悲しいけれど…

こんな事、リアルでは恥ずかしくて、情けなくて、そして悲しくて言えないけれど…実の父に対して「この人と結婚していなければ、母はもっと長生きできただろうに…」と思うことがある。

気が利かないというか、相手の状況を考えて行動できないというか。

亡くなる直前の入院期間中も、母は、父ではなく私に付き添っていてほしがっていた。
病気でしんどい状態の中、自分の思いを汲み取れない相手だと無力感や苛立ちを覚えるのは当然だ。

我が子を育てている中でも、きっとこういう時、母は苦労していたんだろうなーと思うことがある。

優しい人ではあるので、言われたことは一生懸命やってくれるのだが、自分から動くのは苦手で…。

《母の病気・入院について》
入院中、声は出せなくなったが意識はハッキリしていた頃。私がご飯を食べるため、30分くらい父が代わりに付き添った。私が戻ると母は「全然ダメだった。早く戻ってきてほしかった。」と表情と口の形で伝えてきたことがあった。
頑張り屋で、精神的に強い母だったが、病状が深刻になってくると子供に帰ったかのように、薬を飲むのを嫌がったり、怖い夢を見たと不安そうな顔で訴えてきたりすることがあった。
そんな状態だったので、亡くなるまでの約1ヶ月間、病院に泊まり込みで付き添った。

本当は父と交代で付き添いができれば、私の負担も軽くなったのだが、母の歯痒さが手に取るように分かるので、父に任せる気にはなれなかった。

母も私を頼りにしてくれていたし、体力的にも精神的にもきつかったけれど、私もじっくり母と過ごすことができ、本当に良かった。(理解ある社長のおかげで、仕事は、『介護休暇』という形で休職させてもらった。社長自ら電話をくださり、母の状況を聞いて休職の話を提案してくれた。本当にありがたかった。感謝!!)

そんな風に私が付きっ切りで看病していたのに、母が亡くなったのは、初めて父が病院に泊まった翌日の朝だった。
病院のシャワーは入院中の患者さんのためのものなので、都内の姉の家でお風呂を借りに三日に一回くらい行っていた。
寝床もお見舞い用のソファをくっつけただけの簡易なものなので、お風呂のついでに布団で数時間仮眠させてもらっていた。
付き添い期間も長くなり、翌週に向けての体力回復のために、その日は仮眠ではなく朝まで泊まらせてもらうことにした。

そろそろ病院に向かおうかと思っていた時に父から電話が…。
この一ヶ月間、一緒に頑張ってきたじゃん!!
どうして私が居ない時に死んじゃうの?!
私が付いていたら、変わったかな?!
そんな思いでいた時、病院に向かう電車の中で姉から
「きっと、りんちゃんが居る時に亡くなったら、一生思い出して辛くなっちゃうだろうって思ったから、お父さんが居る時にしたんだよ。」と言われた。
「もっと早く病院に戻っていれば…」と自分を責める気持ちがあったけれど、その言葉に救われた。

*思い付いたことをツラツラと書いてみたので、まとまりなくてすみません。
読んでくださり、ありがとうございます。
書いたらちょっとスッキリしました!!

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