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西浦颯大 —『00』—

今年も、秋がやってくる。

球界にとっての秋は、ペナントを掲げる球団が決まる季節であり、新たなスターの卵が入団する季節であり—

そして、この世界を去っていく男がいる。

昨日、一人の男が現役生活を終えた。




西浦颯大選手。

オリックス・バファローズのプロ4年目の外野手である。
甲子園常連の名門、明徳義塾高校から2017年ドラフト6位で入団。
下位指名の高校生というのは、将来性を期待されての指名であることが大半である。しかし、西浦選手は1年目から一軍の舞台に立ち、プロ初安打、初盗塁を記録。2年目には初本塁打を記録した。
何より彼のプレーの持ち味は俊足と強肩を活かした外野守備である。打った瞬間の打球判断の良さ。何度も長打になる打球を掴んでいた。
そして外野からの正確な返球。イチローのレーザービームと比べても遜色ないストライク送球で何度もランナーを刺した。

こちらの動画の7位にランクインした守備。お金をとれる守備とはこのようなプレーなのかと、改めてプロの凄さを実感したプレーであった。

オリックスのセンターは長年レギュラーが決まらず、ウィークポイントになっていた。多くのオリックスファンが、今後10年は西浦がセンターを務めてくれるものだ、と大きな期待を寄せていたことだろう。

2020年。コロナで短縮されたシーズン。この年も守備で貢献し、インスタでも様々な選手をいじったりいじられたり、仲の良さを見せていた西浦選手。チームの他の選手がホームランを打った後、真顔でカメラに一緒に写りこむというパフォーマンスで、映像でしか野球を見れない私たちを楽しませてくれていたのを覚えている。

しかし、シーズン終盤。左大腿骨頚部の疲労骨折と診断された。今年は復帰が無理か、と残念に思っていた数日後。

両側特発性大腿骨頭壊死症であると診断されたと球団から発表された。この病気は厚生労働省が指定する特定疾患であり、俳優の坂口憲二さんが感染した病気である。特定疾患は、現状明確な治療法が確立していない病気だ。
そして、西浦選手の生命線である脚。その輝きを一瞬にして奪ったのである。

しかし、病気であることを公表した後、西浦選手は決して弱音を吐かなかった。同じ病気の人の希望になると、リハビリに励む動画をインスタに投稿していた。手術の報告に始まり、リハビリの様子。そしてついには8月にはティーバッティングの映像を投稿したのだ。

本当に復活するのではないか、とさえ思えた。

しかし、神は微笑まなかった。

1週間前から投稿され始めた白黒の写真たち。どれも、西浦選手の一軍の姿。
嫌な予感はしたが、杞憂に終わることを願っていた。

引退の発表。
再び症状が悪化したとのことだった。日常生活を送ることも危ぶまれる病。その病から一瞬でもティーバッティングができる状態まで復活したのは、西浦選手の不屈、不撓の努力である。けれども、本来、身体を動かしてはいけないなのだと思う。復活の兆しを見せることさえ、奇跡のようなものだったのだ。

昨日。舞洲でのカープ戦。そこが西浦選手の引退試合とされた。西浦選手は、松葉杖をついての球場入りだった。そこまで悪化していたのか、ということを恥ずかしながらそこで初めて知った。

9回表。1球だけ守備につくとの事前の情報通り、多くのスーパープレーを見せたポジション

「センター 西浦」

が告げられた。
そこには、自らの脚で守備位置まで歩く西浦颯大の姿があった。
予定通りの1球。ピッチャー、前は外角に外れるボールを投げ込んだ。我々一般人でも、どれほど症状が悪いのかが察せられた。そして同学年の広島、中村奨成選手、オリックス同期入団の西村凌選手から花束が贈られた。

きっと様々な病に苦しむ多くの人々が、西浦選手に励まされてきたと思う。
西浦選手のその折れない精神と、気丈な振る舞いに敬意と感謝でいっぱいである。
お伝えできることがあるとすれば、まずは身体をご自愛ください。そして、西浦選手に立ちはだかるどんな困難も、風を切り裂くスピード、光速でぶっちぎってください。
そして、身体がよくなったら、是非またあのバックホームを京セラドームで観たい、というのはいちファンの我儘でしょうか。

私は—

躍動する背番号「00」を、きっと京セラに行くたびに思い出すでしょう。

西浦颯大選手、現役生活お疲れさまでした。

明日のご飯が美味しくなります