子どもは親の幸せを見て育つ~波動の話~
小っちゃい子どもがいる友達―彼女はお母さんです―が、こんなことを言っていました。
「子どもがいるからといって、自分がいろんなことにチャレンジするのをあきらめたくない」
この考えについては、いろいろな意見がありますよね。
例えば
「親は子どもの幸せを第一に考えて、自分のことは我慢しないといけない」
「親が子どもの模範にならないといけない」
などです。
この意見に一理あることはよくわかりますが、ぼくは、これはちょっと違うと思うのです。
その理由は、親が「我慢」をしている場合、子どもは親が我慢しているその「苦しい波動」を敏感に感じ取り、それが子どもにとってもストレスになるからです。
ぼくの体験を話しますと、ぼくの母は、被害者としての妄想が強い人でした。
毎晩、お酒を飲むとイライラしてくるのか、毎日家事ばかりしていて楽しみがないという自分の境遇に対して呪いの言葉を吐いていました。
母はまるで、この世のすべてが敵に見えているようでした。夫も敵、近所の人も敵、たまに来る親戚の家族も敵、といった具合に、あらゆる人を敵に見立て、自分を被害者だと思い込んでいました。
こんな母親と毎晩のように対面していたために、ぼくも相当ストレスがたまっていました。非常に体の調子がわるくなってしまったことを覚えています。
でも一番言いたかったのは
「そういう性格だから、遊んでくれる友達もいないんじゃないの」
ということでした。辛辣ですね(笑)。
もちろん今は、瞑想によって長年溜めてきたストレスを解消したり、斎藤一人さんの教えのおかげで毎日幸せに生きていますし、ぼくの波動が変わったおかげか、母のそういった被害者意識もほとんどなくなったように思います。
このように、人間が出している「波動」には質があり、その質は他人にも同じような影響を与えます。
親子のように一緒に過ごす時間が長いほど、お互いの波動の影響を受けます。
人の波動は、よほど「どんなときでも楽しい波動を出そう!」「いつも明るい(あ、軽い!)波動を出そう!」と思って、そうなるように訓練していない限り、悪い波動の方に引きずられてしまいます。人間とそういうものです。
世の中の大半の子どもは、当然そういう訓練をしていないのですから、親が我慢の波動や苦しい波動を出していたら、子どももその波動に合ってしまいます。
そうすると、せっかく「子どものため」と思って大変な労力をかけているにも関わらず、子どもが病気になったり、あるいはやる気がなくなったり、友達や先生とトラブルを起こす、といったことになってしまいます。
そんなのはイヤですよね。
ではどうしたらいいのかといいますと、「子どもは親の背中を見て育つ」の言葉通り、まずは親が「明るい波動」「楽しい波動」を出したらいいのです。
そのためには、親が率先して遊ぶことです。好きなことをしていいですし、お出かけをしても構いません。子どもが小っちゃければ、あずかってくれるところにあずけておけばいいですし、子どもが多少分別のつく年齢になったら、むしろほっといてくれるほうが嬉しいものです。あなたもそうではなかったですか?(笑)。
「ベビーシッターにあずけると、変な人に当たらないか心配」という人もいますが、そういう「心配の波動」をだしているから、変な人がよってくるのです。
とはいえ、そうは言っても安心できないのであれば、両親にあずけるとか、その他の信頼できる人や場所に頼むとか、自分で安心できる環境を探したり、つくってみたりすればいいのです。
それもできないのであれば、家の中で、子どもの目が届く範囲で遊べばいいですね。好きな音楽を聴いてもいいですし、動画や映画を観てもいいですし、お友達と電話をしてもいいと思います。
自分にとって楽しいことをすれば、明るい波動が出るはずです。
どのような状況であれ、子育てについて、世の中の人はいろいろな価値観を持っていますが、親がいい波動でいることが一番子どものためになります。ぜひそうしてあげてください。
「親は子どもの幸せを第一に考えて、自分のことは我慢しないといけない」
「親が子どもの模範にならないといけない」
と言って実際に出来る人は、そういうことをするのが楽しいのです。だからそれでもいい波動が出ていたのでしょう。だからといって、あなたもマネしなくても大丈夫ですよ。
これを読まれている方はきっと素敵な方だと思うので、真夏に子どもを灼熱の車内に置き去りにしたりするということはないと思いますが、「楽しむ」ということについて少し補足をしておきましょう。
「親が楽しむ」といっても、子どもが危険な状態で遊びに行くというようなことをしたら、帰ってきてからが楽しくない結果が待っています。そうすると波動が下がってしまいます。
ですから、一歩先を考えて楽しみましょう。
さて、冒頭でお話しした彼女の人生には、いったい何が待っているのでしょうか。ぜひ、明るい波動で生きていってほしいなと思います。もちろんぼくも、そしてあなたも。
ではまた!