許さない。

私はこの怒りを忘れぬように、そしてこの想いを忘れぬように、ここにしたためたいと思う。

私の祖母には姉がいる。
“ばあば”。
断じてばばあではない。“ばあば”。
それが私の大好きなその人の呼び名だ。
ばあばは今年でもう93になる。
私がばあばを“ばあば”と呼ぶ度に、彼女は喜んでその「嬉しさ」を私の母に伝えた。

私は幼少期の頃、ばあばといつも一緒だった。
私が生まれてからずっとだ。
彼女の妹である私の祖母は、私が生まれて程なくして亡くなったそうで、物心ついた時には、「私のおばあちゃん」といえば、ばあばだった。
物心ついた時から既に彼女の髪は白く、少し背中が丸まっていた。
しかし彼女はそれでいて、本当によく歩き、可愛らしく笑う、すべすべな肌をした、年齢をそこまで感じさせない元気なおばあちゃんだった。
彼女は、必ず毎週日曜日に、遠方からわざわざ私の家を訪ねてきた。
私の中の“ばあば”といえば、ひょこひょこと、マイペースに私の方へ歩いてくる姿である。
ばあばは恐らく出歩くことが好きだったし、人の世話を焼くことも好きだった。
私は、この先の人生で、これほど可愛がられることはもう無いのではないかと思うほど可愛がられた。
ばあばは、ベランダでしゃぼん玉を吹いたり、近所の公園へ一緒に遊びに出かけたりして、甲斐甲斐しく私の面倒を見てくれた。
「ばあばが来たなら公園に出かける」。
それが私たちの恒例の過ごし方だった。
私の乗る乳母車を、その小柄な体でちょこちょこと押してくれていたことを覚えている。
ばあばは人当たりがよく、とにかく人懐っこくて、わがままは何も言わず、謙虚なおばあちゃんだった。
ばあばが怒った姿を見たのは、今思えば、私が公園で同い年の子に仲間外れにされた時に、その子たちを叱った時だけだったかもしれない。
自虐しながら困ったように言う、
「なはちゃんの顔を見たら寿命が伸びてしまうの。」がばあばのお決まりの台詞だった。

小学校の高学年に上がる時だったか、中学入学の時からだったか。
いつからだろう。
思い出せないが、いつからか、私はばあばと公園に出かけることが無くなった。
あれだけ外へ遊びに出かけていたのに、もしくはその反動なのか、私はいわゆるインドア派になってしまった。
休日に外で遊ぶことが嫌で、他人と話すことが億劫で、誰にも傷つけられない安全な家に居たがった。
ばあばは何も言わなかった。
何も言わず、ただ必ず毎週日曜日に私の家を訪ねてきた。
私の家を訪ね、私に会い、私の部屋とリビングのお掃除を買って出て、母の出したお茶とお茶菓子を遠慮しながら食べて、帰っていく。
それを繰り返す日々だった。
それが私の「当たり前」になった。
ばあばの耳はだんだん聞こえなくなってきて、高い声なら聞こえるらしいと知り、私は出来るだけ高い声で彼女の耳に語りかけた。
無事に聞こえた時、彼女が返事をしてくれた時は嬉しかった。
私は受験期に入るにつれて習い事のピアノを辞め、半端に育った自分がばあばと何を話せばいいか次第に分からなくなっていった。
ばあばとの会話は減り、私は耳が聞こえなくったばあばにただ無言で笑いかけ、その両手を握った。
私はそれぐらいしかしなかった。
ばあばは私に微笑み返し、その「かわいさ」を私の母に伝えた。
よく分からなかったが、ばあばが笑ってくれるならそれは嬉しかった。
私はその時ばあばに対して他に何が出来るか分からなかったし、あまり考えもしなかった。
そんな日々を繰り返した。

コロナウイルスが流行った。
率直に言って、インドア派で、外に出かけること自体がもうすっかり嫌になっていた私は、その生活を全く苦に思わなかった。
ばあばは、コロナウイルスが流行ろうとしている中でも、変わらず日曜日に私の家を訪ねようとした。
緊急事態宣言が発令された。
私の父は、ばあばの住むようになっている老人ホームのヘルパーさんに、外出を控えるように伝えてもらうよう電話でお願いした。

「ばあば、ひどく怒って暴れてるらしい。
『待ってるの』って。」

ヘルパーさんからばあばの様子を聞いた父の言葉に、私は言葉を失った。
ばあばのその姿は、口で簡単に説明されてみると想像がしやすいような気もしたし、意外な気もした。
ばあばがそれほど自分の価値を認めてくれていたなんて。
確かに私はばあばに会いたかったが、そんなことよりも、そんな得体のしれないウイルスなんかでばあばに死んでほしくなかった。至極当然である。 
私は、我が家を訪ねられないことに怒ったらしいばあばにどこか嬉しさを覚えながらも、ふっと不安になった。
この状況は、私が思っているよりも、私の安心安全な生活を脅かすものなのかもしれない。
私は祈るような気持ちで、「ばあばに会いたいけれども、今は疫病が流行っているから外出を控えてほしい。元気でね。」という旨を紙に書き、FAXで送った。 
老人ホームも外出を禁止にしているようで、ヘルパーさんにそのFAXを感謝された。

緊急事態宣言が解除された。
長かったようで短かったような、引きこもりがちな自分の普段の生活とそう変わらない、それでも確実に何かが違う、そんな不思議な日々を過ごした。
私は怖かった。
ばあばが、「私がばあばに会いたがっていない」なんてひどい勘違いをしていないか。
もう私を訪ねてきてくれないんじゃないか。
緊急事態宣言が出される前は、私と違って、毎日のように外出してどこかに出向いていたというばあばの調子は大丈夫なのか。
私の「当たり前」が崩れ去るんじゃないか。
解除されてからも、外を出歩くのは憚られる状況。
私は次の日曜日を待つしかなかった。

日曜日の朝、家のインターホンが鳴った。
私は反射するかのように飛び起きた。
良かった。
私の「当たり前」の日々はまだ続く。
まだ大丈夫。
私はとてつもなく安心した。
そう何も身構えていなかった私は、その時見たばあばの姿にショックを受けた。

ばあばは、以前最後に見た時よりも、やせ細っていた。
あんなに軽やかに地を踏みしめていたばあばの足取りが、よろよろと、明らかに弱々しいものになっていた。
私はその姿を見て、後悔した。
そんなこと思いたくもないのに、ばあばがとても可哀想に思えた。
何を後悔したのかと考えると、それは「ばあばに外出を控えてほしいと伝えたこと」になるが、しかし、どうしたってあの時の判断は間違っていなかったという考えに行き着く。
あのままいつも通りに暮らしていたら、ばあばは弱らなかったのかもしれない?
もしかしたら、コロナウイルスにはかからなかったのかもしれない?
普通に考えて、そんな可能性に懸けられる訳が無い。
あれは間違っていなかったはずだ。
異常事態だったんだから。
仕方がなかった。 
それに、今こうしてばあばはここに来れているじゃないか。
大丈夫。
そう言い聞かせて、私は自分を落ち着かせた。
ばあばはその日いつも通り掃除を買って出て、母はお茶とお茶菓子を振る舞い、私は握手するようにばあばの両手を包み込んで顔を見合わせた。
私は笑いかけ、ばあばは微笑み返してくれた。
その日から、ばあばは我が家に来なくなった。

その日の翌週の日曜日、いくら待てどもばあばは来なかった。
このご時世だ。
老人ホームの都合でそんな日が一回ぐらいあっても仕方がないかもしれない。
私は待った。
次の日曜日も、次の次の日曜日も、ばあばは来なかった。
父は老人ホームに連絡した。
ばあばは、私の家に向かう途中に、転んでしまったそうだった。
足が弱ったせいで、転んで、嫌になってしまったらしい。 

恐れていたことが起こった。
私はすぐにそう思った。
私の「当たり前」が崩れ去る時が来てしまった。
いつか来やがるそれを、私は出来るだけ考えずに、でも後悔はしないように過ごしてきたつもりだったが、甘かった。
あらゆる後悔がわき出て仕方がない。

今度は私が会いに行く番だ。

そんな順番なんて全く決めていない癖に、以前から決めていたことのように、私はそう勝手に心の中で唱えた。

ある日、私は夢を見た。
母とばあばがコロナにかかって死ぬ夢だ。
私は目覚めた時、夢で良かったと泣きわめいた。
しばらく泣き続けた。
早くばあばに会いたい。
このままでは一生後悔するかもしれない。
そんなことを思った。

私の母は体が弱かった。
コロナにかかったら、本当に死んでしまうんじゃないかと思うほど弱い。
私が外出する時も、ウイルスを持って帰らないよう、厳しく私に説いた。
ばあばに今会いに行くだけでもリスキーなのに、ばあばに会いに出かけてウイルスを持って帰り、母が死んでしまってはもう意味がわからない。
私は悩んだ。
私はばあばに会いに行きたかった。
今更わき出た後悔を、少しでも無くしてしまいたかった。
私は、どこまでも愚かで自分本位な人間だったのだ。
入浴時に一人になると、ばあばのことを考えて泣くようになり、ばあばが頻繁に夢に出てくるようになった。
元から根性の無い自分には、もう限界だった。
私はばあばに会いに行くことを決めた。

父に老人ホームにアポを取ってもらい、マスクを装備して、私は外にでかけた。
以前のような不意打ちのショックを受けぬよう、ばあばがどんな状態にあっても受け入れられるよう、いろいろな想像をして身構えた。
しかし、いざばあばに会ってみると、以前の状態よりも更にほっそりはしていたが、夢で会ったばあばのように無愛想にはなっていなかった。
私は、私のことなどすっかり忘れて無愛想に振る舞うばあばの夢を見ていた。
ばあばは、とても嬉しそうに私たちを出迎えてくれた。
以前と全く変わらない可愛らしい笑顔を私に向けて、話しかけてくれた。
私は嬉しくなって、ばあばの両手をきゅっと握り、ぶんぶんと振りながら笑い返した。

「ここの近所に住んでいるの?遠くから来たの?」
ばあばは心配するように私にそう問うた。
ばあば。
ばあばは今日の私と同じように、遠くからずっと私に会いに来てくれていたんだよ。

ばあばはもう耳が聞こえなくなっていて、私は紙に自分の家の場所を書いて教えた。

「お嬢さんはこの近くに住んでるの?」
ばあばは笑顔で私にそう問うた。
その瞬間、私は涙をこぼしてしまった。
ばあばは、もう私が誰か分からなくなっていた。

いや、もしかしたら、もうずっと前から私の判別など出来ていなかったのかもしれない。
ばあばにとって、あの家にいる女の子が「なはちゃん」だったのかもしれない。
ばあばはもう、「なはちゃん」と笑いかけながら私を訪ねてきてくれることはないんだ。

なはだよ。
私は紙に自分の名前を書いてばあばに差し出し、自分の顔を指差した。
すると、
「なはちゃん?
なはちゃんはいつも会いに行っているよ。
最近は風邪が流行ってて、あと、足がね。
足があれだから、最近は行けてないの。」
とまるで弁解するかのように、悲しそうに言った。
私は少しほっとした。
恐らく、ばあばがそれをどこか悲しそうに言ったことにほっとした。
「なは」はまだばあばに可愛がられていたかった。

「こんな老いぼれに会いに来てくれて、ありがとうねぇ」
とばあばは言った。
「いやいやこちらこそ。ありがとう。」

私は反射的にお辞儀をしながらそう返した。
それはばあばの言葉を受けての言葉だったが、そう言えて良かったと今では思う。
全てがただの自分の自己満足だった。
ばあばの笑顔を見れてよかった。
声を聞けて良かった。

なんて自分はどうしようもなく駄目な人間なんだろう。
ずっと与えてもらうばかりだった。
今更泣きながら謝っても、感謝しながら泣いても遅いのに。

手を握り続け、しばらく一緒に時間を共にして、別れることになった。
ヘルパーさんに連れられて、ばあばはエレベーターに乗り込んでいく。
その時のヘルパーさんは、ばあばを誘導しながらこう言った。

「もう…フラフラじゃない〜」

それは、ばあばの足取りを見てそう言ったのだろう。
ふと、私はその日の入浴時にそれを思い出して無性に腹が立った。
覚えていた。
その軽い一言が、ばあばには十中八九聞こえるはずもないその一言が、私の癇に障った。

コロナが無ければ。
コロナが無ければ、ばあばがそんなことを言われることなんて無かった。
コロナが流行る前のばあばの足はぴんぴんしていた。
ばあばが万歩計を持ち歩いていて、その歩数に仰天したことだって私にはある。
好きでフラフラになった訳じゃない。
ばあばは、今まで規則正しく生きて、たくさん歩いてきたんだ。
出不精の私なんかと違って、
自らその足で外に出向いて、たくさんの人と交流しながら過ごしてきたんだ。
ばあばがそんなことを言われる筋合いは無い。
ばあばはずっと健やかに暮らしていたんだ。
そんな、誰に訴えかけられるわけでもないことをお風呂場で考えて、声も出さずに泣いた。

悔しかった。
コロナが無ければ、ばあばはもう少し多く私に会いに来てくれていたはずだ。
私はもう少し長く親戚のかわいい「なはちゃん」としてばあばと過ごせたはずだ。

あの時ばあばは、私の家の最寄り駅の名前を教えると、その駅から「なはちゃん」の家までの道筋を私に説明してくれた。
何百回と通ったからだろう、私の家までの行き方はまだしっかりと覚えていた。
そして、
「また行くわぁ。」
と言ってくれた。
ばあばを訪ねてきた私を「なはちゃん」と認識してくれたかは最後まで分からなかったが、私はその言葉がとても嬉しかった。

たぶんもうばあばは私の家に来ないだろう。
そう悟りながら、私は
「また来てね。」
と言葉を返した。 

私はこれから毎週ばあばを訪ねようかと思っている。 
ばあばはコロナなんかに決して負けてはいないが、まずばあばよりも若い私がコロナに負ける訳にはいかない。
結局は全て私の自己満足である。
ばあばが喜んでくれるのならそれは嬉しいが、実際のところどうかは分からない。
分かる術も無い。
ばあばと出来るだけ長くしっかり過ごすために。
私が出来るだけ後悔しないために。
十二分に注意を払いながら、
私は自分の足でばあばに会いに行きたい。
たとえ見知らぬ「お嬢さん」として迎えられても、時には私は親戚のかわいい「なはちゃん」だと主張していこう。
またいつか、ばあばが私を訪ねてきてくれることを心のどこかで願いながら。

今年のコロナウイルスには、嫌になるぐらいたくさん感情を揺さぶられた。
かなり怒ったし、久しぶりにかなり泣いた。
いくつも何かを恨んだ。
私は一生コロナウイルスを許さない。

人はすぐには変われない。
心に誓ったことを完遂出来るかも分からない。
たぶん私はこれからも、たくさんの「当たり前」を失い、今更にものすごく感謝して、たくさんの後悔を生み出しながら、どうしようもなく生きていくのだろう。






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