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穏やか、じゃない

「穏やかだよね」と言われるとムカつく。私がたくさん言わないことをいい事に、そうやって下に見て心のどこかでせせら笑っているのだろう、と考えてしまう。被害妄想の塊のような人間だ。

「穏やかだよね」と言われてこんなに考えてしまうぐらいなのだから、私はやはり「穏やかな人」ではないんだろう。

けれど言われた私はといえば「そんなことないですよ」とヘラヘラとするだけなので、結果的に「やっぱり穏やかじゃないか」となってしまうのだ。

当たり前だが、他人にとっては表出している私がすべてだ。私が内心モヤモヤしていたところでそれに気付くことなどない。

だから私はとりあえず現実世界においては「穏やかな人」として存在している。内面がどうとかとは関係なく、そういうものとして進んでいく。

関係が深まっていくとひねくれた人間だということはバレていく。ただその攻撃性を相手に直接浴びせることはほぼない。

前にも書いたかもしれないが、私は自分が意識しないうちに自分の情報をなにも明かさないまま人の話を聞いているらしい。「ごめん話しすぎた、なんか話すことある?」と聞かれると困る。話したいことは無い。人の言葉に反応することは出来ても、自分のことを話そうとなると何もなくなってしまう。

思うに、自分を守ることには長けているが、自分から踏み込むことは苦手なのだと思う。

内心ムッとしたことを、へらへらと流すだけではなく、オブラートに包んでさりげなく相手に返すことが出来たら良いのに、丸ごと飲み込んでしまっている気がする。

嫌な思いを攻撃的にではなくてまろやかにして伝えることが出来たなら、もっと正しい私が伝わるんだと思う。

今の私は「中身は見せないけど、分かってよね!」という無茶を言っているのと同じだ。すごいめんどくさい奴じゃないか。

仕事でも、お客さんに対してガードするのは得意だけど、踏み込まなきゃいけないところで躊躇してしまっている気がする。

子どもの頃は守りさえ出来れば良かった。その上で自分を上手く貶めながら相手が笑ってくれればそれで大丈夫だった。けれど、大人はそういうことじゃないんだな、と思う。今さら気づいた。

身体に染み込んだピエロみたいな生き方を変えていく必要があるんだと思う。どうしたらいいのかは全く分からない。このままのらりくらり生きていくのかなぁとも思う。嫌な気持ちにはなるけど楽だから。

夫にはギャーギャー言えるのにな。それもまたどうにかしなければならない別の問題だ。

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