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にっき 19

1年更新できてなかった。あれからもうすごく遠くへ来たような気分だ。
色々あってなんもかも嫌になって、発信するのが怖くなって、日記も非公開にしていましたが20歳の頃から現在に至るまでの6年間、もう二度と書けない内容と文体で書いてあって自分を振り返るうえでとっても貴重なので人生のつじつまが合う程度に公開にしておきました。日記の数字が飛んで病院の待合室にある巻数の揃ってない漫画みたいになっててすいません。あと1年書いてなかったぶん今回わりと長くなります。

さてなんもかも嫌になる前の昨年2024年は春に中学校へ教育実習に行って、夏は人生初フェスSONICMANIAに行ってサカナクション(と長谷川白紙とVICTORIAとceroと牛尾憲輔)で踊り狂って朝になり、大阪のライブハウスで仲良くなった友達と渋谷のパソコン音楽クラブワンマンで踊り、高校のマブダチとa-nationでRed velvetを見て心がいっぱいになり、秋は文化祭でピン芸ステージをやった。どう考えても元気だった。
教育実習とか毎日楽しくて仕方がなくて、どんなにやること多くても朝から晩までシャキッとしていた。やっとの思いで決まった実習先だったから、全てを楽しんで吸収して、印象に残る沼実習生(ぬま・じっしゅうせい)になるぞという目標があった。
すると、ある時期から連絡ノートに「もうすぐ髙野先生がいなくなってしまう…」と毎日のように僕のことを書いている生徒が現れた。給食の時間によく話している班にいるバスケ部の子だった。最終日に似顔絵をそえて連絡ノートを返却したら「先生…僕のこと、描きました?」と照れくさそうに声をかけてきてくれたので、うん、いっぱい書いてくれてかわいいやつだなーこいつーと思って気持ち込めて絵描いたよと言ったら満面の照れ笑いを浮かべながら無言で去っていった。
他にも、休み時間に行ったことないところ行きましょう!って生徒が学校案内をしてくれて図書室とか美術室の端っこまで歩いたり、ハイキューの灰羽リエーフが好きな子にクリアファイルをあげたら「神さまと呼ばせてください、、」と大感謝されたり、自分が教室に入ったら恋バナしましょーーー!ってクラスが大混乱になって場を収めるためにじゃんけんしたり、寄せ書きをもらったり、クラスの生徒にも似顔絵描いてください!!!と頼まれて喜んでもらえたりと、いい思い出しかない。実習指導担当の美術の先生は大人って捨てたもんじゃないなと思える面白さとかっこよさがあって、なぜだかありがたいことに実習後も交流が続いている。SNSの映えとかバズとかに侵食されている生活のなかで、電波に乗らないかけがえのない経験だった。忘れない。
秋の大学の文化祭は最初で最後だったため軽い気持ちで色んな人に声をかけまくったら、高校と中退大学の友人たちと先生が来てくれて僕の僕による僕のためのオールスター感謝祭が開催された。葬式にきてほしいメンバーだった、というかもう葬式だった。幸せすぎて我が一生に悔いなし…となりこの日を境に燃え尽きてしまった。

そのあとは、とにかく卒業制作がつらくてつらくて、あとちょっとで卒業なのに同級生(全員5、6才年下)に心開けてねえーていうことに気づいてしまい、ふつうに話せる友達もいるのに「おれと話しててもみんなつまんないだろうな」「誰も求めてないし誰にも求められてないな」ってひとりでバッド入りまくり勝手にウルトラ孤独モードになった。年末年始は風邪ひいて世界が遠のいた(鼻づまり)。2025年になるとでんぱ組.incが幕張メッセでエンディングを迎え、フジファブリックがNHKホールのラストライブをもって活動休止、KAT-TUNは突然に解散宣言をした。出会ってから人生の半分以上、僕の支えになってきた文化がどんどん終わっていく!今年に入ってあまりにも立て続けに終わりすぎている!時代は変わるにしても多い多い多い多い多い!!!!!
今もバッドがうっすら続いて「人生つらい」と考える癖とだるくてベッドに横たわって気が済むまで学マスをする癖がついたまま、はちゃめちゃに厭世主義人間になっている。
正月は起きてすぐ「正月 死にたい」って検索してた。今考えると、とりあえずお雑煮とおせちがあるから生きといたほうがいいだろ。あとでんぱ組のライブ行くんだから。

最近は卒業制作が終わって学外の展示も一旦終わって、千葉から東京へ向かう毎朝の満員電車と、何度も何度もあった作品の審査と講評と、大学のコース内の狭い人間関係からようやく解放されてマシになってきたところだ。
2月12日22時3分の、KAT-TUNファンクラブメール伝言板による3月末解散発表の衝撃で心壊れたまま、おととい卒業制作展示の搬出に向けて道を歩いていたら教育実習の担当の先生がシャネルの香水を漂わせながら展示会場に来てくれていて路上で偶然会うことができた。何ちょっとお、びっくりするじゃーんいきなり後ろから声かけないでよー、と言われながらも嬉しくて話していたら先生が「らしい展示だなって思ったよ、よくがんばったね。お疲れ様。」「パンフレット(卒制の一部)も貰ったよ。」と展示の配布物を紫色のシャツの上に羽織っているロングコートの胸ポケットにしまってニヤニヤしながら労ってくれた。
僕が着ていたGジャンを見て「リーバイス。」と先生が決め声で言ってきた。先生は実習期間中にも僕が持っていたサーティワンアイスのエコバッグを指さして「バスキンロビンス。」とやたらいい声でアクセントつけて言ってきていた。相変わらずお互いになぜか面白がっているのがバレバレで、六本木の路上であの楽しかった教育実習の時と変わらない時間が流れ、ここしばらくずっと苦しくてもう生きてたくなくて自分がわからなかったけどなんか救われる。心が半壊になりつつも2年間よくがんばったし、こんな人間関係も変テコな状況も教職とって今のコースにいなきゃ生まれなかったわけで、わざわざ進学し直してよかったなとこの日初めて感じた。

新年度からはKAT-TUNのいない世界で心機一転、車に乗ったり恋をしたりお金を貯めたりしたい。引っ越しもしたい。やっとやりたいこととか楽しいことを少しずつ考えられるようになってきた♪こんなにもわけわからずバッド入り人間でも迷惑をかけても優しく関わってくれた周囲の人々に感謝しかない。


ていうか卒業制作の展示準備を終えた日の夜にメールで突然

ファンクラブ会員の皆さまへご報告

いつもKAT-TUNを応援いただきありがとうございます。
ファンクラブ会員の皆さまに大切なご報告がございます。


これはやりすぎだろ。しかも22時過ぎ、持病がなくても命に関わりますよ。
嫌な予感しかしなくて、ひとりでURL開くのが怖くて叫びながら母親の寝室に駆け込みました。ほんと世界一怖かったね。電撃KAT-TUN解散発表のおかげで展示期間中なにも手につかなくなって外に出られなくて、当番あったのに初日の準備と最終日の片付けしか行けなかった。ギリギリでいつも生きているとこうなる♪

KAT-TUN解散に加え、ここ数ヵ月で染み付いた卒制バッド思考でいきすぎた厭世主義とペシミストはおもしろいってことを知った。

哲学者 エミール・シオラン「人間なんてそもそも生まれないほうがよい」
バンド syrup16g(五十嵐隆)「死にたいようで死ねない 生きたいなんて思えない 頭悪いな俺は自意識過剰で」

わかるけど。ここまで言いきられるとなんかおもしろい。シオランによる晩年のエッセイ「告白と呪詛」が気になって、久々に本を買った。読むのたのしみー
まあ色々あって、生きる喜びを感じてはいないけど、いま死ななくてもいっかくらいの気持ちにはなってきた。
26歳、がんばらなくていーよ。ギリギリでいつも生きていたいからここを今飛び出していこうぜ。
じゃね。(指導教諭がくれるカジュアルLINE風の〆)