たちに報いようと奮闘する姿は勇ましく泥臭く、それでもやっぱり明るくて、彼らのいる日常はとても楽しいものだと知った。
しかし、それから半年も経たないうちに世界はコロナ禍となりライブ等のイベントや行事は軒並み中止、政府から外出自粛を呼びかけられ街からは人が消えた。関ジャニ∞の47都道府県ツアーも例外なくストップとなり、そして私はまた氷の下に蹴落とされた。自らの意思ではない方向から動きを止められてしまったのは、あの頃世界中の殆どの人たちがそうだっただろう。けれど、インターネットやメディアなどを駆使したり、時間を調節したりすることで出来る物事は少なからずあると思えた。医療従事者の方々が最前線に立ちまさに命懸けで未知の病と戦う姿に頭が下がると共に、有難かったのはエンターテインメント業界に関わる方々が積極的に発信を行ってくれたことだった。関ジャニ∞もファンクラブのコンテンツやYouTubeに動画・メッセージを頻繁にアップしてくれたり、リモート収録等でレギュラー番組を止めずにいてくれた。
誰もが自分の持っている力をどうにか活かして何かの役に立てないだろうかと模索していたであろう中、仕事のなくなった私もまた今後のことをぼんやりと考えていた。相変わらず突出した能力など持ち合わせていない。でも、経験でカバーできることは増えた。趣味だって増えたし旅先で多くの景色も見てきた。自分の中にある小さな欠片を掻き集めて縒り合わせれば、もしかしたら何かを紡ぐための一本の糸くらいにはなれるのではないか。何故そんなことを急に考えたのだろう。今までだったら、そんな何の役に立つかも分からないものに見向きもしなかった。けれど、コロナ禍の中でファンを第一に、そして世の中全体に対しても試行錯誤しながら色んな手法で元気を届けてくれようとアプローチをかける関ジャニ∞を見ていたら、やっぱり『負けたくない』と思った。それは決して彼らと張り合いたいとかじゃなく、彼らから受け取るパワーやエネルギーみたいなものを無駄にする訳にはいかないという気持ちだった。
その後は以前から興味のあったことを勉強するために学校に行ったり他にもちょいちょい『そんなことある?????』とリアルに口に出して言ってしまうような出来事があったりしたが、何せ逆境にバカ強い5人組を毎日見ていたのでそんなあれこれは全部笑い話になって気付いたらあっという間にeighterになって3年が経っていた。
少し、と言いながら随分長々と自分の話をしてしまったな。
さて、18祭です。
当日は明けたはずの梅雨が戻ってきたかのような曇天からの雨だった。新幹線で横浜へ向かう途中、静岡の山間で雨粒が窓を殴りつけてたり霧で景色が水墨画みたいになってたりでどうなることやらと思っていたが、横浜に到着する頃には雨脚も若干弱まり懸念されていた豪雨や雷雨でなかったことに安堵した。スタジアムに入場する直前から少し雨が強くなり、スタンド1階席の前の方だったためレインコートをしっかりと着込んで席に座った。雨に濡れながらライブ開始を待つなんて初めてのことで、時々2階席の庇からだろうか大きな雨垂れがダイレクトにぼたぼた頭上へ落ちてくるのも初めてで、手に持ったペンライトはチャック式のビニール袋に入っていて、その状況が妙にシュールで笑えた。全てが初めての状況なのにこの光景に既視感があった。その昔に観たNODA・MAPの《贋作・桜の森の満開の下》にある
〝暑い日にね、人を見ているの。みんなしかめ面をして歩いている。けれど、突然、俄か雨が降ると『いやあ、まいった、まいった』って言いながら、ニコニコして、雨やどりしているのが見えてくるの。〟
という夜長姫の台詞だ。あの台詞の真意をどう考察しますか、と当時同じ舞台を観た人に問い掛けられたのを不意に思い出した。考察なんてできるほどの知識も経験も洞察力も想像力も持っておらず、うやむやに誤魔化して逃げた自分があの頃は悔しくて情けなかったが、もしかしたら今のこの状況が少し近いのかも知れないと思った。突然の俄か雨で、野外ライブで、ずぶ濡れになるのなんて非日常だ。服も靴もグチャグチャになるし、現代なら電子機器にだって気を遣う。だから殆どの人は自分が外にいるときに雨が降ると憂鬱な気分になるんだろう。けれども非日常って面白い。それが譬え理不尽でも、為す術が見つからなくても、目の前の現状を受け入れてしまえば後に続く事象について考えを巡らせることができる。かつて観た舞台の台詞の真意はまだ解らない。でも、思いがけず古い記憶に対して出た答えは割とシンプルだった。
そんなことをぼんやり考えつつ友人と話していたら、メインステージのモニターに映像が映し出された。オープニングから既に伝わるドンチャン騒ぎの予感に心拍数が上がる。丸山くんの雄々しい開幕宣言と共に花火が打ち上げられ始まったド派手なお祭りは、大好きなものが無限に詰まったギフトボックスのようだった。そしてライブの中盤、それはとうとうその箱の中から取り出された。
レアソング・ランキング2位の曲のタイトルを見て、これも聴きたかったんだよなぁアンケート2番目に入れたしな…などと呑気に思っていたら、
「1位の曲は…これライブでやったことないよね?」「初めてや」
とメンバーが話しながらステージに用意された椅子へ腰掛ける。まさか、と思った。
「レアソングのランキング1位は、この曲です」
村上くんの柔らかな声音と共にモニターに映し出された曲名と花のイラスト。それは、いの一番にアンケートに記入した曲だった。そっとすべり込むようにイントロが流れ始めた瞬間、レインコートのフードを剥ぎ取るように外した。たった一粒の音も聴き逃したくなくて必死だった。既に雨と汗で髪はボサボサだしメイクだってひどいことになってるんだろう。だけど、そんなのはこの曲が聴けるならどうだってよかった。あんまりにもライブで聴くことを夢見てきたせいかイントロの時点で涙が出てきてしまったが、丸山くん・横山くん・安田くんのパート辺りでは『ちくしょう、口からCD音源め!最高だ!』なんてちょっとだけ余裕をかましてもいた。だが、その次の大倉くんの〝僕なんかに何ができるんだろう〟というパートで自分でもびっくりするほど大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。一瞬、目から何かはがれ落ちでもしたかと勘違いするくらい唐突だった。『私にできることなんか何もないんじゃないか』と怯え絶望していた、かつて子供だった自分が隣りで一緒に聴いているんだと、そう思った。
もう誰かの才能や環境を羨んだり妬んだりするような年齢じゃない。酷いことを言われたりされたりしたことはあったけど恨みを持ち続けられるほど精神力だって強くない。誰かが私に対して『優しいね』と言ってくれてもこんな薄っぺらい優しさなんて偽物だと思っていたし、恐らく自分だって程度の差はあれ誰かを傷つけたことは少なからずあっただろう。良いことも悪いことも数え切れない程の色んな感情と記憶を飲み込んで折合いをつけてどうにかこうにか大人の形にはなれた。
だけど、でも、でも、
でも。
本当はずっと誰かに『それでいいよ、間違ってないよ、大丈夫だよ』って言ってもらいたかった。
上手くできないことばかりでも、遠回りばかりしてるような生き方でも、真っ暗闇の中にいるような気持ちのときも、僅かばかりの光を探して見つけ出して辿ってきた。そして、それをくれていたのはいつだって周りの優しい人たちだった。その光を頼りに歩いてきたことは決して間違ってなかったのだと、言ってもらえた気がした。
歌う関ジャニ∞はとても穏やかな表情で、18年という年月を共に過ごしてきたからこそのお互いへの信頼感がキラキラと輪になって繋がっているように見えた。彼らもまた、ここまで真っ直ぐに走っては来れなかったのだろう。時々冗談混じりに話すエピソードの何十倍も、私なんかの想像も及ばないような大変なことがあっただろうと思う。1人欠け、2人欠け、3人欠けても尚、音を紡ぐことを辞めなかった5人のハーモニーはただただ気高く響いていた。
重ねて、この曲がアンケートで1位だったということは、環境や想いは違えどこの曲に励まされ背中を押されながら一歩ずつ進んできたeighterさんがたくさんいるということで、それが嬉しくてまた泣いた。
きっと、私はこの先も迷いながら生きていくだろう。ポンコツな部分だって残りっぱなしだ。でも、蹲って泣いていたあの子供は曲を聴き終わった後、私の掌に小さな花の蕾を置いて笑いながら手を振りどこかへと去ってしまった。
その蕾を希望と呼んでいいのなら、私はこれからも遠回りの道だって笑ってゆける。
ああ何て日だ! たった5分足らずで人生が丸ごと救われてしまったよ。
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ライブの後、数人のフォロワーさんからTwitterやLINEで『おめでとう!』『息してる?』『アネモネのイントロが鳴った瞬間、ふゆさーーーーーーん!!!!!って思った』などのメッセージを頂いた。気に掛けてくださったフォロワー諸氏、本当にありがとうございました。でも、私そんなにアネモネって言うてましたか? とライブ帰りに偶然会ったフォロワーさんに訊いてみたら『だいぶ言ってたよ!!』と即答された。
だいぶ言うてましたわ。
みんなも言霊信じていこうな!!! 冬のドームツアーではモノグラムが来ます!!!!!!!!!
ここまでお読み下さりありがとうございました!!!
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