来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる
亡くなったペットに対して、虹の橋を渡るという表現をしているところをSNSで多々見かけてる。
残された家族への慰めだったり、亡くなった生き物への労りだったりがありとても素敵な考え方だとは思うが、私はあまりその表現が好きではなかった。
"虹の橋"とはなんなのだろうと考えると、おそらく天国へ続く道のようなもので、生き物は亡くなるとその橋を渡り天国で楽しく過ごしてあなたを待っているよ、ということだろう。それはとても素敵な考え方だし、残された方の慰めとしてもとても良い言葉だとは思うし、私も亡くなった犬が苦しみや老いから解放されて自由に駆け回っていると思うと少し心が和らいだ。
ただ、私は死後の世界があるという考え方より、輪廻転生といった生まれ変わりや来世という考え方の方が好きだったし、共感していた。
今年14年飼っていた犬が亡くなった。
もし、虹の橋を渡ったとしたら今すぐにでも私も会いに同じ場所に行きたいし、私がそれを渡るまで犬は私たち家族のことを待ち続けるに違いないと考えるとより辛くなった。
それよりも死後は無であり、魂と思い出は残された家族のそばにいてくれる。だからより心の距離が近くなったんだと考えた方がずっと慰められた。
犬が亡くなってから9ヶ月ほど経つが突然無性に会いたくなり、いろいろと思い出していたらだんだんと治まっていたペットロスが再び再来し、寂しくて寂しくて辛くなっていた。
その時に、インターネットで木下龍也さんのあなたのための短歌集という短歌集の中の
「愛された犬は来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる」
という短歌と出会った。仕事中だったが1人でボロボロと泣いた。
犬が亡くなってから今まで自分に思い込ませてきたどんな言葉や考え方より私と犬の死に寄り添ってくれた。
風となって日々何度も慰めに来てくれているのだと思うと以前より心が軽くなり嬉しくなった。
私はもともと外に出ることも自然の中に行くことも山に登って流れる雲や稜線を抜ける爽やかな風が好きだった。
大好きだった犬が風に生まれ変わって日に私に寄り添い、時に追い風となり、向かい風となり一緒にいられると思うとこんなに嬉しいことはなかった。
私が来世があればと願う理由は、"今"寂しくて"今"すぐにでもそばにいて欲しいからだ。
なので、虹の橋の向こうなんて遠くに行かれてしまうと困るのだ。
すごく自分本位で傲慢な考え方かもしれないが、そう考えることで自分が少しでも穏やかにいられるならそれでいいのではないかと思う。
14年間共に暮らした大好きな犬の魂は、いま風となって私と共に生きていてくれている。
これからの私の人生の行く末を風となって一緒に見届けてくれているだろう。
また、お互いに生まれ変わったらどんな生き物でもいいからまた家族や群れの仲間になろう。
そう思って、今日もなんとか私は生きていく。