62番のバス(S記)
『主人公』という歌は、さだまさしの歌の中でもファン投票で断トツの人気を誇る歌である。アルバムの中の一曲であって所謂大ヒット曲ではないにも関わらず。
ご多分にもれず私も大好きで、自分が死んだ時葬式で流してもらうならこれだ、と思っていた。過去形なのは今は葬式なんてしなくていいと考えているから。
歌詞の中にこんなフレーズがある。
「いつもの喫茶(テラス)にはまだ時の名残が少し
地下鉄(メトロ)の駅の前には62番のバス
鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街」
さださん曰く、彼の歌の舞台は架空の町〔まさしんぐタウン〕である事が多いそうだし、もしかしたら彼の想い出の地がモデルかもしれないが、うっとりとこの歌に身を委ねるように聴いている限りは自分とは無縁の世界だと思っていた。
そもそも地下鉄はないし大学の近くもとりわけ学生街という感じがしない。そこはまさしんぐタウンなのであって自分の住む田舎の現実とは違う。
ところが、随分あとになって気づいたのである。
62番のバス…走ってるじゃん!
それも、自分の家の最寄りのバス停を通っているのだ。
何て嬉しい偶然。
この系統のバス以外に乗っても家に帰れたけど、それを知って以来、なるべくそのバスに乗るようにした。まるで銭湯の下駄箱の数字にこだわる、のりちゃんのようである(『木根川橋』参照)
県立中央病院行き
それが、62番だった。
この病院で、私は生まれた。
この病院で、父が死んだ。
この病院で、娘が生まれた。
62番のバスは、私にとって、いのちの源行きだった。
私が主人公の物語の中では、欠かせない乗り物だったのだ。
やがて車中心の生活になり、殆ど乗らなくなってしまったが、まだまだ自分の家の近くを走っている。
何せ病院行きだ、様々な人生を乗せて走っている。
もしかしたら自分の人生の終焉に関わる場所になるかもしれないし、ならないかもしれない。
いずれにせよ、よほどのことがない限り、62番のバスは走り続けるだろう。
遙か立山連峰を目指すかのように。
そして、このあとどんな物語になるにせよ、主人公は私だ。支えてくれる誰かがいてもいなくても。
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