『その橋を渡る時』S記

自閉症の娘は養護学校高等部を卒業したのち平日は福祉作業所に通うこととなり、当初は私が車で送迎していた。
朝、彼女を送り届けてから、その頃リリースされたアルバム『予感』をセットし、自分の職場に向かう。聴覚過敏のある彼女に配慮したのと自分が音楽を堪能したいのとがあったから。

橋、それは川ではなく線路の上の高架橋なのだが、そこに差し掛かった時にちょうど2曲目の歌が流れる。
そうして『その橋を渡る時』は偶然を装って私の心に沁み込んで来た。

夫が転職を決断し、娘の進路も決めなければならず、程なく私も職に就くこととなった後だった。なのでこの歌の「決断」という部分が刺さって仕方なかった。

更には『ベルサイユのばら』の中でオスカルが貴族の身分を捨てて民衆側に付くというシチュエーションとすごくシンクロすると思った。彼女は、まさにその橋を渡り二度と戻らないと決めたのだ。

自分の場合はオスカルほど立派な決断でも何でもないけれど、ちょうどそういう時期にこの歌を聴いた為、予想以上に響いた。聴けば聴くほどに。

だから、殆どの人が好きだと言う1曲目の『片恋』よりずっと好きなのだ。2曲目ゆえ埋もれがちになりそうな歌だけど私は好きなのだ。
さだまさしとしては珍しいブルース調の曲も格好良いと思う。私はそれでなくても、「Theさだまさし」的なものより、こういった変化球を好むところがある。

どんな橋だって、渡らなければ向こうには行けない。
行かない選択もあるが、大抵は行かなければ立ち行かないことが多いと思う。
そうして私は幾つの橋を渡って来たろうか。

「叩くくらいなら渡る資格はない」と歌では言っているが場合によっては叩くこともあるかと思う。
壊されて立ち往生したなら、新たに橋を作ることになるかもしれない。
そして渡ってしまえば後戻り出来ない。

今までの人生、壊れて崩れることなく何とか渡って来られたのだと思う。

これからまた幾つ橋を渡るのだろうか。いわゆる虹の橋を渡るまで。

そんなことも考えてしまう、私にとっては指標にもなった歌。

おそらく、サイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』のように橋が架かるのは、Troubled water の上だ。


#その橋を渡る時
#さだまさし







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