ヒロアカしゅうとの「うちはダメだった」
うちもだめだった
帰りたくない家だった
よく言葉にしていってくれた
荼毘は父に執着してしまった
しょうとも同じだった
だけど違いは
しょうとはA組がいて 荼毘は信頼できるいい大人がいなかった
だから執着し求めた 止まってしまった
仲間ができると、一人で生きているわけではないことを知る
自分はここにいていいと
大事にするべきは
向き合ってくれる人の存在
自分を見てくれる人
うちがだめなのは事実だ
だからといって、それを理由に傷つけて良いわけじゃない
でも荼毘の環境は酷で
助ける人もいなかった
それを対比でわかりやすく描いてくれている
うちはダメだった
だけど、それとこれとは別のことなんだ
人を信じてもいい
信じられる人というのはいるんだ
荼毘を見て涙が止まらなくて
作者が痛みを知る人だとわかる
これお茶子ちゃんとトガヒミコ回のアニメどうなるんだ
しゅうとかしょうとか不明
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