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あなたのそこがカワイイ。だからあなたは愛される。(方法編)

前回は、「モテると愛されるはちがうよ」ということで、愛ではなく「モテ」を志向する人が陥ってしまう罠についてお話してきました。

その際参考にしたのは、『山田玲司のヤングサンデー』の以下の動画です。

簡単に前回の内容を振り返っていきましょう。

世の中には「モテテクニック」なるものがありますが、テクニックを使って他人から関心を得ようとする人は、人間関係の豊かさを「量と質」の問題だと捉えがちです。

量と質というのは例えば、

「私は今まで〇人の人と付き合ってきた」
「オレの経験人数は〇〇人」

とか、

「あの人はお金があるから付き合っとこうか」
「この人と仲良くするとイケてるグループに入れるから付き合っとこうか」

というような考え方です。

付き合った人の数を自慢したり、「質」のよい人間関係を持っていることを自慢したりする人(この場合の「質」が何を基準にしたものなのかはよーわかりませんが、例えば友人に有名人がいるとか)、きっとあなたの周囲にもいると思います。

なぜ、そういった人は量と質を自慢するのでしょうか?。それは、その人が、人間関係において量と質を持っていることが「価値のあること」だと思っているからです。
つまり、「たくさんの人と性的関係を持っている」ことや、「"ステイタス"の高い友人を持っている」ことが、自分自身の価値である、と考えているということです。
こういった人たちは、またこういった人たちをうらやましいと思ってしまう人たちは、バレンタインでたくさんのチョコをもらった人に価値がある、といった考えを、学校空間において学習してしまっているのかもしれません。

ただ、人間関係の「量と質」で自分の価値を測るというのは、自分の気持ちを差し置いて、「他者からの評価」を基準にして人生を生きることに他なりません。

他者の視線ばかり気ににして築いた人間関係は、本当に豊かな人間関係なのでしょうか?本当に愛のある関係なのでしょうか?これが、私たちが問うべき問題です。

「この人と付き合うことで、自分の価値は高まるかどうか」と常に損得勘定で人を判断する、そういうクセがついてしまうと、真に愛のある関係を築くことが難しくなってしまいます。 

だって、その人は常に他人を「格付け」しているわけです。「こいつを格付けしてあげるわよ」という気持ちで近づいてくる人のことを、好きにはなれないでしょう。

こんなふうに量と質で人間をジャッジする世界は「損得の国」です。今、あなたが「愛があんまりないなぁ」と思っているなら、それは「損得の国」に住んでいるからかもしれません。

しかし、私たち人類は誰でも、愛されることができます。もし自分自身がそう望むのであれば、私たちは「愛の国」の住人になることができるのです。

・・・さぁ、だんだん「愛の国」が見えてきました。この国の様子を、みんなで覗いてみましょう。

Q4:愛の国の住人の価値観はどんなものなのか?

ということで、本題に入っていきますね。

損得の国の住人の判断の土台は「他人」でした。

一方、愛の国の住人の判断の土台は「自分」です。

他人からの評価を気にしていると、「この人と付き合うと私の価値は高まるだろうか?」と「損得」が入ってきます。

しかし、人間関係を築く土台が「自分自身」なのであれば、他人からの評価や損得は考えなくても大丈夫です。

自分自身が土台なら、自分の好みに基づいて人間関係を築いていくことができます。

損得ではなく、自分の好みに基づいて人間関係を築くならば、その基準は「正しさ」から「楽しさ」にシフトするはずです。

「この人の周りにいると得だから」という価値判断の基準は「正しさ」です。

そういえば、この前「正しさ」で人生を選ぼうとしている人の話を聞いたので、紹介しますね。

その方は結婚を考えている女性でした。でも、話を聞いていると、その結婚はどうやら「親の希望」なのだということがわかってきました(あるあるですね)。

しかも、どうやら今付き合っている男性は、酒癖が悪くて困っている上に、親にも合わせてくれないのだそう。

私はもちろん「別れなよ」と思っていましたが、親を悲しませてはいけないと思っているので、その選択肢はないようでした。

あるいは、付き合ってきた相手の属性が「部活のキャプテン」「生徒会長」という人もいました。

これが、他人の評価を土台にして人間関係を選ぶっていうことなんだなーと思いました(でも、それが「わるい」というわけではないです。それもこれも、最終的に幸せになるための人生の修行・学びなのですから、その方は、かけがえのない貴重な時間を過ごされているのです)。

「正しい」という価値基準で人間関係を構築するとは、こういうことです。こういう人は、自ら苦しむ道を選択しているといえるでしょう。一方、「この人といると楽しいから」という価値判断の基準は「楽しさ」です。

あなたは、どちらの価値基準に基づいた人間関係が、豊かで魅力的だと思いますか?
そして、どちらの人間関係を選びたいですか?

少なくとも、「愛の国」の住人の価値基準は、「楽しさ」であることは間違いありません。

「正しさ」より「楽しさ」。これが愛の国の住人の価値基準です。

愛の国の住人の価値基準はもうひとつあります。

それは「自由」です。

損得を土台にして築いた人間関係は、自由なものではありません。

なぜなら、それは「他人の視点」に縛られたものだからです。

これは、仕事上の人間関係を考えるとわかりやすいでしょう。

例えば仕事では、「お客さん」や、あるいは「技能がある人」、「人脈がある人」と付き合う必要があります。

ほとんどの場合、会社にとって、あるいはあなたの仕事にとって利害関係が一致するから、その人間関係が構築されているにすぎません。

もちろん、仕事がきっかけになって出会った人と、本当に仲良くなって一緒に飲みに行くことはあると思いまし、人によっては恋愛や結婚にまで発展したというケースもあるでしょう。それはすばらしいことです。損得から発した人間関係が、必ずしも愛に変わらないかと言えば、そうでもありません。人生のおもしろみはそういうところにもあります。

ですが、時と場合によっては、仕事上の人間関係が、あなたの人生において息苦しい問題になることがあります。

それは、性格のよくない人とも我慢して付き合わないといけないということです。

上司だから、お客さんだから、人脈があるから・・・。そういう理由で、関係性を切る自由を奪われてしまうのです。

実際問題として、「仕事だから仕方ない」というのは、事実でしょう。安易に仕事を辞められない境遇にいらっしゃる方は、耐え忍ばなければならないこともあります。それはそれで、人生において必要な修行であるときもあります。

ですが、「愛の国」においては、人間関係は自由です。ここがポイントです。

愛とは「博愛」を強いるものではありません。全員と仲良くする必要なんてないのです。

金があろうが見た目がよかろうが、イヤなヤツとは付き合わなくてよい、そういう自由があるのが、愛の世界です。

一方で、金がなくても容姿がそれほどでなくても、「私」が、「この人と一緒にいたい」と思えば、そうできるのが愛の世界です。

ここまで「自分」の行動の自由を強調してきましたが、もちろん、愛は他人も自由にします。愛の名のもとに他人を束縛することは、愛ではありません。そのとき、束縛の土台にあるのは恐怖です。

人間の行動や価値観に、絶対的な正解はありません。にもかかわらず、人間関係において、自分の価値観を他者にも当てはめることが多くあります。

一緒に住んでいる人や、恋人に対しては特に、自分の価値観を当てはめがちです。例えば、幼少期に「家の中で歩くときには大きな足音を立てないようにしなさい」としつけられた女性は、平気でドスドス音を立てて歩く彼氏がゆるせないかもしれません。

でも、彼氏の家ではそれでも大丈夫だったのですから、実は気にしすぎなのは女性の方かもしれないのです。

「この人がやっていることは、自分が思っていることとはちょっと違うかも」と思っても、束縛することなく、また正しさを押しつけることなく、「そういう正解もあるんだ」と受け入れることが愛です。

もちろん、受け入れない自由もありますよ(笑)。

まとめましょう。愛の国の住人の価値基準、それは、

①「他者からの評価」ではなく、「自分」を基準にする

②「正しさ」よりも「楽しさ」を基準にする

③「愛とは自由」。自分自身と他人を「自由」にしているかどうか

この3つです。

Q5:どうすれば、愛の国の住人になり、愛されるようになるのか

「愛されるようになる」。そのためには、これをするしかありません。

それは、「愛する」ことです。

愛されるためには、まず自分から愛します。

しかしながら、他人を愛せるようになるためには、自分のことを愛していないといけません。

ですから、「愛されるようになる」ための順番はこうなります。

①自分を愛する

②他人を愛する

ではまず、①の「自分を愛する」の方法から見ていきましょう。

でも、「自分を愛する」って、何をしたらいいか全然わからない・・・と言う人、結構多いです。私もそうでした。

私が提案したいのはこの3つです。

①-1「自分が大好きです」と言う。

①-2「自分をゆるします」と言う。

①-3 自分を喜ばせることをする。

①と②に関しては、「言霊」の力を使おう、という提案です。

言霊というのは、発した言葉が現実になるという、日本で万葉集の頃から(もっと前から)の言い伝えです。

とにかく「自分が大好きです」って一日に100回言ってみてください。1000回言った頃には、ちょっと自分が好きになってくるはずです。

これはやった人にしかわからない体験です。お金もかかりません。100回言うのに必要な時間は5分くらいですので、ぜひ、愛されるための第一歩としてやってみてください。

それでも、どうしても「自分が好き」とは思えない人もいます。

なぜ自分が好きになれないのかと言うと、自分をゆるせていないからです。

自分をゆるせない感覚、よくわかりますよ。

私もかつては、「勉強やその他の努力をしていない自分に価値はない」と思っていたので、なかなか無条件で自分を愛することができませんでした。

しかし、よく考えてみてください。

別に、勉強も努力もしてなくたって、愛されていいじゃないですか

本来、愛に条件はありません。愛は無条件のものです。また、「努力によって、愛されるに値される人間になる」なんてこともありません。すべての人が、生まれながらにして愛されるに値します。

そもそも、あなたが生まれたとき、周りの人は、ただあなたが生まれてきてくれただけで喜んだのです。

それがいつしか、「こぼさないで食べないといけない」「勉強ができないといけない」「お金を稼いでいないといけない」などと、勝手に生きるハードルを高めてしまったのです。

こうやってハードルを高めていけば、必ず「できないこと」にぶち当たります。

本来、人生に失敗はつきものです。しかし、一回失敗しただけで「自分はもうだめだ」と思ってしまう人、多いのです。

まぁでも、あなたが今まで出会った人の全員が失敗していて、そういう人でも元気に生きてるんですから、あなたもぜひ、自分をゆるしてあげましょう。

そして、どうしても自分をゆるせない人、そういう人は最終奥義、「ゆるせない自分をゆるします」です。ぜひこれも、自分をゆるせるまで言ってみてください。

最後の「自分を喜ばせる」は、例えば「自分をほめる」というのはどうでしょう?

大したことじゃなくてもいいのです。「今日も朝起きられてエラい♡」「あぁ、今日も仕事してエラい」っていうくらいの、「当たり前のこと」をほめてください。

何か立派なことをしないとほめられる資格はない、と思っている人は、自分に厳しすぎです。

ひとつ言っておきますが、自分に厳しすぎる人は、人から愛されません。

ですから、「自分に厳しく、人に優しく」ではなく、「自分に優しく、人にも優しく」でいきましょう。

ぜひ、やってみてくださいね。

これらができて自分を愛せるようになってきたら、自然と他人を愛せるようになってきます。

人に合うときは、その人に何か「与える」つもりで会いましょう。

ほめ言葉でもいいですし、お話を興味を持って聞いてあげるのもいいですね。その際、「うんうん」「ほんと!?」「すごいね!」などと、効果的に相づちを打ってあげるとなおよしです。

会話はカラオケみたいなもんです(笑)。カラオケは歌い手を盛り上げるために相づち入れてあげますよね。会話もそれと同じです。

それも難しいと言う人は、「心の中で」相手を承認したり、幸せを願いましょう。

さっきも少し触れましたが、「この人のここが気に入らないなー」ということがあったら、「そこがかわいい!」「そこがおもしろい!」です。口に出して言わなくてもいいので(いうとケンカを売ってると思われるかもしれません)、心の中で念じましょう。

あるいは、これは斎藤一人さんの教えなのですが、心の中で「あなたにすべてのよきことが雪崩のごとく起きます」と祈ってもいいです。

以上で、「愛されるための方法」は終わりです。

あなたが、愛がたくさんあって、豊かな人間関係を築かれることを祈っています。

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ひふみ国師(身、心、神)
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