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公園で本を読んだ

書き出しのところでノートから挨拶されるんだけど、「こんばんは」と出てきて、もうその挨拶の時間なのか、とハッとした。いま外にいるのだけど、あまりにもあたたかくて明るいから。

今日は午前中から家の中であらゆる手続きをして疲労困憊だったので、午後から家を出た。午後と言っても15時ちょっと前からだけど。いままで避けていたあらゆる手続きをして、それでもまだ終わらないけれど、今日で全てが終わらないことが確定したので半ば諦めて家を出た。

外に出たい。けれど外に出るとお金を使ってしまう。いまの私はかなりの金欠(かなり好き放題お金を使ってしまった結果。やばい)なので、いかにお金を使わないでいるかが大事だ。4月には定期を買わなければならないし。恐ろしい額が出て行ってしまう。仕事なんかのために。いずれ戻って来るとしてもあまりにも怖い額。
そんで昼ごはんとかを家から持っていくようにしているのに、受けなければならない研修などもあり、どんどんお金が飛んでいく。

いかに休みにお金を使わずに、しかも外に出るか。
そう考えて昨日・今日と、近くの公園に出掛けて本を読む、をやっている。ちょうど積読が山ほどあるし、とても天気がいいから。家から小さな水筒も持って行って抜かりなし。

日光が浴びれて本も読めて、なんていい休日だろう。私にぴたりと合った日光の浴び方だ。
先月友人と会った前後から気持ちの上がり下がりがさまざまあり、落ち着かない日が多かった。これは良くない、と早寝早起きを続けてい少し調子が良くなってきた。
日光も浴びることが出来たらセロトニンどばどばで最強なんじゃないか?と思ってやってみたけど、やっぱり良さそうだ。家の窓際よりも断然光が身体に染み込む。
調べてみたら「午後の日光浴はおすすめしない。午前中がいい。」という記載を見つけてちょっとショック受けたけれど、浴びないよりはいいだろう。ぜったい。ビタミンDのために。

イヤフォンをつけずに公園に向かってみたら、その途中で見るいろんなものの解像度が上がってびっくりした。いつもイヤフォンでいろんな感覚を遮断してるんだな、と思った。聴覚だけでなく、視覚も。こんな葉っぱの形だったんだ、とか、すごい新聞がはみ出ているな、みたいな些細なことに気づけた。平日はとにかく乗り越えるのに精一杯で、現実とは別の刺激をガンガン与えていろんなものの解像度を落とそうとしているのかもしれない。無意識に。
ノイズキャンセリングの閉塞感もきっと私の中を不透明にさせている。ノイズキャンセリングなしで歩くと、頭が開いたみたいな心地がした。

公園は子どもとその親がたくさんいて、たまに犬の散歩をしているお年寄りがいて、という感じで、私みたいな人はいなかった。みんな元気にやっているけれど、それが鬱陶しい、みたいなことは全然なくて、たまに本から顔を上げて眺めるのにちょうどいい感じだった。親御さんも元気にボールを投げたり走り回ったりしていて、顔もとても晴れやかで、子どももそれを見て嬉しそうで、みんなずっとこのままならいいね、と思った。

一時間そこで過ごした。ここ数日ずっと読んでいた本を一冊読み終わって、もう一冊の本に手をつけることが出来た。目がしぱしぱする。光をたくさん浴びた、と訴えかけられている。そろそろ家へ帰ろう。寒くなる前に。

サムネは別日に見に行った湖。
日光の温かい公園ももちろんいいけど、やっぱり湖や海など水がたっぷりとあって私の知らないリズムで揺れている場所が好き。もっと近くにこういう場所があるととてもいいんだけどな。もしくは私が車の運転を頑張る…か……

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