惹かれた理由
久々に耳にした「本音」だった。
もちろん、言葉を選んで話してはいたのだろう。それでも、あの時の私には、嘘偽りのない真っ直ぐな言葉に聞こえた。
意気揚々とコミカルに、時々苛立った口調で、感情のままに話す言葉の数々がなんだか心地良くて、気がついた時にはボタボタと泣いていた。
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2021年10月、私は4年付き合った婚約者を癌で亡くした。
当時、私は32歳。パートナーとの死別を経験するには、あまりにも若すぎる年齢だった。当然ながら、周囲に同じ経験をした者はいない。つまり「理解者」が誰一人としていない状況に、突然突き落とされた瞬間だった。
職場に行けば「いつまでも悲しんでいたら、彼も悲しむよ」といったありきたりで的外れな励ましを受ける。十分な休暇ももらえず、業務では「通常」を求められる。そういった環境ゆえ、職場でも周囲の人を避けて過ごすようになった。もちろん、友人に連絡をする気力なんて湧かず、彼を亡くして以降、私はほぼ誰とも口をきかない生活を送っていた。今思うと、当時の私の喋らなさは異常だったと思う。本当に、ただただそこにいるだけの人形のような存在と化して、日々を過ごしていた。
そんななか、唯一話をすることができたのはネットで知り合った同じ境遇の人々—――いわゆる「死別仲間」たちだった。
ZoomやX(旧:Twitter)のスペースをとおして、彼や彼女たちと話をしている時だけは、唯一顔もほころぶ時間となっていた。だけど、そこで話す言葉もすべて「本音」ではない。きっとそれは、彼らも同じだったと思う。
パートナーや子供、親、兄弟……誰であろうと、自分にとって大切な人を亡くした者は、‟他人の言葉”にすごく敏感になる。『言葉は凶器』とよく言うが、精神がズタズタに切り裂かれた状態に陥っていたあの頃は、下手な慰めの言葉ほど凶器となるものはなかった。
「(気持ちに)折り合いをつけて」「乗り越えて」などといった言葉を上司にかけられ、怒ったり泣いたりしている仲間を都度たくさん見てきた。だからこそ、死別仲間と談笑をする際でも、言葉選びにはすごく慎重になっている自分がいた。
そんな時、あるひとりの死別仲間に「楓花さんは人目を引く。だからもっと表立って発言したほうがいい」と、そのようなことを言われた。
というのも、昔から小説を書いていた私はこの時「綺麗事が一切ない死別の話を書いて世に出したい」と、仲間たちにも公言していたのだ。だけどその人は私に「小説よりも講演会やセミナー、もしくはカウンセラーなどの資格を取って表舞台で発信をした方が合うのではないか」と、そのような助言をしてくれた。
これには正直驚いた。自分はずっと、喋ることが下手だと思っていたから。だからそのように言ってくれることが、純粋に嬉しくもあった。
だけど、私はやはり「書いて届けること」を選びたかった。ドラマや映画でよくある、綺麗事が満載のフィクションではなく、もっと地味で残酷で、永遠に続く地獄のように鬱々とした、そういった「リアルな死」を描いて世に出したい。それが多くの人の目に止まれば、世間の人たちももっと残された側の気持ちを理解してくれるはず。そうすれば、他人の言葉で傷を負う人も少なくなる。そんなことを考えていた。
戯言とも取れる野望ではあったが、決断をしたからには今以上に小説に力を入れようと決めた。必ず出版の夢を叶えて、多くの人に自分の想いを届けよう。そのために、もっともっと文章の勉強をしなければいけない。
そう決意し、私は副業で「ライター」になることを決めた。
―――そう意気込んではみたものの、ライターの勉強を始めた当初は上手くいかないことも多かった。なんせ、分からないことが多すぎる。……というより、何が分からないかも分からないような状況に陥っていた。
そんな時に辿りついたのが、有名なライターであるゆらりさんのインスタ。
今の上手くいかない現状からどうにか抜け出したくて、ゆらりさんのインスタを見漁っていた時『フォロー必須のアカウント』といった投稿を目にした。そこでゆらりさんは数名、ライターやフリーランスの方を紹介していたのだが、そこでふと目に留まったのが、Webライターラボというオンラインサロンのオーナーである、中村昌弘さんだった。
今だから話すが、私の中村さんに対する第一印象は「ヒゲの生えた人」。ただ、それだけだった。
というのも、「ライター」という職業がどんなものかすら分かっていなかった私は、中村さんの実績を見てもそれがすごいのかどうか理解することができなかったのだ。
そこから中村さんのXを見て「現実主義というか、正直な人だな……」と思い、当時のnoteを全部読んで「真っ直ぐでひょうきんな人だな……」と感じた。このあたりから、「あ、この人すごい人なんだ」ということも理解してきた。そして最後にボイシーをいくつか聞いて、泣いた。
確固たる信念があって、自分に正直で、真っ直ぐに生きている。それでいて学びを忘れず、今までに積みあげてきた実績もある。
それが心の底から羨ましく感じたと同時に、その生き方に心地良さを覚えた。誰とも話せない、話せたとしても気を遣う、そんな日々に疲れきっていたあの時の私にとって、中村さんの言葉は久々に耳にした「本音」だった。
もう、何もかも全部が嫌だった。日常も周りも自分も、全部全部嫌で、できることなら現状から逃げ出してしまいたかった。だけどこの時、中村さんの話を、言葉を聞いて、もう一度頑張ってみようと、そう思うことができたのだ。
その後行われたラボの入学式で、どなたかの質問に対し「できない理由を探さないでください!」と、少し苛立った様子で話す中村さんを見て爆笑した記憶がある。その時に改めて「ラボに入ったのは正解だった」と感じた。「この人の元で学べば大丈夫だ」と、確信に変わった瞬間だった。
元々、「稼ぐこと」を目的とせずライターを目指した私は、「稼ぎ続けるライター」というラボのコンセプトには合わない存在だろう。やはり表立つことも好まないゆえ、今後もラボに対し何か貢献できるとも思えない。だけど間違いなく、今の自分があるのはラボに入ったおかげだ。
ラボに入ったおかげで、一緒に頑張れる仲間ができた。応援してくれる人も、ファンだと言ってくれる人も、友達だと言ってくれる人までできた。
人として大好きで尊敬するクライアントにも出会え、そんな人たちの元でシナリオライターとして活動できている自分を、今は誇りに思っている。
それもこれも全部全部、ラボに入ったおかげだ。2年前、あの時の自分の決断は間違っていなかったと、今は胸を張ってそう言える。
現在は副業であり、将来の夢は小説家という、ライターとしては非常に中途半端な存在ではあるが、私は必ず、私の目標を達成させる。そしてその時は、今関わっている多くの人に感謝を伝えることができたらいいと、そのように思う。
Discord名:楓花
#Webライターラボ2409コラム企画
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