『餅なし正月』と火事

 これは昨年冬の京都秘封で白幡さん(@kschocobeer)が企画された民間伝承合同『はつもうで』に寄稿させていただいた小説『彼女が焼いたモチ』の裏設定についてまとめたものです。
 この話は以下の二つの事柄を題材にしました。

  1. 四ツ家の餅なし正月

  2. 三の酉と明暦の大火

1.四ツ家の餅なし正月

 このお話のメインテーマになっている民間伝承です。
 東京都足立区青井の一丁目、二丁目のあたりは、かつて四つの家が村を開発したから「四ツ家」と呼ばれていました。
 この地域では「正月に餅を食べてはならない」という風習があります。
 その「四ツ家の餅なし正月」に関して、以下の昔話が伝わっています。

 その昔、四ツ家という村に将軍が鷹狩をするため、よく来られていた。村の人々は将軍を迎える際には、総出で道の掃除をしたり、目障りなものにふたをするなど厳しく注意されていた。しかし、偶然将軍が来られた正月にある家から火事が起きてしまった。将軍はこれを厳しく咎め、村全体に正月に餅を食べることを禁止した。
 それから数年後、四ツ家の外に出た人物が「ここは四ツ家ではないからいいだろう」と正月に餅を食べると、そこでも火事が起こった。これを火の神による祟りだと考えた四ツ家の人々は、一層、正月に餅を食べないよう気を付けるようになった。

 「餅なし正月」の風習は全国的にあり、標高が高いところにある村などの稲作をすることが難しい地域などに多い傾向があるようです。
 四ツ家にも先ほどの伝承とは別に、四つの家が落ち武者としてこの地に落ち着いたのが年の暮れであり、餅米を作ることができなかったことから、代わりに芋雑煮でまにあわせてきたことが、風習になったという説もあります。
 しかし、四ツ家と呼ばれていた地域である足立区青井の一丁目には、火産霊命、別名火之迦具土神を祀っている「愛宕神社」があり、先ほどの伝承との関連が感じられます。
 物語のなかで蓮子とメリーが泊まった神社も、この愛宕神社を参考にさせていただきました。

2.三の酉と明暦の大火

 浅草で行われる大きな祭りの一つに「酉の市」というものがあります。
 これは例年11月の酉の日に、日本武尊を祀る「鷲神社」で行われ、幸運や金運をかき集めるという意味合いから「縁起熊手」が売られています。
 酉の市は一年に二回か三回行われますが、これは11月に酉の日が二日ある場合と三日ある場合があるからです。この三日目の酉の日のことを「三の酉」といい、三の酉にも一つの伝承があります。
 それは「三の酉のある日には火事が多い」というものです。
 そのためか三の酉のある年の酉の市では、熊手と一緒に火除けのお守りやそれに準ずるものが配布されることもあるようです。
 この伝承の由来にも様々な説があるが、私の話は「明暦の大火」を題材にしています。
 明暦の大火とは、1657年に江戸で起きた最大の火災で、その死者数は3万人から10万人ともいわれています。
 この大火は、別称「振袖火事」とも呼ばれていますが、それは以下の伝承が由来になっています。

 麻布の裕福な家庭の娘、梅乃は、本郷の本妙寺に墓参りに行った帰り、上野の山ですれ違った小姓らしき美少年に一目惚れをした。この日から梅乃は恋の病を患い、寝ても覚めても彼のことが忘れられず、食事も喉を通らなくなってしまい、ついには寝込んでしまう。彼の身元もわからない梅乃は、両親に彼が来ていたのと同じ荒磯と菊柄の振袖を作ってもらった。しかし、病は悪化し、梅乃は命を落としてしまう。本妙寺での葬式の際、両親はせめてもの供養にと娘の棺に振袖をかけてやった。
 当時、棺にかけられた形見などは寺男が好きにしていいことになっていた。梅乃の振袖は寺男によって転売され、上野の町娘である、きののものになった。ところがこの娘も病によって亡くなり、奇しくも梅乃の命日に再び本妙寺に持ち寄られた。寺男たちは再度この振袖を転売し、別の町の娘いくの手に渡ったが、この娘も病によって亡くなってしまう。
  さすがに因縁を感じた住職は、この振袖を寺で焼いて供養しようとした。住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げ入れると、北から強風が吹き、裾に火のついた振袖は舞い上がって、寺の軒先に落ちて火が燃え移った。その火はたちまち大屋根を覆う炎となり、ついには江戸を焼き尽くす業火となった。

 この話は、同じ時代の仮名草子作家である浅井了意が取材をし、「作り話」として結論付けられているようです。
 私が書いた物語には、梅乃の名前と荒磯と菊柄の振袖が登場しています。

3.まとめ

 現在では浅草の鷲神社で行われる「酉の市」が最も有名なものになりましたが、江戸時代には武蔵国南足立郡花又村、現在の東京都足立区花畑にある大鷲神社が「本酉」として栄え、この近在住民の収穫祭が江戸酉の市の発祥とされています。またこの大鷲神社は、祭神である日本武尊が東征からの帰還の際、戦勝を祝した地とされています。
 ちなみに関東地方で鷲神社の本社とされるのは、埼玉県久喜市にある鷲宮神社で、こちらは日本武尊が東征の際に戦勝を祈願した地だとされています。「酉の日精進」も古くにこの土地から信仰が広まり、今でも12月の初酉の日には「大酉祭」が行われています。またこの神社は「らき☆すた」でも広く知られることになりました。
 「餅なし正月」で紹介した愛宕神社ですが、火産霊命の他に日本武尊も祭神として祀っています。これからただちに花畑の大鷲神社と関連があるとは言えませんが、何らかの繋がりがあったら面白いと思っています。
 また「餅なし正月」で鷹狩をしに来た将軍がいますが、鷹狩で有名な将軍として徳川家光があげられます。実際に足立区には彼が鷹狩の際に御善所として使用した神社がいくつか存在します。
 「餅なし正月」の伝承や「明暦の大火」のあった時期、そこにある神社など、本来は繋がっていないだろう物事に何らかの関連性を感じてしまう。
 そんな面白いような、怖いような話がそこにはありました。

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