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いじめを受けていた中学時代に、今の自分が声をかけられるなら...


『 いじめ 』


とてもしんどいですよね。

僕は中学1年の後半から、約半年ほどいじめられていました。

クラスでのいじめではなく、サッカー部のメンバーからのいじめでした。

当時の彼らに悪気は一切ないでしょうし、今更責め立てる気もまったくありません。


『ただ、当たり前のようにいじめを受けていた』


それだけのことです。

しかし、その当時の恐怖、つらさ、絶望感は、忘れられません。

中学校のいじめというのは、ある程度時間が経てば収まるケースが多いです。

僕の場合も、中学2年の夏くらい?にはゆっくりと回復しました。
(その裏で、違う子がいじめられ始めました。標的が変わっただけでした)



【座右の銘は『三番手』】


いじめは終わり安堵はしましたが、心の傷はまったく癒えません。


そもそもなぜいじめられたのか?という話ですが、実は原因は分かっているんですよ。

僕が小学生の頃は学校の中でも運動神経があって、自分で言うのもなんですが、お山の大将的な、クラスの中心的な存在でした。

そしてそのノリを保ったまま、中学校に進学したんですよ。

当然、初対面の奴が調子に乗って絡んできたら、誰だってイラッとしますよね。


そのイライラが形に表れたのが『いじめ』だったんです。

いじめる側としては、理由なんて何でもいいんですよ。キッカケさえあればいいんです。誰かをいじめられれば、それでいいんです。


少し脱線しました。

いじめを受けた僕は『省かれること』を、心の底から怯えながら過ごしていました。

極力目立たないように、表には出ないようにして学校生活を送ったんですよね。

授業は手を挙げない。自分の意見は主張しない。誰かに合わせる。サッカーはシュートを打たない、など。

徹底して『目立たないように』過ごしました。

当時の座右の銘は『三番手』でした。
どういうことかと言えば、


「目立たず、かといって悪くない立ち位置」


です笑
今となっては笑えますが、当時は笑えることではありませんでした。

つらすぎてつらすぎて、その中でやっと出した答えがコレだったんですから。



【仲の良い友達をいじめた中3時代】


中学3年の頃、僕にとっていじめられていた時と同じくらいの絶望感を味わう事件が起こりました。


小学校から一番仲の良かった友達が、サッカー部にいじめられ始めたんです。


彼は生徒会も入っており、成績も優秀でした。

今回のいじめの原因は、おそらく『嫉妬』です。

思春期真っ只中の中学生にとって、嫉妬はとても都合の良いいじめの材料でした。

当然僕もサッカー部でしたから、その光景を間近で見ていました。

僕の時も含めて、いじめの仕方は『無視』でした。

その彼は、サッカー部でも、日常でも、ずっと無視され続けました。


そして僕は、一番仲の良かった友達のことを、無視し始めたんです。


とてもつらかった記憶があります。

でも、抗えなかった。

いじめられていたときの毎日の絶望感が、脳裏にこびりついて離れなかったんですよ。


「もしも彼の見方をしたら、またいじめられる...」


その恐怖に負けた結果、僕は「一緒に無視する」という選択をしてしまったんです。


『世間から弾きだされる恐怖』


この恐怖は一度味わってしまうと、回復するのにとてつもなく時間がかかります。

僕は7年で克服しましたが、10年20年、一生治らない人だっています。

いじめられて1年くらいの僕は、その恐怖に抗うことができなかったんです。

それからは、いじめられたくないという恐怖と、いじめに加担してしまっている罪悪感の両方に悩まされる日々でした。

正直、毎日生きた心地はしませんでした。

今の心境を持ったままであれば構いませんが、そうでなくて、そのままあの頃に、中学時代に戻りたいとは、一切思いません。

当時の僕は受験期だったにも関わらず、家でオンラインゲームにハマっていたんですが、


今考えてみればもしかしたら、あれは無意識の内の現実逃避だったのかもしれません。


「ゲームは1日2時間」というルールを破って、勉強せずに4時間ほどゲームをしていました笑

家のルールを破ってでも、自分の居場所がほしかった。居心地がほしかった。だからゲームにしがみついていたのかなと。


あのとき、恐怖に抗えずにいじめてしまったこと、今でも後悔として残っています。

ただ、当時の僕には、それ以外の選択をする余裕がなかったのも、間違いありません。

僕はとても弱かったんです。



【世間への3つの対策】


今でこそ克服していますが、当時のいじめられている僕に

『いじめられて良かったな!』

なんて、口が裂けても言えません。あの時の地獄の日々は、もう一生味わいたくありません。


はるかぜちゃん(春名風花さん)が「いじめを受けている子は、堂々と学校に行く権利がある。逆にいじめをしている子達は、学校に来なくていい」という旨のツイートをしていました。


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至極真っ当な意見ですし、僕も同意です。しかし、これをいじめを受けている当事者に言ったって、あまり意味はありません。


なぜなら、それらは『周りの大人達がこういう意識を持って子供達に接すること』であり、いじめを受けている子達が意識することでもないし、いじめている子達は、それでも毎日学校に登校してくるからです。


いじめを受けている子達に必要なのは『心の平穏』です。

だから僕は、緊急回避的な「逃げてもいい」という対策も推奨しますが、それだけの対策だけだと、少し心許ないんですよね。


そもそも、日本でのいじめは『世間』というものが強く影響しています。

その世間が持つ「差別的で排他的」な性質が、こうしたいじめを生んでいます。

そして僕は、その世間に抗う方法は3つだと考えています。


①強い個人になること
②他の世間に移動すること
③世間と上手に付き合うこと


この3つです。


①の「強い個人になること」というのは、メンタリストのDaiGoさんがやったような『反抗』です。


反抗してしっかりと自分の意志を持っていること周りに知らしめる、という方法ですね。


しかしこれは、何かトリガーがないと行動に移せる人は少ないと思いますし、実際に行動に移せる人はごく少数でしょう。逆にいじめが悪化してしまう可能性もあります。



②の「他の世間に移動すること」というのは、多くの人が言うような「逃げてもいい」という『逃避』です。


不登校になるでもよし、転校するでもよし、そのいじめられている環境から逃げて、新しい環境に変わるのも、1つの手です。


しかしこれは、根本的な解決にはなりませんし、何も悪くないのに「その学校で学ぶ権利」を放棄してしまうことにもなります。いじめっ子は、標的を変えてまた繰り返すだけです。



③の「世間と上手に付き合うこと」というのは、心理的な対策であり、世渡り上手のような『いなし』です。


僕はこれを『予防心理学』という学問にして日々発信していますが、自分の心がパンクするのを防ぐために、考え方を変えるんです。


しかしこれは、一朝一夕で身に付く物ではなく、習得するのに少し時間がかかってしまいます。加えて、考え方を変えるだけであって、別にいじめが終わるわけではありません。



【バカの言うことはスルーすればいい】


これらを踏まえた上で、当時の僕にどんな声をかけるのかと言われたら、


「いじめてる奴はお前よりバカだぞ」
「学校以外に居場所を探すのもアリだぞ」


という言葉です。

まず「いじめる」という行為をするというのは、自分達の気分のために誰かを貶めるという、バカな人がする行為です。

あなたをいじめている人は、あなたよりも遥かにバカなんですよ。そのバカさを隠すために、集団で仮想敵を創り出して、優越感に浸るんです。


自分で自分の気分をコントロールできないお子ちゃまなんですよ。


これを大前提として、意識してください。


いじめられるのは「あなたがダメだから」ではありません。あなたの周りに、一定数の「バカなお子ちゃま」がいるからです。


そうやって、自分の心に少しゆとりを生むんです。


そして第二に、学校だけがすべてではない、ということ。

「学校は通わなければならない」

「逃げ出してはいけない」

多くの子達が、こういった固定観念を持っています。これは大人達が無意識の内に植え付けてしまった意識です。


別に逃げ出してもいいんですよ。


学校があなたの人生のすべてではありません。

もちろん、一般的な世界ではみな小・中・高・大と卒業して、就職するという道を辿っています。

しかし、それ以外の道があるのも事実です。

ただ、ほんの少しだけ、その道を選んだ人が少ないだけです。

逃げるというのは、物理的な「不登校・転校」という手もありますが、他には


『心だけ離れる』という心理的な対策もあります。


例えば、好きな人とデートをする約束があるときって、デートのことを考えて仕事が手につかなくなるときってあるじゃないですか。

あの「心ここに在らず」という状態を創り出すんですよ。

僕は当時、オンラインゲームにハマっていたと言いましたが、あのときはそのゲームが『心の拠り所』でした。

学校にいるときって、あまり心がなかったんですよ。

なんとなく学校の時間を過ごして、下校時間になり、学校を出て家に帰ってる途中から、心が戻り始めるんです。

だから、学校で起きることなんてどうでもよくて。もうなんでも良かったんです。


学校という『世間』から、心を離すんです。


そしてそのためには、学校以外の『心の拠り所』を見つけるんです。

何でもいい。近所のゲームセンターでも、オンラインゲームでも、趣味仲間とチャットをするでも、隣の家のおばちゃんと麻雀をするでも笑


とにかく、学校以外に1つ拠り所を作るんです。


そうすると学校で省かれようが、そこがセーフティーネットとして残ってくれるので、心がボロボロにならずに済む可能性が生まれるんです。

今の時代、学校の重要度は少しずつですが下がっています。

以前よりも、学校に固執する必要がなくなったんですよね。

もちろん、安易に「辞めてもいい」なんて言えません。


ならば、辞めずに違う世界で生きればいい。


いじめてくるバカな人達は心の中で見下して、自分はそんなお子ちゃまにならないようにと反面教師にして、学校の外で心の拠り所を作る。

そういう選択も、今はできるんです。
(見下すのは心の中だけ、行動に移したらいじめっ子と同じバカになってしまうから気をつけて)



【いじめに感謝できる日はくる】


今の僕は、もういじめを克服しています。

むしろいじめられていたおかげで、人よりも空気を読めるようになりましたし、それが今ではコミュニケーションなどに活きています。

だから、むしろ感謝しているんですよ。

いじめを乗り越えたからこそ言えるのは


『想い出は変えられないけれど、出来事の意味や解釈は、未来でいくらでも書き換えられる』


ということです。

もちろん、今いじめられている人には信じられないかもしれません。あの頃の僕に言っても、絶対信じませんでした。

でも、実際にこうして変えられたんです。

いじめに対しては、立ち向かうもよし、逃げるもよし、躱すもよし、耐えるもよし。


正解なんてないんですよ。

「どうすればいじめられなかったのか...」なんて考えても、答えなんて出ません。

だって、いじめっ子にとっては『いじめ』が目的であって、『誰か』はただの手段でしかないんですから。


「たまたま、あなたの番がきてしまった」

という風に、流れ弾が当たってしまっただけなんです。

だから、あなたに非があるわけではありません。

仮に「自分にも非がある」という認識があったとしても、それは注意すればいいだけであり、いじめで相手の存在そのものを否定していいことにはなりません。

やっぱり、いじめる人はバカなんです。


いじめられると、どうしても「自分はダメな奴なんだ...」とネガティブになってしまい、自己肯定感がどんどん下がっていってしまいます。

でも、ダメなんかじゃありません。

そこは、忘れないでください。


あなたの存在がこの世界のすべての人から否定されるなんてことは、絶対に有り得ません。

しかし、一線を越えてしまうと後に引けなくなってしまったり、日本に根付く『世間』から嫌われてしまう可能性が増えてしまうので、その一線を越える前に、色んな世界を見て、心の拠り所を見つけましょう。


友達がムリなら先生、先生がムリなら親、親がムリならSNS。

探せば、誰かが必ずあなたの見方になってくれます。

今の自分の周りだけが、世界のすべてではありませんから。


誰かのためになるよりよい発信のために精進させて頂きます。