あれから30年経ったんだなと。

平成7年兵庫県南部地震こと阪神・淡路大震災から。

まずはあの地震で亡くなられた皆様に哀悼の意を表します。

当時大学1年生だった私は、朝起床後NHK総合テレビ(今で言うG)を視てただならぬ状態を察知し、NHKラジオ第一(今で言うR1)を聞きながらエラいことが起きてしまっている・・・と思いながら学校に向かいました。
当然勉学に力も入らず、その日に後期試験だった英語Ⅰの単位を落としました(そもそもこの科目担当のアメリカ人女性教授の鼻につく態度が生理的にイヤで毛嫌いしていましたが)

それから30年経過したのです。
確か震災翌年に神戸のポートアイランドにあるワールド記念ホールで行われた「日本をすくえ」というコンサートを観に行ったのが初めての独り旅だったような気がします。
大垣までの夜行から乗り継いで野洲から新快速に乗って眺めた東海道線の車窓からは六甲山系の山々にまだ地滑りの跡が見え、屋根も一部でブルーシートで覆われていて、ポートアイランドの会場近くで見たクラックに息を呑んだ記憶があります。

それから神戸も復興しているようには表向きには見えます。
他方で人口の流出がとまっていないようで、昨秋訪れた新開地では圧倒的に高齢者ばかりだったのが印象的でした。
新開地の北にあるダイエー湊川店の食料品売り場では我が家近所のスーパーよりも高齢者だらけでしたし。
その前に訪れていた新長田の復興高層住宅もどこか人通りが少なく感じていました。

もっとも大きいのは害国人が神戸まで来ていないという問題でしょうか。
昨秋新開地に行く前に高槻から新快速(のAシート)に乗って神戸に向かいましたが、害国人など多くの客が大阪で降りて、その代わりに乗ってくる客は少ない印象でした。
害国人にとって神戸に魅力を感じていない証左かも知れません。
京都と大阪のそれぞれの都市の個性が強すぎて訴求面がある一方で、神戸は外国な風情なのがかえってアダになってしまっているのかも知れません。

30年で確かに街は変わっているとは思います。
他方で神戸に元気がないようにも感じてしまっています。
これに関しては、そもそもの震災復興をバブル香の残るハコモノ重視でやってしまった当時の神戸市の姿勢にも責任があるようにも思いますが、それを踏まえて今後どうしていくかは現体制が真剣に考えていかないとならないと思います。
このままだと、神戸が大阪のベッドタウンと化してしまいます。
神戸製鋼や川崎重工、三菱重工があるとは言え、それ以外の大きな企業が神戸市内にないだけに、新たなイノベーションを神戸から発信していかないと神戸の立ち位置がどんどん落ちてしまうようにも感じます。

今年は大阪・舞洲で関西万博があるとは言え、関西地域全体が関東と比べて色々な面で沈んでしまっている様にも感じます。
観光を主とした体制などとってしまったら先は真っ暗です。
ゆえに神戸からイノベーションを発信できないと神戸市の立ち位置はより厳しくなっていくでしょう。
とにかく神戸が面白い!と国内外に思って貰えるようにしていかないと厳しいかなとは思うのです。

他方で兵庫県は再選された知事と県議会のゴシップばかりで先に進めることもままならず、神戸市も何がしたいのか見えていない気もします。
何より復興を目的に開通した神戸市営地下鉄海岸線が毎年赤字を垂れ流していて諸悪の根源扱いにされています。
何とか海岸線に客を呼び込もうと、神戸市が運河整備にかこつけてJR山陽線の和田岬支線を廃線にしようとさせていましたし。
その海岸線では開通後ホームドアが未だに設置されておらず、2025年度からやっと設置を始めるくらいですから、本当に厳しいのでしょうね。
(他の都市での海岸線の同じ形態の地下鉄各線では全駅にホームドアが既に設置済み)
そういう意味で先が思いやられてしまうのは気のせいなのでしょうか。

そして昨年の元日に発生した令和6年能登半島地震では三宮や長田、灘、東灘と同じ事が輪島市内中心部を中心に能登半島北部で起きてしまいました。
30年前を知らないヒト達にも伝わったとは感じていますが。


ここからは余談になりますが、その旅行で初めて221系に乗って衝撃を受けた記憶があります。
関東にはないかっ飛ばしぶりもそうですが、停車する直前にパッと点灯する側面の行先表示のLEDに。
(当時関東のJRは幕式ばかり)
あと有人改札がずらっとならぶJR大阪駅の御堂筋口改札も。
(当時関東ではほとんど自動改札になっていました)
あの頃は周遊券というフリーきっぷがあったのですが、今は無いのですよね。
害国人どもにはJapan Rail Passとかいうのを売ってるくせに。

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