「雷太」という現象について
「雷太」とは現象である。
たった今、"現在"を楽しませんとただそこに存在する唯一の中に、
これまで途方もなく積み重ねられてきたであろう時間と努力、すなわち"過去"があり、
それを受け取る我々は、これから彼に訪れるであろう美しく輝かしい"未来"を至って自然と想起させられる。
その甘美なる想像に浸る時、私たちはそれを信じて疑わない。
まるで神の啓示をも思わせるように、確かな形で我々にもたらされる想像の自由は、予言ではなく正しく預言である。
過去、現在、未来の全てを同時に存在させると共に、その全てに美しい彩りを与える存在を、奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶのだろうと思わされる。
しかしそれが、奇跡や運命といった薄氷を思わせる儚いものの上に成り立つものではなく、
連綿と実直に紡がれてきた足跡によって実現されたものであることも、我々は知っている。
よって「雷太」とは現象である。
奇跡でも、運命でも、神でもない。
ただ一人の人間によって産み出された、この上なく美しく、優しく、愛おしい現象。
(私が命を懸けるから、あげるから)
私は、それを目撃する。
(あなたは時間をくれたのでしょう?)
これは祈りだ。
引用 メフィスト/女王蜂
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