金にならん芸術が必要ないなら。
どうも、不破です。気づけば1週間近く投稿してませんでしたね。さて、私の住む都道府県でも緊急事態宣言が延長されてしまいました。ここで少し部活指導のほうの近況報告をさせていただきます。
私は地元の中学校でバレーボール部の外部指導員を務めています。中学校の部活動は、コロナ感染拡大後最初に発令された緊急事態宣言(2020.4~6月)においては活動を停止していましたが、その後は緊急事態宣言が発令されても1日2時間を上限に部活動が続けられてきました。
しかしながら先月下旬、緊急事態宣言発令後1週間が経過したタイミングで突如部活動の全面停止が決定されました。そして、緊急事態宣言の延長と共に部活動停止も延長という運びになりました。何故このタイミングで停止なのか。考えられる理由としてはやはりオリンピックが挙げられるでしょう。
オリンピックを開催する建前として、部活動を禁止するわけにはいかない、ということは噂の範囲でしかありませんが、耳に入ってきていました。実際1日2時間に短縮したところで、仮に誰かが感染していたら即クラスターでしょうし、時間短縮については全く意味がないと感じていました。
けれども、ここまで蔓防や緊急事態宣言が発令されても部活動は継続されてきたので、まさかいきなり停止を言い渡されるとは思ってもいませんでした。感想としては、「ここまで露骨にやるか。」というところです。
オリンピックを開催したことに関してはさほど文句をいうつもりはありません。感染は間違いなく拡大したでしょうが、経済をこれ以上は止められないという判断でしょう。ここまで感染が拡大してしまった以上それは仕方がない。問題は、オリンピックが人々に勇気を与えるだの、コロナ禍に刺す光であるだとかスポーツの美しさ、芸術性を賛美して開催を強行した後にこんな緊縮政策を押し付けることです。
オリンピックでアスリートの方々は確かに感動を私たちに与えてくれました。その姿に勇気づけられた人々もいるでしょう。その中には、将来あの舞台に立ちたい!と思った未来のアスリートたちも多くいたはずです。そんな中での部活動停止。オリンピックが終われば今までのことはなかったかのように庶民の活動の場は制限される。金にならないスポーツは必要ないんですか?子どもたちの活動は、金になるオリンピックを開催するためのおまけに「許してやっていた」だけなんですか?
ならば始めから、「オリンピックは利権のために開催せざるを得ない」とでも言ってくれないか。どうしてオリンピックのために子どもたちが利用されなければならないのか。
悔しくて、悔しくてたまりません。新チームは人数が多く、子どもたちはバレーボールがもっと上手くなりたい!と、時には厳しい言葉を投げかけられながら、この夏休み一生懸命練習に喰らいついてきていました。ようやく、その努力が形になってきた頃合いでの部活動停止。もちろん医療が逼迫していて、予断を許さない状況であることは理解しています。
それなら何故前回の緊急事態宣言時に活動させたのか。何故このタイミングで停止なのか。その意味を教えてくれ。スポーツによる感動を金が動くこと前提で振りかざすのは、アスリート、アーティストに対する侮辱だ。芸術をセールスで語るんじゃねえ。
もちろんこんな状況だから、私たちは言われたルールには従う。だけどお上さん、あなたたちは芸術の尊さを私たちに垂れ流して、それで金稼いで、挙句の果て芸術を体現する機会は奪うときた。
私たちは蹴る地面を、汗を垂らすコートを、体育館での咆哮を、奪われた。
いつまで耐えればいいのか。その答えはわからないが、また未来ある少年たちがボールを必死に追うその姿を目にする日を、私は待ちわびている。