『"It"と呼ばれた子』の、心の傷と一緒に幸せになる言葉③-2~虐待されても幸せになる
私たち人間は、常に「進化」しています。
「自分は全然成長していない。むしろ退化している」なんて言う人もいますが、確かに1年といった短いスパンで見れば後退しているように見えることもありますが、一生という長さで考えれば、あなたも私も例外なく「進化」しています。
例えば、今のあなたは3歳のあなたと全く同じではありません。経験や、それを土台にした知恵を身につけ、魂を進化させています。
進化することは、宇宙にとって「自然」なことです。自然なことは良いことですから、進化の流れに乗っていると運気も上々です。
逆に、進化の流れから外れてしまうと、運勢が悪くなってしまいますから、注意です。
進化するのは、私たち人間にとっても「自然」なことです。
しかし、心に深い傷を負ってしまった人の中には、人生がその場所で止まってしまう人がいます。
しばらく立ち止まるのは、不幸な出来事によるショック状態から抜け出すためにも必要なことだと思います。
ですが、中には「また怖いことが起こるんじゃないか・・・」と、その場から動けなくなってしまう人もいます。
そうなってしまうと、私たちをより大きな幸福の方へと導いてくれる進化の流れから取り残されてしまいます。
幸せになり、生きる目的を果たすためには、ちょっとずつでもいいので、勇気を出して前に進んでいく必要があります。
そんな人が、前に進むための力を取り戻すためにとても有効なのが、冒頭の引用にもある
照準を合わせる
ということです。
"カリフォルニア州史上最悪"と呼ばれた、あまりにも苦しい虐待を体験したデイヴ・ペルザーさんという人がいます。
彼も、「照準を合わせる」ということを大切にしてきました。
絶望してしまうほどの不幸な記憶を乗り越え、自らの力で人生を切り開くために、前向きなことや、やるべきことに照準を合わせてきたのです。
この記事では、そんなデイヴの著書『"It"と呼ばれた子 指南編 許す勇気を生きる力に変えて』(ヴィレッジブックス 2003年 *原著は2000年)を土台に、さまざまな観点から照準を合わせる大切さを学びます。
これについては私もたくさん失敗を重ねてきましたので、失敗から学び、前に進んだ私自身の体験もシェアしたいと思います。
(この記事だけでも十分内容は理解できますが、以下の記事の続きになりますので、よかったらこちらも読んでください。
人生を前に進めるための「心の使い方」
アメリカに、ブラッド・ヴァン・リューという船乗りがいます。
彼はひとりでヨットに乗り、地球を一周するというレースにチャレンジしました。
その航海の距離は4万4千キロ。掛かった時間は9ヶ月だそうです。
その過酷さの内容は以下のような感じです。
まず、夜は3時間しか眠れません。9ヶ月間ずっとです。
嵐のときは、船が転覆しないように十メートルの大波と戦わなければなりません。もし波にあおられて海に投げ出されたとしても、誰も助けてくれません。自力で這い上がるか、さもなくば死です。
しかも、ある嵐の際には、高さ二十二メートルを超えるマストが折れてしまい、レースを棄権する瀬戸際まで追い込まれてしまったそうです。
ロクに体も洗えないでしょうし、船酔いもするでしょうし、あぁ、もう書いているだけで疲れてきました・・・(笑)。
それでも彼は、このような過酷な船旅を自分一人の力で乗り越え、成功させました。
不屈の人ブラッド・ヴァン・リューは、このように言っています。
彼のゴールは44000キロ先にありました。赤道一周分の長さが40075㎞なので、地球一周よりも遠いゴールです。
そこにたどり着くまでに、「次の小さな一歩」をいったい何度踏み出さなければならなかったのでしょうか。
途方もない作業のようですが、結局最後まで自分を前に進めてくれたのは、その「次の小さな一歩」に照準を合わせることだったのです。
人を虐待のトラウマから救い出し、地球一周を成功させてしまうほどに、「照準を合わせる」ということにはすごい力があります。
この力は、私たち人間全員に与えられています。
とはいえ、私がヨットで地球一周するのはムリですが(笑)。
本当にヨットに乗るかどうかは別として、人生もヨットでの世界一周のようなものです。
「次の小さな一歩」に照準を定めて進んでいくことで、着実に進化し、幸福を大きくしていくことができます。
次の小さな一歩に照準を合わせるのは、本来は誰でもできることです。
例えば、あなたが子どもの頃にゲームをしたことがあれば、その経験を思い出してください。
その頃のあなたは、特別な思考力や創造性は持っていなかったかもしれませんが、途中で飽きてしまわない限り、そのゲームをクリアしたはずです。
なぜなら、失敗する度に「新しやり方」を試していたからです。
その新しいやり方は、必ずしも成功するという保証はないものですが、それでも、ゲームのクリアという目標に向かって、どんな小さな変化でも自分で考えて試したはずです。
それが「次の小さな一歩」です。
「さっきはここでいきなり敵が出てきたから、今度は同じ手でやられないぞ~」
と思って、そこに照準を当てていたでしょう。
それでもどうしてもクリアできなかったら、友達にやってもらうとか、攻略本を買うなどの「次の小さな一步」を踏み出したのではないでしょうか。
人生も、このゲームと同じ。ダイエットをしようと思ったら、次の小さな一歩として「一駅余分に歩いてみる」といったことを実践してみるだけです。
もちろんそれで必ず痩せる保証はありませんが、瘦せなければ今度は食事を変えたり、本を読んで研究したりと、一駅余分に歩いてみたところから、次の一歩を踏み出せばいいのです。
このように、「次の小さな一歩に照準を合わせる」ということはそれほど難しくないですし、それどころかみんな子どもの頃はそうやって人生を前に進めてきたはずです。
こうして生きていれば、大した苦労はせず、かなり幸せに人生を前に進めることができます。
ですが、ここが人生の難しいところでありおもしろいところでもあるのですが、気がつかないうちに、進むべき道から「照準」がズレてしまうことが多いです。
それによって、人生を前に進めることができなくなり、運気の流れが悪くなり、幸福から遠ざかってしまいます。
なぜ、照準がズレてしまうのでしょうか?
そして、どうすれば照準が合うようになるのでしょうか?
私が思うに、「次の小さな一歩」が見えなくなってしまう――つまり人生を前に進めることができなくなってしまう理由――は2つあります。
それをひとつずつ理解し、陥りがちな穴を避けられるようになるための考察をしてみたいと思います。
あるいは、今その穴に引っかかっている人は、ぜひそこから抜け出すヒントにしてみてください。
陥りがちな失敗その1:「小さな一歩」を否定してしまう
私が大学4年生だった頃のことです。
そのときの私は決して不幸せではありませんでしたが、将来やりたいことがイマイチ定まっておらず、何となく不満を抱えているような気分でいました。
もともと知識を探究することは好きで、社会をよりよくするために「知」で貢献したいという思いがありました。
具体的には、学校の教師になるという選択肢もあり、実際に教育実習にも行きました。
でも、「何か違う」という思いは消えませんでした。その「何か」が当時は全くわからなかったので、煮え切らない態度のまま大学の図書館に籠って本を読みつつ、答えが見つからないままに時間が過ぎていきました。
そのときは、将来のことを考えてはいるのですが、自分が考えたことのマイナス面ばかりを見てしまって、否定的な思考のループに囚われてしまっていたのでした。
例えば、
教師になってしまうとその学校の自分が受け持つ子どもにしか知識を伝えられず、「社会」という広い対象を相手にすることができない。
もっと多くの人々を幸せに導くお手伝いをする仕事に挑戦したいけど、傷つきたくない。
ではNPOのような仕事がいいのではないか・・・いや、それだと親やその他の周囲の人への印象が悪いのではないか(NPOで頑張っていらっしゃる方、すみません)。
といったように。
すべての結論が「否定」に行きついてしまっているのですから、人生を前に進めることなんてとても無理な相談であることがおわかりでしょう。
でも、この煮え切らなさは若者の「あるある」なのかもしれません。
大学を卒業した後も
「自分を熱くさせてくれる、命をかけるに足る"天職"に出会えないかなぁ」
と、誰かが自分に与えてくれることを期待しながら、ぼんやりと日々を生きていました。
このような考え方をしていては、自分が取るべき行動に「焦点」が当たるはずがありません。
結果、何年もの間人生が止まったままになってしまい、「やり切った!」「今自分は生きている!」という感動もありませんでした。
そういう無感動の状態を続けていたら、やがてうつになってしまいました。
本当は一歩で到達できるくらい近くにある「今」「目の前」に焦点を当てる必要があったのですが、当時の私は、「見えないくらい遠い未来にある、遠い場所」をぼんやりと夢想して、「今」と「目の前」、つまり「小さな一歩」を否定していたのです。
これが私の失敗その1です。
「今」と「目の前」を否定していて、どうして"やりたいこと"を見つけることができるでしょうか。
めちゃめちゃ大切なことなのですが、ほとんどの人が忘れていることを、ここに書きます。
"やりたいこと"は、「将来」見つけるのではなく、「今」見つけるもの。
わかりますか?
人は「将来」に生きることはできません。
あなたが生きているのはいつですか?そして、生きることができるのはいつですか?
そうです。「今」しかありません。
であれば、"やりたいこと"は、「今」やるしかないのです。
「今」やりたいことがないのであれば、「将来」にもやりたいことはありません。
なぜなら、「今」に埋まっていない種は、未来になっても芽を出すはずがないからです。
今やりたいことがない人が、やりたいことを見つけたいのであれば、「今やっていること」を"やりたいこと"にする必要があります。
そのためには、目の前のことを楽しめるように工夫して、自分の持っている力を生かして取り組み、関わる人に喜んでもらえるように行動することです。
そうやって目の前のことにていねいに取り組むことで、魂が磨かれていきますし、人間性や仕事の実力も高まってきます。
人間性や仕事の実力が高まると、自然と人生が次のステップへと導かれてきます。
それを繰り返すことで、あなたの使命である「ダルマ」も磨かれていき、いつしか望んだ以上のステキな仕事にも出会うことができます。
人の生きる目的は「魂の成長」です。
なので、実はやりたいことをやっているかそうでないかはあまり問題ではありません。
もし、やりたいことや夢があるのなら、それを成し遂げるための道のりを細かくイメージして「目の前の小さな一歩」を踏み出しながら、魂を磨いていけばいいです。
一方、やりたいことや夢がないのなら、無理して夢なんて持たなくても大丈夫です。生きていれば、自然と何かの状況に出くわすはずです。目の前に出てくる状況に一生懸命取り組み、魂を成長させ、自分も他人も幸せにしていけばいいのです。
「夢がない」といって悲しんでいる人もいますが、夢がなくても幸せになることはできます。夢を持っていることは幸せになるための必須条件ではありません。
でも、こんな疑問を持つ人もいると思います。
目の前にある「小さいこと」ばかりしていて、本当に満足できる人生になるの?「大きなこと」を成し遂げるのが、いい人生なんじゃないの?
この悩みについて、『ニュー・アース』の著書でスピリチュアルな指導者のエックハルト・トールさんはこのように答えています。
私たちの心には「エゴ」が棲んでいます。その「エゴ」が、往々にして私たちの判断を狂わせます。
エゴの性質を詳しく述べるのは別の機会に譲りますが、エゴにとっては、「今」「目の前」は軽蔑すべき対象になります。せいぜい、「将来」のための手段だとしか考えません。
だから、違うところに照準を当ててしまうのです。
でも、私たちには「小さいこと」が大切です。
仕事で何かのイベントを運営したことがある人はわかると思いますが、どんな大きい会場での豪勢なイベントでも、それを成り立たせているのはひとりひとりのスタッフが自分の役割を果たしているからです。
そこに「特別」なことはありません。受付をする、案内をする、予め導線を考えておく、そこに貼るサイン(張り紙)を準備する、機材を準備する、ボランティアスタッフが当日働けるように資料をつくっておく、参加者を集める・・・というように、誰でもできる仕事の集まりで、大きなイベントは成り立っているのでです。
また、アメリカのメジャーリーグで、前人未到の1シーズン262安打、10年連続シーズン200安打以上を成し遂げ、日米通算で世界最多の4367本のヒットを打ったイチローは、引退会見でこう語りました。
これだけ偉大なことを成し遂げた人も、大切にしているのは「次の小さな一歩」でした。
だからこそイチローは、「照準が定まらず、ふらふらしてしまう」ということを避け、進化・成長の道をブレずに歩いてこれたのでしょう。
私もイチローには遠く及びませんが、遠すぎて見えないような場所を見ようとすることはほどほどにして、今やるべきことに集中して生きることができるようになりました。
今この記事を書いているのは、そうやって生きてきて導かれた結果です。
陥りがちな失敗その2:「恐怖」に負けてしまう
これも、私の失敗談からはじめましょう。
会社に就職して仕事をし始めたころ、私はテレアポが大の苦手で、電話を掛ける度にド緊張していました。
それには根深い理由があります。
小学生の低学年の頃のことです。
その頃の私は、休みの日にも毎日友達と遊んでいました。
当時の友達への連絡手段と言えば、大人になった今は懐かしい「家電」です。友人の家の電話番号を入力してしばらく待つと、友達のお母さんが出てくれるので「〇〇ですけど、▲▲くんいますか?」と言って、友達に代わってもらう。それを毎日やっていました。
そんなある日のこと。
その日も友達を遊びに誘うために電話を掛けていたら、電話を掛けている最中に、急に親から
「あんたは電話で話すのがヘタね」
と怒られました。
今思えば大したことでもないような気がしますが、小さかった私は大きなショックを受けて、それ以来電話をするときに恐怖心が生まれてくるようになりました。
また、成長する過程で、「電話は面と向かっての会話に比べると、声だけのやり取りになるのでニュアンスが伝わりにくい」といった知識が入ってきます。
そういう知識が入ると、電話をしているときにそれが頭の中に浮かんできて「今ぼくの言葉は悪く受け取られているのでは?」とどんどんマイナス思考になっていき、心拍数が上がってきます。
仕事で電話を掛けるとたちまちその状態になります。せっかく受付の方が内線でつないでくれているのに、保留音が鳴っているときにどんどん緊張が高まってきて、息ができなくなってきます。
保留音が鳴り終わったときに「不在です」と言われるとほっとするという、何のためにテレアポをやっているのかわからない状態になっていました。
このとき、私の「照準」はどこに当たっていたのでしょうか?
おそらく、というか間違いなく、仕事そのものではなく、過去の体験の記憶や自分の中にある恐怖心、そして「怖い体験はしたくない!」という防衛本能に照準が当たっていました。つまり照準がズレていたということです。
こういう状態では仕事も楽しくありませんし、幸せではありません。
でも、仕事なのでテレアポはしないといけません。
この先ずっと、毎日苦しい思いをしないといけないのか・・・。
そうはなりたくなかったので、自分なりの「小さな一歩」に照準を当て、踏み出すことを決めました。
まず「電話を掛けているときに楽しくなる」、消極的に言い換えれば「電話中の恐怖を軽減する」ということを目標にしました。
そして、それを実現するためには、人に迷惑を掛けなければ何でもありです。
まずは、電話中に気分が良くなるように、ハワイに伝わる癒しの技法である「ホ・オポノポノ」の「クリーニング」や、斎藤一人さんの「天国言葉」を頭の中で繰り返し言いました。
「ホ・オポノポノ」にも「天国言葉」にも、共通して「愛しています」という言葉があるので、主にはそれを使いました。
コール音が鳴っているときも、受付の人と話しているときもです。
テレアポで話すスクリプトはもう反射的に出てきますから、頭の中で「愛しています」と言っていても、自分が何を話しているかわからなくなることはありません。
いや、時には「あれっ、今何言ってんだ自分」となることはありました。
まぁ、そのくらいはゆるしてもらってもいいでしょう。
また、電話を掛ける際に
「これからぼくはガッキーに電話を掛けるんだ」
と思って電話を掛けました。
そう思うとワクワクします。
もし女性が出なかったら
「さっきまでいたんだ」
と思うことで、自分を奮い立たせました。
さらに、受話器を持たない方の手で、ヘソ下三寸にある「下丹田」をさわって意識を高め、深い腹式呼吸によって精神を落ち着かせるということもしました。
これらの工夫によって、やっと他の人のスタートラインに並べたという感じだと思います。
ですがここで大事なことは成果よりも「恐怖を軽減する」ということなので、その目的は達成することができました。それがとてもよかったです。
恐怖が弱まれば、その仕事に対してより積極的な姿勢になることができるので、そうすればおのずと成果もついてくるからです。
ここで私が学んだことは、
恐怖に対処するには、ユーモアとハラ(下丹田)が大事
ということでした。
問題は、解決するためにあります。苦しみは必要ありません。
でも世の中には、問題に突き当たると、「考える」のではなく「悩む」という状態に陥ってしまい、解決できないまま愚痴をこぼしている人が多いです。
中には、悩み苦しんでいることが人間として格が高い、くらいに思っている人もいます。
でも、それは間違っています。
人生は苦しむためではなく、楽しむためにあります。幸福を拡大するためにあります。
だから、問題を苦しんで解決しようとしてはいけません。「どうすればこの問題を楽しく解決できるだろう?」と考えるのです。
最初からすっごく楽しくなる方法を考える必要はありません。100苦しんでいるとしたら、1楽しめるようにして、苦しみを99に減らすことができたら、成功です。
そうすれば、ユーモアも自然と湧いてくるはずです。
ブッダというと、「人生は苦しみである」と言ったということが有名ですが、ブッダは決して、そんな悲しい人ではなかったと思います。
ブッダは「無知から苦しみが生まれる」と言っているので、苦しみの原因を見抜くことができれば、苦しみは消滅させることができる、と言っています。
そしてこのように「楽しく生きよう」なんて言っているわけですから、ブッダは実は楽しい人だったのだと思います。残っていないだけで、本当は冗談を言って、結構周りの人を笑わせていたのかもしれません。
恐れの感情を持つことを否定することはありません。自分の中に自然に出てくるものですから、それはそのまま認めればよいのです。
その上で、恐れを中和する策を取りましょう。
そのために焦点を合わせるべきは「楽しさ」です。
これによって恐れを打ち消し、本来合わせるべきことに照準を合わせることで、人生は前に進みます。
どんな言葉が浮かんでくるだろう?
この章の最後に、心の傷があっても幸せになるために、「自分の頭の中に浮かぶ言葉を自分で創り上げよう」、という話をしたいと思います。
実の母親から、このような言葉を激しい憎しみとともに言われたデイヴ。
これほどの言葉を投げつけられると、それが心の傷として残ってしまい、事あるごとに頭の中で再生されてしまいます。
そして、こういった言葉が頭の中に何度も浮かんでくると、それによって心に「不安」や「恐怖」が根付いてしまいます。
このような言葉を言われて傷ついている人は、きっとたくさんいることと思います。
それは本当に大変で、苦しくて悲しい体験です。私もよくわかります。
ですが、過去に不幸なことがあったからといって、「埋め合わせをするよ」といって誰か都合の良い人が現れて幸せにしてくれるわけではありません。
だからこそ、自分の頭の中にどんな言葉が浮かんでくるかをしっかりと観察して、その上で愛のある言葉を自分で自分にかけてあげる必要があります。
デイヴが言うように、自分を愛するための言葉は、自分の中から生み出さなければなりません。
幸せな人とは、頭の中に幸せな言葉がある人です。
でも人間は、不幸なことやイライラすること、悪いことを考えてしまいがちです。
だからこそ、意識的に幸せな言葉、愛のある言葉、元気の出る言葉を考える必要があるのです。
私も、頭の中で他人の粗ばかり探し、決して面と向かっては言わなかったものの、他人への不平不満がうずまいていた時期がありました。
その結果、私はどんどん孤独になっていきました。
でもそれは、やめようと思えばいつでもやめれらます。
だから私はやめました。そして、いつでもプラスの言葉を思い出せるように、「練習」しました。
それも、すごく変な方法で(笑)。
でも効果は抜群でした。
その方法というのは、斎藤一人さんが提唱している「天国言葉(愛してます ついてる うれしい 楽しい 感謝してます しあわせ ありがとう ゆるします)」を1万回言う、というものです。
愛してます
ついてる
うれしい
楽しい
感謝してます
しあわせ
ありがとう
ゆるします
この中のどれかひとつで構わないので、自分が好きな言葉を選びましょう。
そして、それを1日に1000回言います。それを10日間繰り返します。
私は両手で数えながら行いました。
両方の手をパーにして、「愛してます」と1回言ったら指をひとつずつ折っていきます。これで10回です。
次に、「愛してます」と1回言ったら指をひとつずつ開いていきます。これで10回、合わせて20回です。
20回で「正」の字の一画目を書きます。100回言うと「正」が書きあがります。「正」が10個できると1000回です。
やってみると、意外と短い時間で終わります。7~8分くらいだったと思います。
「愛してます」という言葉にはプラスの波動があり、一回言うだけでも体と心の状態が変わります。それを何度も言うのですから、とても気分が良くなります。
指を折る度に「愛してます」と言っていくので、だんだんと「この自分の指は、愛を数えるためにあるんだ」と思えてきて、とても自己肯定感が高まりました。
1万回言い終わったら、いつどんなときでも「愛してます」という言葉が頭の中に出てくるはずです。
何かいやなことがあったりしたら、頭の中でいいので「愛してます」と言ってください。きっと、気分がちょっと軽くなるはずです。
そのちょっとが大切です。
ちょっと気分が変わることで、あなた自身とあなたの思考や感情との間にスペースができます。
そのスペースがあることによって、心の中を切り替えることができるからです。
この方法が恥ずかしいという人は無理にやらなくていいです。
でも、「どんな手段を使ってでも、過去から脱却して幸せになりたい!」という人は、ぜひやってみてください。
もし声に出せない状況なら、頭の中で言うだけでもOKです。でもできれば声を出してください。
絶対に幸せになってください。それも「理由のない幸せ」に。
理由のない幸せの状態が、私たち人間の本来の姿です。
だから、私たちは絶対、心の傷には負けません。