大学院を修了しました

今日は3月31日.
「卒業エントリは卒業するときにしか書けない」
そんな友人の言葉に背中を押されて,学生生活を振り返ってみることにしました.要点を絞らずに書いたらとても長くて読みづらくなってしまいましたが,ゆっくりしていってね.

学部四年間

学部四年間の学生生活についてはこちらの記事を参照ください.
GPA0.6の留年危機からストレートで卒業した話|ふわふわのはむ
この記事,読み返したらめちゃくちゃよく書けています.自分よくがんばったなあ(しみじみ).
学部四年次の研究室生活についてはこちらの記事で大体わかります.
研究室選択のススメ|ふわふわのはむ
この記事の中で少しだけ言及していますが,私は大学院で大学・研究室を変えたので今回はそのことを中心に話そうかなと思います.

修士一年

研究室に慣れる

私は東北大学工学研究科のとあるレーザー系研究室に所属していました.前述の記事であまり触れてないのですが,元々レーザーを作る研究をしていて,少し応用の研究室に移ったという感じです.
いま思い返しても記憶が薄れすぎて何を衝撃に感じたかあまり覚えていないのですが,
・広大なキャンパス
・研究室の規模の違い
・女子の少なさ
あたりには驚きました.多分電通大より全然女子少なかったです.ただし,周辺の東北学院大学や福祉大などを中心に含めたインカレサークルや,女子率の高い他学部との関わりもあるようで,彼女がいたことがないみたいな電通大では当たり前の会話が”特殊な人”として扱われていてウケました.電気通信大学ってやっぱメチャクチャ異常なんだって思いました.
研究室でいつも童貞をいじられてる後輩は電通大生って感じで和みました

とにかく,そのようなわけで研究室にも明るい方が多かったので必死になじもうと頑張っていました.
・研究室のイベントには参加する
・先輩の誘いを断らない(お昼とかも行く)
・自分から企画する,雑用する
この辺りは意識して頑張っていました(のちに自分の首を絞めました).また,学部4年で配属された後輩たちも,研究室としては同期なのでできるだけ仲良く,壁を作らないようにしようと努力していて,結果的にかなり仲良くなりました.
研究室生活は,研究だけ頑張ろうとしてもうまくいかないことをすでに知っていたので,なるべくボスの懐にもぐりこんで沢山チャンスを貰うことを目指していました.

はじめての学会

そんなこんなで一年目の9月に初めて学会に出ることになりました.学会というのは参加するために予稿を出さなければいけませんが,この予稿を出したのは6月ごろだったと思うので,新しい研究を始めて2か月くらいのスピード成果でした.これには二つ理由があり,
・研究の性格
・学会の実施場所が東北大学だった
という点です.
そもそも私の研究は応用系,特に工学の応用はアイデア重視なところがあります.「こうしたらもっと安くできるんじゃないか」「この方法で違うものを測定できないか」,という感じで作って測ってみたらできた,が大事でした.研究テーマは先生からもらったもので,かなり新規性が高く(そして謎も多く),とりあえず測ってみた!!で予稿を書けたんですね.
もちろんあまり高尚な内容とは言えませんでしたが,学会が大学開催だったこともあって先輩方のオマケとして人生初学会を経験させていただきました.
結果として,このようにかなり初期に学会を経験したのはとても良かったことだと思います.なぜなら,学会に出ると電通大時代の友人に会えるということに気付いたからです.これは完全にモチベでした.大学の金で旅行できるうえに友達に会える?最高ですよね.私は完全に学会に焦点を当てて研究するようになりました.

宗教学との出会い

大学院生の多くは,授業を一年生のうちに取り切ってしまうかと思います.私も例に漏れず前期で殆ど授業を取ったので,「せっかく総合大学にいるのだから興味のある授業に出てみたい」と思い立ち,宗教学の授業を履修することにしました.
これが転機でした.
この授業は,とても楽しくて,目が覚めるような思いでした.授業を受けてこんなに感動したのは,きっと高校生の頃ドップラー効果を習ったときと,この宗教学の初回の授業でしょう.
先生は,私が人生でずっと求めていたような,すべてをバカにしたような極めて中立的な話をいつもしてくれて,歴史を学ぶことがいかに面白いかを教えてくれました.そのおかげで私は授業にのめりこみ,本を読んだり,映画を見たり,レポートを書いたりする時間が増え,若干研究がおろそかになりました.

賞がほしい!

さて,私には優秀な同期がいました.というか,同期は4人いたのですが,残りの3人は殆ど研究室に来ておらず,基本的に私と優秀な同期(以下同期)しか居ませんでした.同期は先輩からも一目置かれているという感じで,冬の学会にみんなで出ると,一人だけ賞を貰って帰ってきました.私はこれがたいそう羨ましくて,「私も賞を取りたい!!!」と,試行錯誤するようになりました.
賞を取るために小手先でできることと言えば,
①学会の参加回数を増やす
②小さな学会(賞を取りやすい学会)に出る
③スライドや質疑応答の改善
でした.①は,なかなか難しく,うちのボスは(あたりまえですが)進捗がないなら発表するなのスタンスで,②に関しても小さい学会出ても仕方ないのスタンスでした.なので,私には研究を頑張り,③を頑張る,という選択しかありませんでした.この時点で参加できる見込みがあったのが,4月の国際学会(ポスター),9月の学会(とても大きい),1月の学会(同期が賞を貰った)の3つです.
国際学会はまず無理だと思いました.英語が全然できません.9月の学会も,大きすぎて無謀に思えました.でも,1月までなにも実績がなく過ごしたら劣等感に負けて死んでしまうんじゃないかとも思いました(大げさです).幸運にも,研究にも大きな進展があったので,9月の学会に向けてやるだけやってみよう!と頑張ってみることにしました.

先輩の卒業

先輩方には研究室の一員として受け入れてもらったので,とても感謝すると同時に,研究室に来るだけ来て賞も持ってない,頭も悪い,他大から来た自分が最高学年となっていいのだろうか,という気持ちもありました…

修士二年

4月

春になると,研究室に新しいメンバーが増えました.そして,うれしいことに女の子の後輩が出来ました!この子はとても優秀で,大事な後輩,そして私と地続きのテーマを選んでくれたので一緒に過ごす時間も長くて,心の健康にとても良かったです.
4月末には前述した国際学会に出て,これは関東開催かつポスター会場に無料で出入りすることが出来たので,電通大時代の友人に本当にたくさん会えました!楽しかったよ!
あたりまえですが,賞はいただけませんでした.
学会のついでに就活の最終面接をしてきて,内定をもらいました.就活は特に何もやってないので書くことがないです.

夏の学校

ところで,私は某夏の学校という学生主体のイベントの運営に参加させてもらいました.学部時代,サークルからも離れてしまい,みんなで何かをするという経験がなかった私にはこれは新鮮でした(就活でも少し話していました).何より電通大のみんなと一緒に仕事ができることが楽しかったし,心のつながりにもなりました.
このイベントに参加していた先生の一人から声をかけていただいて,私のことを知っている,面白い研究をしているよね,という話をされました.
「自分の研究って何の役に立つんだろう」「どうせ実用化できない」「誰も見てない」「なんでやってるのかな」大学院で研究している人が一度は思う疑問かと思いますが,このころ研究の方針でボスと少し対立していたこともあり,自分の研究を見てくれている人がいるんだということが凄くうれしかったことを覚えています.
私は学会に参加したり,イベントに参加したり,外部との交流を持つことは多分他の学生より多かったと思います.それはやっぱり,自分を知ってもらうことが自分への自信につながるからだなあと思っています.

賞を…貰えた!!!

夏の学校でつながりが増えたり,褒めていただいたこともあって9月の学会へのモチベはぐんぐん上がっていきました.もちろん,内容にもかなり新規性があって自信もありました.
スライドは,「何が新しいのか」「何が凄いのか」が誰にでもわかるように!後輩や同期にも見せて添削してもらいました.一週間前くらいから毎日まず研究室に来たら発表練習をして,話してみると気になるところを直したり,先輩方の質疑応答集を見返して質問の予想をしたりもしました.また,スライドの単語一つ一つに注意して,どういう意図でこの単語を選んでいるのか考えながらスライドを作りました.
私は,研究にも自信が(少し)ありましたが,発表スキルと自信たっぷりに見せることにも自信があったので,それができるだけ伝わるようにしました.
でも,学会は熊本だったので,熊本に着いてからはすべてを忘れてめちゃくちゃ遊びました.オンオフ大事.

賞は欲しかったけれど,気張りすぎてもだめだなと思ったので,大好きな緑のパンツを履いて,かわいいピアスをして,気分をあげました.マイクの前で話すのに慣れようと思って,自分の一つ前の発表に絶対質問することを決めて,質問したり.
いま考えれば学会慣れめちゃくちゃしてそうな行動取ってました.でもそうやって自分をだまして,周りもだまして…

賞をいただくことが出来ました!!

学会が大きいだけあって選考はかなり長くて,学会終わってから1か月?くらい経ってからの連絡でした.もう駄目だったかなと思っていたところだったので本当に本当にうれしかったのを覚えています!人生ピークの瞬間です.マジで.わーい!人生の誇りすぎます.
しかも,受賞記念講演ということで招待講演もさせていただいて.光栄過ぎました.招待講演,これ以降きっと一生縁のない言葉です.

で,修論

長すぎて書くの疲れてきました.
修論では,学会ではほとんど話したことの無い原理検討的なことを中心に議論していて,(成果にならないのに…)と思いながら自分と戦っていた感じでした.でも賞を貰えてたので,あとは自分の好きなところまでとことんやって修了しようと思ってました.
なんか修論もいろいろあったんですけど.
メンブレしたり,泣いたり,後輩に慰めてもらったり.
今までの記事とかも読んでもらえれば私が病みやすい性格だってわかってもらえると思う.いつも通り,頑張りすぎて勝手に病んで勝手に回復した感じです.
ふつうにめちゃくちゃ辛かったです.私修論終わっても最後まで研究しようかなwとか言ってたんですけど,本審査終わってから一ミリも研究してないくらいマジで忙しかったんだなと思いました.
あと東北大にいた間ずっと遠距離してくれてた彼氏と別れました.ごめんなさい.

おまけに

1月の学会でも賞をいただきました.おこぼれすぎる.ありがとうございます.

修士総括

とても充実した2年間だった!!!
ただそれだけです.
知らない土地だからこそ,遊びたい気持ちもあって,たくさん仙台のいろんなところに行きました.仙台旅行行く方,アドバイスできますよ!仙台が大好きになりました.
知らない土地だからこそ,やりたいことに集中できました.研究室と家の往復も,邪魔する人がいなかった.
知らない土地だからこそ,知ってる人に会えた時のうれしさが何倍もになりました.学会やイベントで会えた電通大の友人たちに本当に支えてもらいました.
知らない土地だからこそ,知っている土地が大好きになりました.いろんな場所にいるいろんな人.いろんな研究,役割.それぞれの良さに気付けました.
知らない土地だからこそ,チャレンジできた.それに尽きます.
たくさん成長する機会を与えてくれた東北大,ボス,同期,後輩たちには感謝しかありません.

そして,心のふるさとは4年間過ごした電通大でした.この記事にも何度も電通大というワードが出てきたけど,本当に支えてもらいました.会ってくれた人だけではなくて,TwitterでDMくれた人.リプくれた人,いいねしてくれてた人.「東北大でなにかあってもツイッターでネタにすればええ!」「私には帰る場所がある」そう思うだけで頑張れました.
改めて感謝します.ありがとう.そしてこれからもよろしくお願いします!


ふわふわのはむ / すごいほうじ茶


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