夜に考える 〜正義について(仕事編)〜
今日も今日とてぼっちな30歳男性な私の徒然日記、8回目です。
前回7回目の投稿で書き忘れてましたが、そういえば私、既に30歳になってました。
学生の頃の30代は、立派な大人でした。
けど社会人になってみて思ったのは、30代とはなんて中途半端な年代なのだろう、というモヤモヤ感です。
若いと言い切れず、けれど内面を覗くと立派な大人になりきれておらず、なんとも中途半端で歯がゆいもどかしい。
そんな感想を日々抱きながら生きております。
日々、は流石に嘘ですが。
まあ、ほどほどに思い出すように感じる程度です。
ではでは、久々の投稿は、「仕事における正義とは」です。
皆様はご自分のお仕事に対して正義(、ポリシーと考えてもOKです。)はお持ちでしょうか?
会社が求める正義は「利益を出すこと」でしょう。
正確には「法に則って正しく利益を出すこと」でしょうか。
ただし、中には「違法な事をしてでも利益を出すこと」を正義とする会社・組織が存在します。
社会的にはアウト、けれどその組織の中では正解=正義です。
そのアウトな組織の中で、法に則った正義を個人が貫こうとすれば、ほぼ間違いなくその人は組織内で孤立し、生きづらくなります。
しかし、その彼/彼女の行動は、組織的には間違いでも、社会的には正しい、正義です。
これは極端で分かりやすいマクロな例ですが、それをより細かい、ミクロな内容で考えると判断は難しくなり、ともすれば人生の壁の1つとなるでしょう。
例えば、「利益を出すこと」を正義とした会社があり、その会社のとある支店に「利益を出すこと=経費節減」を正義とする支店長がおります。
その支店長は、「利益=経費節減」という正義達成のために人件費に目をつけ、従業員のサービス労働の見過ごし/人員カット/人員投資への嫌煙、等々を行っていたとします。
これらは充分によくある話です。
(例えば給与のちょろまかしも、意外によく聞く話なので身震いします…)
この支店長の方針、恐らく現代の社会から見ればアウトです。
しかし、会社によっては「問題にならなければOK」として、この支店長の判断を正義とします。
そしてそこに、「人が少な過ぎる、一人あたりの負荷が大き過ぎる、もっと人員を増やすべきだ」と声高に主張する従業員がいたとします。
ここからが、会社の正義と従業員の正義のぶつかり合いです。
現代社会なら「そんな会社辞めればいいじゃん」で終わります。
けど、実際はそんなホイホイ鞍替えがしづらいのも現実。
生き残り方として、「会社に同調して生きる」「何も言われないくらいの力を付けて生きる」「常に反抗の意志を叫びながら生きる」になるでしょう。
あるいは、例えば経費節減の観点から、施設の衛生環境への投資も嫌煙したけど、その結果、虫が大量に湧き従業員からもお客さんからも改善要求が出た場合。
会社も投資を嫌煙したがるなら、会社と支店長は同じ方向を向いていて、非投資=正義になり、彼らにとって改善要求を出す者たちを悪とみなすでしょう。
ここに、法的な正解はありません。
社会を行きていく上で、私達は考えの違いから衝突する事は避けられないでしょう。
「自分は正しいのか?」
「本当は相手に従ったほうが良かったのか?」
悩みは尽きません。
自分の取った選択肢で起こった結果について、良い面悪い面を両方見て、正しかったと言えるか。
言い切れれば幸せです。
ではもし、会社が明確に誤った道へと進んだ時、果たして自分の正義を持って会社に進言できるか?
進言した結果、ただ周囲から不評を買って生きづらくなるだけかもしれません。
なんとも酷くまとまりの無い文章を書いたものだなと恥ずかしくなりますが、この「正義」という問題については、それだけ日々直面し、未だに答えを出せずもがいているのです、、、
皆様、本日も誠にお疲れ様にございます。
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