ブンゲイファイトクラブ2【二回戦】ジャッジ採点基準 #BFC2
公式の発表に伴い、ジャッジ採点基準を公開します。
勝ち 笠井康平
■採点基準
ジャッジを採点するにあたり、考慮した点は以下のとおり。評をつける行為とは、自らの視点と向き合うものであるが、そのときの姿勢がナルシスティックに過ぎないかどうか。自分よりも作品を見ているか。未知の存在と対峙したときにどんな反応を示しているか。文芸の未来を見ているか。最終的に、以下の点を高く評価する。わたしが望む文芸の未来を連れてくる人。
※最終基準を、今回は狭義で用います。個人が個人として立っているか。
笠井康平
一回戦ジャッジとは違い、二回戦ジャッジでは(おそらく作品数が減ったせいだろう)独自の添削法を用いている。そのため評がきめ細やかになっており、その丁寧な仕事ぶりは高く評価できる。だが、馳平啓樹作品への評はいったい何事か。主人公の足どりを表す文体と構成は明白であるのに、そこが評価されないのはまったく納得できない。どうも情緒に関する採点が低すぎるのではと睨んでいるが、これは氏の特色なのかもしれない。間違いを恐れずに言えば、氏のスピード感覚と噛み合わない作品は点数が低いように思われるが、いかがだろうか。採点方法の更なる進化を求めたい。いずれにせよ、自らを作品に捧げる姿勢や、どこまでも個人として責を負う気概には鬼気迫るものがあり、評価に値する。勝者とする。
竹中 朖
ブンゲイファイトクラブは、文芸の未来を変えるべく、資本主義・商業主義に反旗を翻した、文芸者の本気の遊びの場だ。だがもうひとつ、自明すぎてあまり指摘されない側面がある。「文学賞の実態の可視化」である。後者の意味で、氏は真に正しいプレイヤーと言えよう。それは二回戦において、氏が突然に「いわゆる編集者しぐさ」を展開したことによる。
氏は二回戦ジャッジにおいて、一回戦ジャッジでの「ものわかりの悪い読者」というロールに加え、「世界観に同調してくれない編集者」のロールを加えたという。前回「創作力の核を見る」ために使った氏の力は、今回「ふるい落とすため」に使われた。まるで就活生に対する面接官のような物言いなのは、氏が「文芸の荒波のなかで他の怪物じみた創作家と伍していけるのか」を念頭にしたためだからだろう。
この転向が迫られた背景には、二回戦作品が、優劣つけがたい(氏にとってどれも似たり寄ったりな)ものだったことがありそうだ。読者の立場ではうまく優劣がつけられず、無理やりに優劣をつけるために頼ったのが、長年培った編集者のもつ「商業的な物差し」だった、と読める。
だがこのロールプレイが必要だったかどうか、わたしは疑問を抱いている。ブンゲイファイトクラブという数寄者の遊びの場に、「商業」の物差しを持ち込むのが(だめではないけれども)いかに無粋な行為であるか、氏は気づかなかったのだろうか。氏はなぜ個人であることを捨て、解放されたはずの「組織の伝統芸」を展開したのか。氏の編集者としての誇りをくさすわけではないが、至極残念としか言いようがない。
そも「文芸の荒波」とは何だ。資本主義社会を生き抜く強者が、創作にすがって生きる弱者の群れを脅しすかしながら作った、今の日本の文芸業界の現状のことだろうか。小説の体裁をとるのならばしっかりと「小説」であれ、「読者の読みたいもの」を書け、自分がどのジャンルに入るかを忘れるな、本屋で置かれる場所を考えて書け。挙句の果ては、作者自身も売り方を考えなければ今の時代はもう無理だと放り出す。そのやり方で、一定の文化を築くことはできただろう。そのようにしてできたものを別に否定はしないし、それなりの強度は生まれた。だがこのやり方に未来はあるのか。一抹の不安があったからこそ、こんな道楽に参加したのではないのか。
さらにいえば、BFCの二回戦に、氏から見てぼんやりとした作品、「善良に過ぎる人々、凹凸のない物語、変化のない世界」が集まったのはなぜなのか、本当にわからないのだろうか。だとしたら、氏は社会的強者であるか、それなりに上の世代なのだろう。若い世代の多くは日々悪意を浴びて生きていて、善良さに飢えている。世界の変化は当然すぎて、変化しない世界の方が珍しい。若い世代の多くは、困っても「組織」に頼ることなどできない。
怨嗟の声をあんまり並べても仕方ないのでここらでやめる。いずれにしても、業界の伝統にのっとった瞬間に視野が狭まる、そんな出版業界の限界を見せつけられたような気がして残念だった。もしも決勝ジャッジとして進むときは、どうかすべてを脱ぎ捨てて、個人として作品と対峙していただきたい。氏は個人として確かなものを持っているはずだ。
最後にひとつ、ゲーム好きの観点から気になったことがある。氏の一回戦ジャッジと二回戦ジャッジを比較した結果、氏の評価するファイターは一回戦と二回戦であまり変わらなかった。この傾向から鑑みるに、三回戦(決勝)でも、評価するファイターは変わらない可能性が高い。それはブンゲイファイトクラブというゲームにおいておもしろい結果を生み出さないように思える。
以上を総合した結果、今のままでは、ブンゲイファイトクラブの決勝ジャッジとしては弱いように思われた。次点。
遠野よあけ
「作品群を使って批評すること」に注力しすぎており、ナルシスティックに過ぎた。ここは作品を利用して自らの論を展開する場ではない。結論として、今大会の決勝ジャッジにはふさわしくないように思われた。
以上