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Xを辞めてみた訳
はじめに
お気づきの方もいる思いますが、2024年2月5日(水)を持ちまして、14年ほど使い続けていたX(旧・Twitter)を辞めてみました。
割りと多くの人からはそこそこ反応もあり、それ以降で直接あった人には「そういえばXやめたんですね」とか、それを知らない人からは驚きの声をいただくときがあります。
前々からXについては思うところがあり、やめ時を伺っていたのですが、色んなことが重なってついに決心し、綺麗さっぱりと辞めてみることにしました。
このnoteは、なぜ今になってXを辞めてみたのかというお話を、興味がある人向けに言語化して書き残していくモノです。
避難先はこちら
本題に入る前に、2025年2月現在活動場所としている避難先を列挙します。お好きなサイトを選んでフォローをお願いします。
なお、Xアカウントについては、一部の方々とDMでやりとりすることが発生しそうなこと、完全に消した後IDが乗っ取られてしまうと後々ご迷惑をおかけするだろうことから、休眠状態で残させていただきます。
少なくとも現時点では、今後Xから何かしらの発信をすることは一切ありません。
Twitterに求めていたモノ
Twitterというサービス名だった頃、少なくともぼくは「身内」や「気になる人」などをフォローしやりとりする場所として活用していました。
API経由でのタイムラインの読み込み制限がきつくなってきた時期からは、周りがサードパーティ製のアプリを使って文句を言っている中、いち早く公式に乗り換え、下へ下へスワイプを繰り返していたものです。懐かしい。
これはぼくが一貫してそう感じていることなのですが、Twitterというものは「ゆる~く誰かと会話したり、繋がったり、面白い話題が適度に流れ込んでくるので楽しい場所」として使っていまして、平和だったあの頃を考えるとそりゃあもう居心地が良く、Twitterの代替先なんてことはこれっぽっちも考えていないくらい中毒になっていました。
この「ゆる~く繋がる」点に加え、「勝手に面白い情報が流れてくる」というのもTwitterの良い点でした。
これはニコニコの面白い動画がTLを流れてくるという非常に良い環境で楽しんでいた経験から来ることですが、他人が見た面白い動画を見るというアクションを気軽にすることが出来るというのは、当時のニコニコにどっぷり浸かっていくことには十分すぎるシステムでした。
Xになるまでに変わってしまったこと
大学卒業して社会人になった頃、勤め先の特性上 迂闊なことは言えないなということになり、それまでの奔放さに大幅にブレーキをかけていくことになりました。自粛に近いムーブではあるのですが、これも引き金になっていることは間違いないと思います。
また、この頃から明らかに「世の中の全てに対していつも怒っている人
をTLで多く見かけるようになりました。これは、当時フォローしていた人が軒並み社会人として成長していく中で、ストレスを発散する意味もあったのだろうなと思います。
フォロワーが「変貌」していく様に苦しむのも多かったのですが、アルゴリズム的に流れてくる話題も「怒っている人」に埋められるようになりました。こうなってくるとTwitterを見ることでストレスがたまるという世の中と比較すると逆転現象的な状態になってしまい、いつしかTwitterは怖いものへとなっていきました。
社会人になって以降のぼくの呟きを見ている方なら察するかと思うのですが、ぼくは意図的に「世の中に対するお気持ち」をしないように徹底して運用していました。(完璧ではないかもですが、だいぶブレーキを踏んでいました)
慣れもあってツイートに流す前にその場で怒りを消火できる術を身につけたこともあり世の中に対して怒るということに関して平常な人よりもだいぶ疲れるなと思うようになり、ツイートをするという行為自体がどんどんおっくうなモノになっていきました。
中でも一番ストレスが大きかったのが政治的なツイートです。
ぼくは政治に興味がないという人間ではなく、投票にも必ず行く程度の政治行動はしていますし、政府に対して不満が全くないということはありません。
しかしながら、一方的で攻撃的なツイートを見るというのは、投げている人が想像するよりも数百倍に辛く、怖いものです。
Xに近づいていく時期のTwitterは特にアルゴリズム上こういったツイートが流れる割合が増え、Twitterから離れる原因になっただろうなと感じています。
Xになって決定的に変わったこと
そしてサービス名がXに変わったころ、「使わない選択肢」が明確に見え始めたトリガーがいくつも出てきました。
1. TweetDeckの有料化
ぼくのサブスクの考え方については「良いと思えば払う」と「無料で使える範囲内であれば使い倒す」の2点で行動しているのですが、Twitterへ没入させてくれる神アプリであったTweetDeckの有料化は大きな大きな引き金となりました。
大前提として、ぼくはXに対しては「お金を払って使いたい」というサービス基準にはありません。
情報が一覧化され、見たいものを瞬時に一気に見ることができたあのツールが使えなくなったことは、プライベートでも仕事においてもかなりの痛手でした。実際、固定のハッシュタグやキーワードが流れるTLを作るために、いちいち検索を出さないといけないという回りくどさから、Xで話題を拾うという行動を意図的にやらなくなったなぁと感じています。
2. Not for Meな広告の急増
第一に、サービスの維持にはお金がかかるということは重々承知しており、そのために広告を打ってビジネスを成り立たせるというモデルには異論はないです。
企業による良質な広告ポストを見るのは楽しく、そういう活用法であれば文句はないのですが、知らない個人のポストまで出るようになってきたときからは、「ああ…」と落胆せざるを得ませんでした。しかも、とことん怪しいmのばかりだったのもガッカリ感を増すキッカケになったのだと思います。
辞めた理由は「デメリットがメリットを上回ったから」
長々と書き連ねていますが、シンプルに言うと「デメリットとして受け取る要素が多くなってしまった」という一言に尽きます。
Xについては自分の立場から少しでも面白い動画を共有できれば、自分の仕事が少しでも拡散されればという思いでなんとか続けていたのですが、そのモチベがとうとうここに来てまったくゼロになったという感じです。
「誰のためにやってんだろうなぁ」というのをふと感じる時間が増えたんだと思います。
クリエイターさんから直接「ふわっふう砲だ!」的な感じで、見て拡散する行為について喜んでいただくことも多かったのですが、それを嫌な部分が上回ってしまい、それを解決することができませんでした。
余談ですが、ちょうどこの頃それまで使っていたスマホの画面が急に壊れ、白く発光するようになってしまいました。
昔の自分のおかげで「同機種交換」できることとなり事なきを得たのですが、引き継ぎ作業をしている中で「このタイミングで辞めてしまおうか」と思ったのも事実です。
そしてこれが最も大きな要因ですが、
今のX上では発信することへのデメリットがあまりにも大きすぎるなと感じてしまったことがあります。
Xというものは、個人がたとえ偏った意図・意見を持っていなかったとしても、受取手の解釈次第でどうにでも燃やせてしまう風潮があります。
そしてたいまつを持って燃やしまくる人は讃えられ、崇められるような傾向もあります。
こういった世界に住み続けることに対し、リスクすぎると感じてしまったことが、もう辞めようと決意した大きな要因です。
ちょうど1月から2月にかけて、複数ある自分の好きなものたちが大きな世論に否定されるという立場になっていました。
そういう人もいると発言することで、思わぬ火の粉を被ってしまう時代ですので、もちろんブレーキをかけ発言しないようにしました。
正当な批判はされるべきです。しかし、正解が提示されていない中で憶測で膨らんでいく世論はとても怖いと思います。
そういった一連の流れを浴びてしまったことで、「もうここはぼくが居続けたいと思う場所ではない」と感じ、辞めることにしました。
これから
現在は、なんてことない呟きはBlueskyで、写真はInstagramで投稿していますが、ストレスなく伸び伸びとやっています。
引き続きこのnote上では自分の感じた要素を言語化するために使っていく予定です。
見た映画の感想とかも引き続き書き残していく予定ですので、ぜひほかの記事の閲覧とフォローをお願いします!
ぼくはXが怖い場所になってしまったのでもう戻る事はありませんが、ひっそりと活動はしていますのでどうぞよしなに。