尾瀬で食べるということ(後編)
そもそも尾瀬とは
なぜあんな山奥に平らな湿地ができたのか。
今から数万年前に燧ヶ岳が噴火し、川が堰き止められ尾瀬沼が誕生したと言われている。
やがて周囲の山々から土砂が流れ込み自然の堤防が形成され、水捌けの悪い土地が湿地となり、水生植物が繁茂する様になった。この植物たちは低温のため枯れず腐らず水中に堆積し泥炭層となり数千年以上の年月をかけて現在の湿地になっていったという。
泥炭層は1年に1mm ずつ堆積していき、現在は4.5〜5mにもなるという。何千年という年月をかけて現在の尾瀬の姿となったのだ。
木道を歩きながら自然の脅威と豊かさと、ここに人間が足を踏み入れることが許されるということが嬉しかった。
尾瀬の自然の姿を守りながら多くの人間たちがこの地に訪れられる様にするためにはこの木道は必須だ。この木道がなければこの土地は踏み固められ、湿地の状態を保つことは難しいという。また植物も踏まれてしまうと現在の様には生きていけない。
また、山小屋に荷物を運ぶためには車やカートは使えないため人間が背負って歩荷として各山小屋に荷物を卸していく。歩荷は日に70キロ以上の荷物を背負って食糧などを届けに山道を歩いていく。
大自然と人間の間にはそれを取り持つ人間がいなくてはならないのだ。
それはとっても崇高な仕事だと思った。
念願の尾瀬小屋のステーキ丼
鳩待峠を出て8キロほど歩くと尾瀬小屋がある。ここは宿泊ができる山小屋だが、レストランとして食事だけでも利用ができる。
今回はここのステーキ丼を楽しみにここまで歩いてきたのだ。
尾瀬には他にも食事をできるところがあるが、特に尾瀬小屋はやまごやグルメとして力を入れている。
鹿肉のボロネーゼや希少部位カイノミのステーキ丼など下界でも豪勢だと思わせる料理を尾瀬の山小屋で提供してくれる。
(詳しくはリンクを貼っておくので見てみてください。数年前の記事なので食事の値段が少々上がっていました。)
レアステーキのお肉は柔らかくたっぷりご飯に乗っていた。山小屋でこんなに美味しいステーキが食べられるとは思っていなかった。
(山の中で新鮮なナマモノを食べられることに感動)
この食材も毎日歩荷さんが担いで運んできてくれるものだと思うとものすごく贅沢なものを食べていると思った。
値段は1,800円と少し高価な気がもしたが、山小屋のある環境や歩荷さんのことを考えれば安すぎるぐらいだと思った。
山小屋のテラスには燧ヶ岳の伏流水も流れていた。
飲めるようになっていて、冷たくて疲れが癒やされた。
水の中にはその日の晩に泊まった人が飲むであろうお酒が冷やされていた。
次に来る時は、ここに泊まって夜星を眺めたりしてみたいと思った。
山と人間の繋がり
自然を守るのも楽しむためにもたくさんの人々に支えられていると改めて実感した。
快適な宿と温かい食事を提供する山小屋も、食材を運ぶ歩荷さんも、木道を維持する東京電力もその他大勢の人々が尾瀬の自然を守るために尽力をしていてる。
そのおかげで私は尾瀬に訪れ、風景や環境に触れることができた。
尾瀬に行ってみて、自分も自然と人間の間を取り持つ仕事をしてみたいと思った。
綺麗事だけでは務まらないし、自然の脅威は人間とってはあまりにも強すぎる。それでも、今はまだ漠然としか考えられないが、いつか自分もそういった職業について、訪れる人と自然どちらも守りながら素晴らしさを伝えていきたいと強く思う様になった。
今後山に出掛け、人と自然の繋がりを感じるたびに思うことになると思う。
その考えのきっかけを与えてくれた尾瀬は本当に良い経験だと思った。
尾瀬で食べるということ。
それはこの上ない贅沢な上、現代社会において最も間近で人々のつながりを感じることである。
尾瀬のステーキ、それはたくさんの人々に支えられて届けられる最上級の贅沢である。