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バックヤード:修理という快楽
数年前に買ったヘッドフォンのイヤーパッドがボロボロ崩壊してきた。ありがちだよね、あのふわふわした素材が崩れてくる状況って。しかし元々使用頻度も高くなく、バッテリー(充電式なので)も劣化していない製品である。
まあ、それほど高価な品でもないのだが、それでも「もったいない」ってことで、崩壊イヤーパッドの上に被せる品を探していたら、何のことはない、本製品用の交換イヤーパッドが千円程度で売っているのに気づき、ダメ元で購入してみた。
結果としては、マイナスドライバーを崩壊イヤーパッドの隙間にねじ込んで外し、新品イヤーパッドをカチっとはめたらお終いだった。良かったー、新しいヘッドフォンに買い替えたりせずに(物色はしていた俺がいたことは白状しておこう)。
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まあ昔から「自分で修理したがる癖」ってのはあるんだよね。たぶん、自転車いじりを趣味にしていた頃に身についたものだが。ここに告解すると、修理しすぎてクロスバイクを廃車寸前にしてしまったことすらあるし、自転車の修理道具って結構なお値段するんですのよ奥様、だったりはする。
「実入りはトントンで、時間はたっぷり」な現在のリタイヤ後生活は、買わずに自作、修理を楽しめて、大変、具合が良い。やっぱり修理ってのは快楽だよね、何かブツを征服できた感じがあって。手段が目的化している部分もあったりはするが。
そう言えば、少し前に「修理する権利」がどうとかいう記事を見た記憶もあったので、検索してみた。
良いなあ、大人の知性、って気がするよね。ブツをブラックボックス化するんじゃなく、修理しながら長く使えるように設計、デザインしろっていうのは。地球に良いだけじゃなく、「修理という快楽」も得られるんだから。無駄遣いでまわる経済とか、長い目で見たら、先にサスペンスドラマ的断崖絶壁があるだけだろう。
日本企業も、こういう動きに同調していって欲しいもんだ。(法制化とか消費者側からの圧も必要だろうね)