『感情を込めて』
そういえば普段レッスンで『もっと感情を込めて!』というセリフをあまり使わない。なんでかなと考えてみたら、いわゆる「棒弾き」に聴こえる時って、生徒さん自身が弾いている箇所に感動できてないからであって、何も感じてないのに感じているフリをするのはとってもヘンテコリンで棒弾きより不自然に感じることすらあるからかなと。
なので、『お花って綺麗!って叫びなさい!』というよりは、『あ!先生見つけちゃったんだけど、あの木の下見てごらん🌷』と声をかける感じに近いかもなと。どう感じるかはその人次第だけど、せっかくだから気付いて欲しいなと。
なのだけど、先日、感情込めてとレッスンで久しぶりに口にした。正確には『音楽から感じていることを怖がらずに音に乗せても大丈夫』と言った気がする。
本番が近づいている、時々来られる大人の生徒さんで。もう曲もだいぶ仕上がっているし、丁寧で、音もバランスよく聴けていて、テクニック的にも弾けている。
でも、音から『照れ』が見えた気がして😳
自分この曲すごく好きなんですけどね、、、、だけどそんな立派に弾けてるなんて思ってないですよ、あココちょっと難しいんですよね、、、、あメロディーここは気をつけて練習したんですけどねこの内声うるさいですかねぇ、、、あ音外してしまいましたすみませんここの響き綺麗に弾きたいんですけどねぇ、、、、ああ大きくなりすぎましたああ
みたいに
音から心の声が漏れ聞こえていた気がして。ところどころ音楽の世界観にググッと入って響きと心が一致しているなぁと感じるのに、なぜか急に『照れ』て、現実の世界に戻って弾いている感じがして。一曲の中でそれが繰り返されてて。
メロディーを、フレーズの最後までを、自分の言葉として喋って大丈夫ですよ、と伝えた。凄く考えて弾けているし、色々なことに気付いて弾いている。曲の中身のことだけじゃなく、自分が音楽を続けている意味とか、好きな気持ちとかも感じて大丈夫。だからもう、ここがレッスン室だってこと忘れて、最初から最後まで、自分が感じる音楽の世界で弾いて大丈夫ですよと。
こうやって伝えると表面的にだけ抑揚をつけたような歌い方でメロディーだけ大きく弾くパターンになってしまう生徒さんには、別の言い方をするだろうなと思う。
この方には、この言い方で、その後演奏の感じが素敵に変わったから、それまでよりも怖がらずに音楽と心が一致した感覚がご本人の中で見えていたら良いな。
気付いていないから音に表れない人と、気付いて感じているんだけど音に表れない人と、いるなぁと。音楽じゃない話でも、そうだなぁと。