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音楽が好きになった理由 vol.1

今日は朝からイラスト描いて、母とサンドイッチ作って、先輩と電話して、JIN見て、ぼ~っとして、Note書いて、、、夜はオンライン飲み会です。

みんなGW楽しめてるのかな…私は大型連休の感覚すらなく、「え、もう5月5日??うける」状態が続いております。

今回ご紹介するのは、私には切っても切れない存在である音楽です。

お笑いと音楽で構成された者といえば私といっても過言ではござんせん。

JINの野風さんに完璧に憧れている私ではございますが、、、

そして長いから第二弾とか続くかも・・・


私は小さいころ、テレビ見てるときに突然「ピアノ習いたい」と言ったそうです。私の兄はたくさん習い事をしていて、それが羨ましくて言ったのか、ほんとにピアノに目覚めてしまったのかは謎だけれど、母は快く受け入れてくれて、家からめっちゃ近いピアノ教室に通わせてくれました。

そこでは結構スパルタ先生にビシバシやられて、おけいこ後、母がお迎えに来てくれた時には泣いてました。。。。どんだけ怖かったんだよ。。。

自分でもあんまり覚えていないけど、とにかく怖かったのは覚えてます。でも、その先生がやってくれた座学というか、先生が弾いた和音とか音を耳だけで聴いて譜面に書くというスパルタメニューがあったんだけど、そのおかげで、その後の音楽人生を楽にしてくれたのだと思います。

毎回泣いて帰る私を見かねて、同じ幼稚園に通ってた友達のピアノの先生が優しいと聞き、母はそこに変えてくれました。

おけいこ場所が変わってからは毎回褒められるのなんの、身についた音感やセンスをめちゃくちゃほめてもらい鼻高々でした。もちろん練習もしたし、怒られることもあったけど、先生は頼りにしてくれて私の好きな曲も理解してくれて、クセも理解してくれて、、、、そこでのピアノ経験は、私にとって小さいながら青春でした。今思うと、夢中になって通うってすごいなって思うし、あの時もっと練習してコンクールとか行ってたら先生を喜ばすことができたのかなとか思うこともしばしば…

中学生になってからは部活が忙しくなってしまったので、ピアノレッスンには通えなくなりました。なので真剣にピアノしてた時期は4歳~12歳くらいまでですかね。。。結構長いですね8年…。。。貴重だわ・・・

その中学生のころ没頭していたのは吹奏楽です。私の中学校は公立だったのですが、全国大会に行くような強豪校でした。演奏を見てるとかっこいいし、絶対に入ると決めていたので、そしてサックス吹いて目立ってやると心に決めていたので、入部はすんなりと決まりました。

だが、ここで一つの挫折

私は歯並びがよろしくないので顧問に「お前はサックス向いてない。吹くな。」と言われました。

えっっっっっっっ))))

私がこの部活に入った意味!!!!!!!どこ!!!!!

そして顧問は「お前はオーボエや。もう決まってる。」

、、、、、え??????

その時初めて聞いた楽器の名前オーボエ。それを吹けと。は?と。サックス吹いて周りにちやほや言われる未来を予想していた私。新たな挑戦でした。


そしてもう一つ挫折というか難関、、、

オーボエパートには先輩はおらず、謎に包まれし未知なるおじいさんに(教師です)教わるっていうめちゃくちゃ特殊なパートに選ばれた。。。

他の1年生が先輩から指導されている中、私だけ別室でマンツーマンでおじいさんと、練習。。。。今だったらセクハラ?で訴えてるかもしれませんね。。。ははは。。。。この経験により他の1年生と差をあけることになります。いい意味でね。。。

この時点で13歳にしては結構波乱なんですが、中学生の私は勇ましく、「部活やめたら負け」と思っていて、何かと戦っていたそうです。顧問からは「お前は2年生になっても、下手しい3年生になってもコンクールに出られへん可能性がある。だからしっかり上手くなってもらわないと困る。」とツンデレアドバイスをされました。いや、こんな特殊なパート、ちゃんとコンクールに出せよ…て思ったし、自分の音楽性に自信のある私は「おい。ナメんな。2年からでてやるわい」と闘志を燃やしていました。

つづく…


ということでvol.1(急に)では、幼稚園から小学生のピアノ人生、中学入学からの挫折・難関をお伝えしました。ここでわかるのは、褒められたら伸びるということと、好きなことはいやでも続けてるということですね。振り返ると中学生の頃の自分は頼もしい。自信を持つことは、継続にもつながりますよね。前向きだし。この頃の自分に戻りたい。今よりも断然輝きがあったことでしょうね。。。

読んでいただきありがとうございました


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